7/12。
毎週どこかに、と思っても、そろそろ近隣の大きな神社仏閣はネタ切れ気味。
もう少しマイナーなところを攻めましょう。
というわけで、「針綱神社」へ。
◯こちら===>>>
いい天気でした。
「尾張五社」ってなんだろう……と思い検索。
◯「尾張五社」===>>>
↑によれば、「尾張藩士天野信景が著した『尾張五社略記』」が由来で、
「熱田神宮」
「津島神社」
「針綱神社」
「千代保稲荷神社」
のことだそうです。
……なんだ、ほとんど回っているんじゃないか。
「針綱神社
鎮座地 (略)
御祭神 尾治針名根連命
伊邪那岐命・菊理姫命・大己貴命・玉姫命・建筒草命・建稲種命・建多乎利命・大荒田命・尾綱根命
社格 旧県社
御由緒 当神社は延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本には従一位針縄明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座せられる東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産延命長寿の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守でありました。中古織田信康公の宣旨を蒙り、天文六年八月二十八日市内白山平に遷座し奉った。その後六十九年を経た慶長十一年四月八日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。明治維新後明治十五年九月二十八日名栗町の座地より天文六年迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社として戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社の一つ)として近隣の崇敬を集めています。」
そうそう、「針綱神社」はですね、「犬山城」の側にあるんです。
◯こちら===>>>
↑こちらのページの下の方に地図が載っています。
神橋。
階段……けっこうな……。
拝殿。
注連縄が何となくしなだれています。
境内の八幡社。
遠く富士山……は臨めませんが、以前紹介した「犬山成田山」は観られます。
本殿。
銅葺きの屋根の緑青が美しいですね。
再び由緒書き。
御由緒はほとんど同じです。
「御祭神系図
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___________
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天火明命 瓊瓊杵命
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建筒草命(天火明命六世)
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建多乎利命 大荒田命
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建稲種命————玉姫命
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尾綱根命
|
尾治針名根連命」
というわけです。
尾張氏の系譜ですので、見覚えのない方もたくさんいらっしゃいます。
神馬。
「愛宕社」。
「県社」の石柱と、後ろには神馬像。
さて、この神社は摂社も多いです。
本殿向かって左手の道を、上に上がれば犬山城、下れば先ほどのぼった階段の辺りに出るのですが。
どこにあったんだっけ……向かって左は「猿田彦神社」と、もう一柱合祀されているんですが、札が読めません。
右側の石碑は、多分「針綱大明神」と彫られていると思います。
「針綱天満宮」もありました。
修復中。
天皇ご即位記念と、昇級した記念の碑。
山の斜面に建てられているので、ちょっと上っています。
ええと……大きい社は何か文字が見えるのですが、「◯神社」としか。
小さい社はわかりません……。
「鍛冶社」。
「染甫社」。
読めませんが、染め物に関係する社でしょう。
「大国社」。
左から「造酒社」、「神明社」、「熱田社」、「杉木霊社」。
左から「小栗社」、「御饌社」(右は「造酒社」)。
左は「稲荷社」(右は「小栗社」)。
「市神社」。
「金比羅社」。
「多賀大社御分霊」。
狛犬さんたち。
「神明社 市神社 琴平社 秋葉社 山神社 杉木霊社 造酒社 大國社 稻荷社 小栗社 御饌社 染甫社 鍛冶社 熱田社 天神社 猿田彦社 愛宕社 八幡社 御建宮社」
とこれだけあるようです。
さっきの「◯神社」は、多分「山神社」ですね。
どの集落にもあったであろう「稲荷」や「愛宕」「秋葉」「八幡」「神明」辺りを除くと、生活や生産活動に関係のある社が多いように思います。
恐らく、県社レベルの大きな神社は、こうした小さな社や祠をたくさん集めていたのでしょう。
さてさて、
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会
↑の239コマから、「針綱神社」の記事があります(以下引用部分、旧字を改めた箇所あり/判読不能文字は■で置き換える)。
「針綱神社
中名栗町にある。白山社と称す。[延喜神名式]に針綱神社、[本国帳]に従一位針綱名神と見えたり。往昔は北の方城山にありしを、天文六年八月東の方の平山に移し、慶長十一年再び今の町に遷座す。旧の平山の地を今は白山平といふ。社領は慶長五年小笠原和泉守吉次の寄進なり。当社は此地の生土神にして、頗る大社なり。拝殿・渡殿・祭文殿・透垣・鳥居など厳重に建てつらね、左右の末社三十六祠巍然として鎮座まります。實に城下第一の霊社なり。
