べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「護王神社」(京都市上京区)

10/9。

晴明神社」を後にして、やってきました護王神社

 

◯こちら===>>>

https://www.gooujinja.or.jp/

 

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名前だけは存じ上げていましたが、足腰の守護神だったか……おお、別格官幣社……。


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「いのしし神社のおはなし」とな。


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御祭神は「和気清麻呂公命」と「和気広虫姫命」。

 

清麻呂公が都より宇佐へ向かわれた際、突如三百頭もの猪が現れて道中を無事に案内し、清麻呂公の足萎えが不思議と治癒したという故事により、足腰の健康安全・病気怪我の快復には格別の御利益があると言われています。」

 

清麻呂公の姉君の広虫姫は、宮中の女官として五代の天皇に仕え、厚く信頼されていました。慈愛の心が厚く、戦乱で生じた多くの孤児たちを養子として育てられたことから、子育て・保育の祖神として信仰されています。」

 

なるほど、宇佐託宣のときの……この場面は、漫画『日本の歴史』で読んでいて、なぜか記憶に残っています。


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さざれ石。


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神紋……これはなんだろうな……。


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和気清麻呂」公の像。


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拝殿。


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……あれ、じゃあこっちは何だろう……(※祈祷殿のようです)。


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かなりしっかりした、「伊勢神宮」遥拝所。


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「祖霊社」。

 


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「警察消防招魂社」。

奥の方にいらっしゃるのも「和気清麻呂」公でしょうか。


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久邇宮家御霊殿」。

これは珍しい……。


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狛犬さん。


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右手の建物が、拝殿となっています……舞殿じゃないのかな……尾張造っぽいですね。

 


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じゃじゃん、と狛猪。


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狛猪越しの拝殿。


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四神相応の扁額がありました。

並んで描かれるのって、結構珍しいのではないでしょうか。

 


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内側にはちゃんと、四方に四神、でした。


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この通り。


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和気広虫」姫に着目した案内板。

多くの孤児を養育した、ということです。

どんな心情が背景にあったのかは推し量ることも難しいですが、

 

桓武天皇の「いまだかつて法均広虫)、他人の過を語るを聞かず」の言葉」

 

が物語っているように思います。

 


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獅子山ならぬ、猪山っぽい……台座の岩がシュラミクラっぽくて……ちょっと怖いです。

 


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鳥居から門、拝殿。


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……珍しいな、社標に似顔絵というか、肖像画というか……。

 


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ちょっと南に下ると、御所が見えました……そういえば、京都御所にここまで近づいたのは初めてかも……。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション

神社覈録 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2025-02-17)

 

もっぱら式内社が掲載されている『神社覈録』ですが、一部式外社も掲載されています(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p297です。

 

護王神社

祭神和気清麻呂卿霊◯葛野郡高雄山神護寺域内に在す

神位

嘉永四年三月十五日、被奉授正一位位記、称護王大明神」

 

うむ、なるほど、「神護寺」……。

というわけで、

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第1編都名所図会,大日本名所図会刊行会,大正7-8. 国立国会図書館デジタルコレクション

大日本名所図会 第1輯第1編都名所図会 都名所図会. 上,下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2025-02-27)

 

『都名所図会』より。

p708です。

 

「高雄山神護寺 は光仁帝の御宇、和気の清麿奏聞し、建立ありしなり。初は神願寺と号しぬ。淳和帝御宇天長二年に、空海に賜はる。神護国祚真言寺とあらため号す。其頃詔を下して、金剛定寺の額を空海和尚に書かしめんと、勅使を立たせ給ひけるをりふし、五月雨して清瀧川の水増りて、高雄山のゆきき止りける。勅使則川のほとりにたたずみ給ひ、案じ煩ひ給ひけるを、空海しろしめして、筆に墨をふくませ、持ちたる額に向うて書き給ふに、墨霧のふる如く飛んで、額の面に忽ち金剛定寺の四字現れける。(略)

額書石 石面に窪あり。硯石とす。楼門の外にあり。

金堂の本尊薬師如来、講堂の五大尊、ともに弘法大師の作なり。楼門の額は、仁和寺覚信法親王の御筆、納涼坊には弘法の像を安ず。文覚上人の画像もあり。鐘楼は金堂の艮にありて、鐘の銘は菅原是善卿、序の詞は橘広相、筆者は藤原敏行なり。是を世に三絶と号す。本朝の名器にして、又ならぶものなし。

八幡宮は経蔵の巽にあり。護法の社は和気清麿の霊をまつるとなり。

此所はむかしより紅葉の名所にて、奥の地蔵院より、下なる溪をはるかに見おろし、立田の秋の色そひ、水にうつろふ紅に、峯の夕日かがやき、あらしに見たるけしき、錦をさらすなど詠みけんも思ひやられ、停車坐看楓林晩とは杜牧が詞なり。」

 

この「護法の社」が、「護王神社」の前身、ということでしょうか。

この時代のことは、勉強不足ですので何とも言えませんが……よく言われているように、何故「伊勢神宮」ではなく「宇佐八幡宮」の託宣だったのか……「伊勢神宮」、皇統のために動かず……この辺りの不思議ですね。