○前回===>>>
さて、「釈迦堂」を後にしまして、ぼんやりしていたら参拝者のかたがたも増えてきていました。
順路に従って進んでいきます。
途中で手水場発見。
「金堂水の由来
園城寺金堂は白鳳八年天天智弘文天武三帝の勅願によって建てられ本尊は天智天皇御念持の霊像彌勒菩薩なり
この金堂の畔に三井の霊泉あり古来甘露上薬煩悩断盡の八■徳水と傳う
之を服すれば心を洗い重苦を除き無相法身の龍神により湧き出る浄水は四百四病の業患を滅すと
龍神は九山八海の主、■■■法の守護神なり
今茲に故歴を尋ね金堂漱口水舎を造るよろしく漱口手して参堂せられたし 合唱」
完全に読めていない部分はありますが、こんな感じだと思います。
龍が檻の中に入っているように見えますね。
この金堂水を守るために閉じ込められているんでしょうか。
「金堂」。
これは立派なお姿です。
岡崎の「滝山寺」の本堂も相当に立派でしたけれど、
○こちら===>>>
「滝山寺」「滝山東照宮」(前)(岡崎市) - べにーのGinger Booker Club
こちらはまた、屋根の反りに主張を感じます(?)。
もうちょっと近くでぱしゃぱしゃしたかったのですが、他の参拝者のかたもいらっしゃいましたし、こんなところで。
「園城寺金堂
この金堂は桁行七間、梁間七間一重入母屋造檜皮葺の大建築で落ちついた美しい建物です。
園城寺の中心をなす金堂は、幾多の変遷を経ましたが、現在の建物は慶長四年(一五九九)に豊臣秀吉の夫人北政所によって建てられたものです。桃山時代の特色が向拝の手挟や蟇股などにみられるほか、内外陣を格子戸や扉で仕切り、外陣・後陣・脇陣を板敷(床張り)に、内陣を土間にするなど天台密教寺院における仏堂の特色をよくあらわしています。
また、内陣に安置されている厨子も様式からみて同時代の作とされています。
桃山時代の代表的なすぐれた建造物で、昭和二十八年三月に国宝に指定されました。」
国宝でしたか(そりゃそうだ、と思わせる姿です)。
桃山時代、400年以上前ですか。
修復するのにどのくらいかかるんだろう……「三井寺」くらいのお寺ならなんとかなるのかな。
パンフレットによれば、
とあります。
中が撮影できないので想像していただくしかありませんが、ご本尊はもちろん見られません。
脇陣・後陣に多くの仏像が安置されていますので、こちらはじっくり堪能していただけます(図録『不死鳥の寺 三井寺』でもちらっと)。
「内陣を土間にする」……そういえば、神社にも内陣を土間にするところがありました。
○こちら===>>>
「生島足島神社」 - べにーのGinger Booker Club
あ、こちらは内陣外陣ともに土間、でした。
「堂前灯籠
天智天皇が大化の改新で蘇我氏一族を誅してその罪障消滅のため天皇が自らの左薬指(無名指)を切りこの灯籠の台座下に納められたと傳えられている
この灯籠は別名を園城寺金堂無名指灯籠とよばれている」
「天皇が自らの左薬指(無名指)を切りこの灯籠の台座下に納められた」……かなり強烈な伝説ですね。
そうすることが罪障消滅という仏教的な意味をもっていたのか、他にそうした例はあったのか、あるいは日本的な呪術なのか、いろいろと検証しないといけない問題がありますが。
この場合の「罪障」というのは、「蘇我氏一族」のものではなく、「天智天皇」のものですよね(蘇我氏に罪障があったとしても、すでに滅ぼされていますから)。
ということは、これは「天智天皇」に罪の意識があった、ということでしょうか。
それとも、「天智天皇」(当時は「中大兄皇子」ですが)が朝堂で血を流した、という罪に対するものなのでしょうか。
他にも解釈はありますけれども、このどちらかで考えると面白いかと。
「鐘楼」。
「近江八景のひとつ、三井の晩鐘で有名なこの鐘は音の三井寺として日本三銘鐘のひとつにも数えられ、また平成八年七月には環境庁より「日本の音風景百選」にも認定されている。
この鐘は慶長七(一六〇二)年、古鐘・弁慶の引摺り鐘の跡継ぎとして鋳造されたもので、鐘楼(国重要文化財)と共に県の文化財に指定されている。
目方は六百巻(二二五〇キログラム)、除夜の鐘の百八煩悩に因んで、鐘の上部には乳といわれる百八箇の突起がある。」
なんでこんな近くで撮影してしまったんでしょうね……風景の中に佇んでこそ、なのに(悔)。
○こちら===>>>
「平等院鳳凰堂」〜奈良・京都めぐり〜 - べにーのGinger Booker Club
↑「平等院鳳凰堂」には、「日本三銘鐘」のひとつがあります。
おお、これもいつか制覇できてしまうのか……「日本の音風景百選」は難しそうですが。
「金堂」でいただける御朱印。
「弥勒仏」ですね。
今回はここまでで〜。