(以下略)」
他には、祭礼のにぎやかさを伝えており、図絵にはその様子も記されています。
その続きには、「名産忍冬酒」「名産蒟蒻」「刀器」の記事があり、「針綱神社」に「鍛冶社」がある理由がうかがえます(忍冬というのは、「スイカズラ」のことだそうですby Wikipedia)。
『尾張名所図会』の書かれた時代は、まだ社地が現在地に遷る前です。
図絵で見られる「透垣(蕃塀)」や「左右の末社」は、当然ですが今の神社にはありません。
「左右の末社」を読める限りで拾ってみると、
「イセヨウハイ」「二福神」「日吉」「八マン」「アツタ」「カラス」「杉タマ」「アキバ」「金山」「東照宮」(向かって右)
「御祖神」「楠本」「カモ」「タガ」「造酒」「春日」「天王」「御田」「イナリ」「神明」「染甫」「ムスブ」「コンピラ」(向かって左)
……「鍛冶社」が見えませんが、多分「金山社」だったのではないかと思います(読めない中にあった可能性もあります)。
図絵で見ると、拝殿—祭文殿—本殿が一直線の、「尾張造」であることがよくわかります。
これはこれで、残っていたらよかったのになぁ……と思います。
さてさてさて、
◯こちら===>>>
は、大正時代に書かれた尾張に関する地誌です。
これをちらちらと見ていたら、御祭神に関することがいくつか書かれていたので。
まず「大荒田命」ですが。
『尾張』第二章から引用してみますと。
「(前略)
邇波縣君 邇波縣とは後の丹羽郡の地で、縣君はその領主である。後世此縣の縣主は多臣の族つまり神八井耳命後裔となつて居るが、もとは地祇の大豪族が居たものと思ふ。其が姻戚か何かの関係で多臣氏に変つたものであろう、けれど其の交替の年月を詳かにする事が出来ない。だが、天孫本紀に邇波縣君祖大荒田が見える。其女玉姫が尾張氏建稲種の妻となつたのである故、少くも景行朝以前の人であらねばならぬ。(後略)」
「天孫本紀」というのは『先代旧事本紀』の巻之五のことです。
手元に中途半端な『先代旧事本紀』しかないので、本来であれば原文献から引用するべきところですが、『尾張』からの引用としました。
『延喜式神名帳』にある「尓波神社」(現在は「邇波神社)は、この「邇波縣君」の氏神とされています(御祭神は「神八井耳命」で、神武天皇の御子です)。
「天孫本紀に邇波縣君祖大荒田が見える。其女玉姫が尾張氏建稲種の妻となつたのである故、少くも景行朝以前の人であらねばならぬ。」ということで、「大荒田命」は、「多臣」系なのか、それとも地祇系なのか、どっちともとれるようなお名前になっています(「多」も「大」も「おお」ですから)。
ところで、同じ犬山にある「大縣神社」ですが、
◯こちら===>>>
「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club
これ、多分、「オオアラタ(大荒田)」のことだと思います。
言語学者ではないので、音便変化なんて知りませんが、そう考えた方が面白いな、と。
「オオアガタ」=「オオアラタ」。
次は、「尾治針名根連命(オワリハリナネムラジノミコト)」です。
といっても、この方は父である「尾綱根命(オツナネノミコト)」あるいは「尻調根命(シヅキネノミコト)」との関係しかないんですが。
再び『尾張』から、
「尻綱根命
建稲種命の子で当国国造の第三代である。天孫本紀には尾綱根とあるが、其妹尾綱眞若刀婢を古事記に志理都紀斗賣とあれば尾は尻の誤写なるべく思はるるに、なほ姓氏録若犬養宿禰條に尻調根命とあるのだから尾を尻と改めたのである。(略)
天孫本紀
十三世孫尾綱根命
此命誉田天皇御世爲大臣供奉
(略)
尻綱根以後の尾張氏 天孫本紀に次の如く見える。
十四世孫尾治弟彦連
次尾治針名根連(以下略)」
「尾綱根命」なのか「尻調根命」なのかははっきりしませんが、神社では『旧事本紀』か『新撰姓氏録』の名前を併記しています。
ただ、神社としては何としても「尾綱根命」であってもらわないといけないんじゃないかと。
次の「尾治針名根連」と合わせて、「(尾治)針(名根)(尾)綱(根)神社」なんだと思いますから。
あるいは……昔は単に「針名神社」だったのかもしれません(そういう名前の神社、ありますし)。
そこに無理矢理「尾綱根命」をっくっつけたのか。
ただ、何でそんなことをする必要があるのかというのがわかりません。
残りの、「建筒草命(タケヅクサノミコト)」については、
「五世孫建箇草命(倭額赤命(※四世孫の弟・建額赤命のことと思われる)之子、多治比連云々、葛木厨直祖)」
「建多乎利命(タケタオリノミコト)」については、
「建多乎利命(笛連、若犬甘連等祖)
姓氏録湯母竹田連の條に建刀米命(※五世孫建箇草命の弟)男武田折命云々(左京神別)とありてこれと符合す。」
と『尾張』にはあります(※はブログ筆者挿入)。
ここまで書いてみて、
「私は何を書きたいんだろう?」
という疑問に打ち震えています。
ともかく、最低でも『先代旧事本紀』と『新撰姓氏録』くらいは手元に揃えておかないと、起源をたどれない、ということはよくわかりました。
国会図書館ライブラリは非常にありがたいんですが、ときどきすごく読みづらい……。
「尾張氏」についても、先達のいろいろな著作がありますので、私が書く必要もないのですが。
「尾張」は、昔は「尾治」だったんでしょうか(表記として)。
ん〜……。
いろいろと、もやもやしたまま、この辺りで。