10/31。
目が覚めて、天理市内から宇治までの移動時間を考慮して7時には宿を出ました。
それほど混んでない道を北上し、ぬるっと宇治に入ると、コインパーキングの多いこと。
あれ、こんな街だったっけ……と首をかしげながら車を止めて、「奈良・京都めぐり」二日目に突入。
朝の宇治川。
晴れてよかったです。
この鳥居をくぐって進んでいくと、「宇治県神社」があります。
目指す「平等院」は、左手の細い方の道の先です。
○こちら===>>>
門。
開門は8時30分なのですが、8時過ぎにはすでに並んでいる方が。
ここで拝観券を購入します(「平等院」敷地内の「鳳翔館」という博物館にも入れます)。
なお、「鳳凰堂」の内部拝観のためのチケットは、中に入ったあとで別途購入することになります。
時間制になっています。
無事に、9時30分(最初の回)のチケットを手に入れ、それでもまだ50分ほどありますので、辺りをぐるぐるします。
なんだか、ミニチュアみたいです。
実は「平等院」のことはあまりよく知らないのです。
10円玉の裏側だなぁ、くらいしか(やれやれ……)。
正面より。
時間帯によっては、内部に納められているご本尊の顔が見られるようです。
ほとんど写真集ですね、今回は……。
いろいろなアングルから狙っていますが、どれも今ひとつ……。
本堂正面から向かって左手に鐘楼があります。
「平等院の鐘は、「姿(形)の平等院」として日本三銘鐘の一つにあげられます。
鐘身にほどこされた装飾が美しいことで有名です。
昭和四十七年、寸分違わぬ姿で復原された二代目です。」
他は、「銘の神護寺」、「勢の東大寺」、「音(声)の三井寺(園城寺)」、だそうです。
「四大じゃん」、と思いますが、「神護寺」か「東大寺」か、のどちらかのようです(何の派閥争いなんでしょうね)。
水面に映る姿の美しい場所を探していたりします。
向かって左手の翼側です。
知られていますが、「鳳凰堂」は二階建て、部分によってそれ以上に見えますが、上の階には人間が上がれるだけのスペースがありません。
そう、意匠や構造から受けるイメージよりも、ぐっと「小さい」のです。
近寄ってみるとよくわかりあmす。
内部拝観は、なかなかない経験でした。
こればかりは、行って拝観なさってください。
なかなか説明もできませんもので。
ちょっと時間が経ちました。
裏手の道を行きますと、「最勝院」というお寺があります。
その隣に「不動堂」があります。
で、さらにその奥には、「源三位頼政」の墓、があるのですね。
「源三位頼政公の墓 宝篋印塔
源頼政は保元・平治の乱で武勲を挙げ、平清盛の奏請により、源氏として初めて従三位に叙せられました。歌人としても名高く、勅撰集に優れた和歌を多く残しています。
治承四年(1180)五月二十六日平家追討の兵を挙げた頼政は、宇治川で平知盛軍の追撃を受け、平等院境内にて自刃しました(齢七十六歳)。
辞世
埋もれ木の花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ悲しかりける」
「源頼政」かぁ……。
○こちら===>>>
「高賀神社」(補) - べにーのGinger Booker Club
↑岐阜県関の「高賀神社」での妄想や、
○こちら===>>>
「富岡八幡宮」「深川不動」(東京都江東区)〜関東巡り〜 - べにーのGinger Booker Club
↑「富岡八幡宮」でもちらっと登場しました。
なんだろう、「頼政」づいている歳なんでしょうか。
水面に、陽光とともに。
裏手の道は、ほぼ屋根の高さと同じくらいまで上っています。
鳳凰を撮ろうと思ったのですが、今ひとつズームが(スマホの限界です……)。
正面からは向かって右手の翼部分。
なんか、雲がすごかったです……。
さて、そのまま道を進むと、次は「浄土院」というお寺があります。
字が小さい……あ、ひょっとして「最勝院」にも案内があったのでしょうか……迂闊。
「浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久上人が、明応年間(十五世紀後半)に平等院修復の為に開創した寺と伝わり、『都名所図絵』には「平等院奥院」「浄閣」などと示されている。江戸時代には養林庵や知学庵など浄土院の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存した。浄土院には平等院に関係する多くの文化財が残されている。そのうち、養林庵書院(重要文化財)は桃山城の遺構と伝えられ、障壁画は、床の間の図が雪景山水図、襖は籬に梅図、天袋は花卉図で構成され、作者は、その作風から狩野山雪と考えられ、京狩野の代表的作家の特色を著した作品として、その価値は極めて高い。
また京都府指定文化財として平等院修造勧進状一巻・平等院旧起二巻、細川三斎作庭と伝わる養林庵書院庭園があり、宇治市指定文化財として、木造帝釈天立像(平安時代後期)、木造阿弥陀如来立像(鎌倉時代後期〜南北朝時代)、和漢朗詠集巻下断簡(平等院切)(平安時代末期)がある。
帝釈天立像は、やさしい着衣にやや重い感じを付加され、程よい量感のなかで、少年相の清純な感じの相貌や、浅く柔らかな衣紋表現に、十世紀末から十一世紀前半にかけて活躍した、仏師康尚(定朝の師)の特色がはっきりと滲みでている。阿弥陀如来立像は、ヒノキ材を用いた寄木造りの堂々たる大作の像で、両手首先から台座を含めて当初のまま残っている。うつむきぎみの頭部、生々しい感触を持つ指先などに当代の特色がよく示されている。
和漢朗詠集巻下断簡は、巻下雑部のうち、禁中・古京の全文十五行文である。古来筆者を源頼政(1105〜1180)と伝え、平等院切という名称も頼政との関係で付されたと思われる。本稿は平等院切の中でも、全十五行分の断簡として大きく、古筆研究はもとより、国文研究などの資料としても貴重である。
また、古図によると平等院山内で最も古い書院として大書院(非公開)があり、蘭香斎玉寳の獅子図四面や後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に逗留したと伝えられる御座所などが残されている。」
境内には、
といろいろありますが、全て整備されている感じではありません。
「船乗観音」の像は拝見したかったですね(まぁ、見ても写真には撮れないのですが)。
「浄土院」のの道をさらに進んでいくと、
南門に出ます。
何か、同じような写真ばかり撮っていますね……。
池の鯉。
御朱印は三つで、「最勝院」か「浄土院」でいただけます(「平等院」ではいただけませんのでご注意を)。
こういう写真が撮りたかったですねぇ……。
引用は次回に〜。