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神社仏閣ラブ(弛め)

「木嶋坐天照御魂神社」(京都市右京区)〜急に日帰り京都旅

11/3。

広隆寺」をあとにして、徒歩での移動……おかしい、途中の「大酒神社」を見逃している何たる失態……それはともかく、やってまいりました裏メイン、「木島坐天照御魂神社」です。

 

○こちら===>>>

ja.kyoto.travel

 

 

 

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「由緒

木島坐天照御魂神社

延喜式内社で祭神は天之御中主神外四柱(大国魂神・穂々出見命・鵜茅葺不合命・瓊々杵尊)を祀っている 創建年月日は不詳であるが「続日本紀大宝元年(七○一)四月三日の条に神社名が記載されていることからそれ以前に祭祀されていたと思われる古社である 天之御中主神を主として奉り 上は天神に至り下は地神に渉り 御魂の総徳を感じて天照御魂神と称し奉り 廣隆寺創建とともに勧請されたものと伝えられる

学問の神であり祓いの神でもある

蚕養神社(蚕ノ社) 本殿右側の社殿

雄略天皇の御代(一五〇〇年前)秦酒公呉国(今の中国南部)より漢織・呉織を召し秦氏の諸族と供に数多くの絹 綾を織り出し「禹豆麻佐」の姓を賜るこの地を太秦と称し推古天皇の御代に至り その報恩と繁栄を祈流ため養蚕 織物 染色の祖神を勧請したのがこの社である

養蚕 織物 染色の守護神である

元糺の池

境内に「元糺の池」と称する神池がある 嵯峨天皇の御代に下鴨に遷してより「元糺」と云う

糺は「正シクナス」「誤ヲナオス」の意味で此の神池は身滌(身に罪や穢のある時に心身を浄める)の行場である

夏期第一の「土用の丑」の日にこの神池に手足を浸すと諸病にかからぬと云う俗信仰がある

三柱鳥居

全国唯一の鳥居である 鳥居を三つ組み合わせた形体で中央の組石は本殿ご祭神の神座であり宇宙の中心を表し四方より拝することが出来るように建立されている 創立年月は不詳であるが現在の鳥居は享保年間(約三百年前)に修復されたものである

一説には景教キリスト教の一派ネストル教約一三〇〇年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと伝われている」

 

……オフィシャルだった、ちょっと驚きました(?)。

 

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石灯籠。


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社標。


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読みづらい……けれど、「蚕神社」でしょうか。


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こっちも。

旧字なんでしょう……「蚕養社」ですね。


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シンプル鳥居。

思ったよりも境内が広くて驚きました。

そして、思ったよりも参拝者の方が多かった……みんな「ムー民」か……。


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拝殿。

そういえば、狛犬さんもいらっしゃらず……何かしら意図があるのか。


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……ん、拝殿が本殿か、脇殿か……ちょっとわからなくなりました。


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拝殿。


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社殿の向かって左にあるのが、例の「元糺の池」、そして三柱鳥居です。

近づけない……。


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奥は「元糺の森」ですね。


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拝殿……ん、とするとさっきのは幣殿か。


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拝殿の屋根には亀。


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白塚……なんでしたっけ。

ええと、参道を入って少し行き、向かって左手に「お稲荷さん」があるのです。


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そのうちの一つ。


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「白清稲荷神社」なのです。

おキツネさまは、穴の中、というイメージがあります。

狸穴という言葉は広く知られていますが、多分タヌキさんもおキツネさまも、木の空などの穴の中に棲んでいたのでしょう。


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怖い。


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こんな感じの入口……怖い。


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お稲荷さん。

 


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こんな感じに分かれていました。

 


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「椿丘大明神」……かな……御神木でしょうか。


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参道からの遠景。


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あ、境内はこんな感じでした。

解説を読むと、「祈雨の神」としての信仰が厚かったようです。

まあ、当時は、雨を降らせない神様はあんまりいなかったのですが(そのくらい、重要な神徳だったのだと思います)。


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石鳥居。

扁額は「蚕養神社」、「こがい」と読むようです。

御朱印は未確認です。

 

さて。

 

○こちら===>>>

大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第1編都名所図会,大日本名所図会刊行会,大正7-8. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/959904

(参照 2023-01-31)

 

↑『都名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p387です。

 

「木島社 は太秦の東、森の中にあり。天照御魂(あまてらすみむすび)神を祭る。瓊々杵尊大己貴命は左右に坐す。

蠶■(こがい)社 は本社のひがしにあり。糸、わた、絹を商ふ人此社を敬す。西の傍に清泉あり。 世の人元糺といふ。名義は詳ならず。中に三つ組合の木柱の鳥居あり。老人の安■する姿を表せしとぞ。当所社司の説。

石鳥居 八角の柱なり。森の入り口にあり。

(略)

[拾遺]

水もなく舟もかよはぬ木の島にいかでかあまのなまめかるらん

文保三年四月、覚士伊時[遊仙窟]を伝授せざる事を深く愁歎して此社に詣す。林中に草を結びし老翁あり。常にこれを誦む。伊時ここに至りて相伝し、一帙を誦み畢る。後酬恩のため珍宝を送るに、かつて庵なし。是当社の応現なりとぞ。」

 

『遊仙窟』は唐代の伝奇小説のようです。

図絵もありまして、そこに描かれる三ツ鳥居は、真ん中に何か立っています……。

現代は、水が張っていないのですよね(時期的なものではないように思いますが)。

 

○こちら===>>>

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

(参照 2023-02-09)

 

式内社だったので、『神社覈録』も久々に見ておきましょう。

p192です。

 

「木島坐天照御魂神社(略)

(略)○祭神天照大神(社説)○太秦村木島に在す(名勝志)(略)

旧事紀■頭に、紀如尚云、天日神命者、非伊勢大神、蓋是高皇産霊裔神也、顕宗紀云云、対馬島下県郡高御魂神社、阿麻氐留神社、又山城国葛野郡木島坐天照御魂神社、右所謂日神阿麻氐留神、天照御魂神、是皆天日神命也乎と云るぞ然るべき、なほ当郡葛野坐月読神社の條考へ合すべし、広隆寺縁起に、木島明神者、鎮守三十八ヶ所内、霊験殊勝深秘之神也と云流は、例の後世に偽作せる者なるべし(以下略)」

 

ついでに、

 

○こちら===>>>

 

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

(参照 2023-02-09)

 

『特選神名牒』も見ておきましょうか。

p15です。

「木島坐天照御魂神社(略)

祭神 天照国照天火明命

今按この社の祭神は天照国照天火明命なること決し其は姓氏録山城国天孫に水主直火明命之後也とあり天孫本紀に同命九世孫玉勝山代根古命山代水主雀部祖とみえ神名式に同国久世郡水主神社十座の中に水主坐天照御魂神ますは即水主直の祖神火明神にして神号は天照国照の称号を取れるものなること著く国造本紀に丹波国造志賀高穴穂朝御世尾張同祖建稲種命四也孫大倉岐命定賜国造と云る丹波国造も火明命の神裔なるに式同国天田郡天照玉命神社あるは其祖神なること著明ければ也かくて本社又大和国城上郡に他田坐天照御魂神社摂津国島下郡に新屋坐天照御魂神社も其御裔の氏人の住るより祭り来つ流こと准へて悟るべし然るを社伝に天之御中主尊又天照大神を祭るなど云ふは甚しき誤なれば取らず(略)」

 

『神社覈録』も『特選神名牒』も、それほど古い文献ではないですし、偏っておりますが、なんとなく「天照大神」ではないよ、という意見のようです。

この辺り、昨今の古代史で流行りの「ニギハヤヒ」系の説の先取りのように感じます。

いずれにしろ、三ツ鳥居のことには触れず、ということは景教云々の話も出ない、ということになっています。

まあ、そこら中に太陽神がいたのだ、というのは至って当たり前ですし、「天照御魂」を関する神社が式内社に多いのはその影響で、≠「天照大神」としているのが、「伊勢神宮」を特別視しているからなのかどうなのか、まではよくわかりません。

ちょっと気になるのは、『特選神名牒』の神位のところに書いてあった、後花園天皇長禄二年二月廿三日太秦の木島明神崇をなして正一位に叙す」という記事。

これが、『神社覈録』だと、「南方紀伝、長禄二年二月廿三日、太秦ノ木島明神ヲアガメテ正一位ニ叙ス」とありまして。

『南方紀伝』自体は、江戸時代に成立した軍記物語的な書物のようなので、史料的価値にいろいろあるのでしょうが、これが「崇」ではなく「祟」の間違いだったら……とそれこそ高田崇史氏的な発想に陥ってしまうのが悪い癖。

急に正一位に叙したのには理由があるのでしょうが、『南方紀伝』に当たらないとわからない……ちょっと時間がないですが、覚えていたら見てみましょうか。

もし祟っていたら、ちょっと面白いかな、と。

さて、ぼちぼち歩きましたが、ここからもっと歩きますよ、と。