べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「白山神社(名古屋市西区)」

4/3。

仕事で出かけた先で、思いのほか時間ができてしまったので、ふらふらしていたら発見。

白山神社

 

◯……オフィシャルHPがないので、「近代デジタルライブラリー」の『尾張名所図会』より(コマ番号102)===>>>

近代デジタルライブラリー - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

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そういえば、桜の写真を撮っていなかったな、と思っていたところに遭遇したので。

メインはです。

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美濃路

美濃路は、江戸時代に東海道中山道を結ぶ脇街道として発達したものである。その経路は宮の宿で東海道と分かれて名古屋・清洲・稲葉・萩原・起の各宿を経て美濃国に入り、墨俣・大垣を経由して、垂井宿で中山道に合流した。

その里程は十四里二十四町十五間(約57キロメートル)といわれ、五街道とおもに道中奉行管轄の主要な街道であり、大名行列朝鮮通信使琉球王使などのほか、多くの庶民も往来し、にぎわいのある街道であった。

 

立て場

白山神社の前は、立て場であった。立て場というのは、人夫が杖を立てて休息する所からいわれ、宿と宿の中間にあって、旅人のために茶店等が設けられた。

白山神社について、『尾張名所図会』は、「社内に榎一株あり。是即白山の神木なれば、榎権現の称ここに起る。」と記している。神社の西側を流れていた笈瀬川に権現橋という石橋があった。現在、川も橋もないが、かつての橋の欄干は白山神社の垣根の一部として使われている」

 

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手水鉢にも花筏

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いきなり拝殿です。

新しいですね。

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本殿を横から。

メインはです。

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「少将稲荷」。

メインはです。

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うーん、写真が今ひとつですな……。

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鳥居まで戻ってみました。

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境内社

向かって右から「戸隠社」、「金刀比羅社」、「天神社」。

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鳥居外から拝殿方向を。

メインはです。

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何と、素敵末社を発見。

「田道間守社」

祭神は、「菓祖 田道間守命」と「薬祖 大巳貴命」。

「オオナムチノミコト」は、「大国主命」の別名で、「因幡の素兎」の神話でお分かりの通り、治療に威力を発揮した神でもありました(兄である八十神に殺されたときなどは、母神等の力を借りて甦ったりしていますし)。

「タジマモリノミコト」は、第十一代垂仁天皇の頃に、「非時香菓(トキジクノカグノコノミ)」を求めて常世の国に渡り、数年を経て戻ってくると既に天皇は亡くなっていたので、皇后と陵に「非時香菓」を捧げて、悲嘆のうちに自らも死んだ、という人です。

天之日矛」という、朝鮮半島から渡ってきた(らしい)神様がいらっしゃるのですが、その方が多遅摩俣尾(たじまのまたお)という神の娘と結婚してできた血統です。

「トキジクノカグノコノミ」は、今でいう「橘の実」のことではないかと言われています。

「菓子」というのは、昔は「果物」のことを指していました(全部じゃないでしょうけれど)。

世にも珍しい「橘」をとってきたので、「菓祖」と言われるようになったのでしょう。

でも、「橘」ってそんなに珍しいんですかね……。

「トキジクノカグノコノミ」は、名前の示す通り、不老長寿の実と考えられていました。

常緑樹の橘と結びつけられたのでしょう。

落葉樹と常緑樹の対比は鮮やかですし、それはまた花散る桜との対比にもなったのでしょうか。

「右近橘、左近桜」というのもありますね。

「田道間守」をお祀りした総本宮が、兵庫県にある「中嶋神社」です。

 

◯こちら===>>>

お菓子の神様 中嶋神社| とよおかスイーツギャラリー

 

「田道間」、「多遅摩」はつまり「但馬」です。

今の兵庫県北部です。

で、何故ここで「田道間守」が御祀りされているのか……ネットの検索ではよくわからないようです。

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メインはです。

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「権現橋」の欄干。

神社の玉垣代わりに使用されており、それが一風変わった風情を生んでいるのかもしれないです。

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「名古屋十名所」の碑。

 

◯こちら===>>>

http://www.aruku88.net/memo/01nagoya10/index.html

 

↑で紹介されております。

 

熱田神宮 名古屋城 笠寺観音 闇ノ森 榎ノ権現 櫻田勝景 圓頓寺 久屋金刀比羅 山田元大将之社 天理教々務支庁」

 

「大正十三年に新愛知新聞社(現中日新聞社)が選定した」らしいです。

 

 

 

 

 

……最後のが気になりますが。

 

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とにかく、メインは桜ですので。

 

さて、最初に紹介した『尾張名所図会』の解説ですが、

 

白山権現

押切町の北側にありて、俗に抜(ぬけ)の権現と稱す。別当は榎本山福満寺と稱して、紀伊国高野山金剛三昧院の末寺。文禄年中(1592〜96)の建立なり。縁起略に曰く、当社は文明九年(1477)、当国の太守斯波大輔義廉、清洲に在城の時、加州白山権現を信仰ありしに、或夜夢中に老尼顕れ、我は白山の霊なり、当国鴛鴦喜里(おしきり)の沼の辺に勧請すべし。武門を守護せんと見て夢覚めぬ。夫より此社を勧請し、左右に神明・秋葉を祭れり。又社内に榎木一株あり。是即ち白山の神木なれば、榎権現の稱ここに起る。近年榎枯槁すといへども、猶其通稱は残れり。当社鰐口に正長二年(1429)九月九日の文字見えたり。西国の諸侯方・琉球人などまで、皆当社に休息す。書院よりも西北の眺望、打開きて風景頗るよし。」(一部旧字を改め、西暦を追加)

 

とあります。

「田道間守社」のことには触れられていませんので、いつからあるのかがわかりません。

また、図絵中「本社」の向かって左に小さな社が見えるのですが、ネット上では文字が読めません。

そして、「少将稲荷」「少将」って誰なんだろうとか……「深草少将」でしょうかね。

だったら何か伝説なりがあってもよさそうですが。

それとも「少将井」と何か関係があるんでしょうか……近くに「八坂神社」があるようですし(近世に移築されているので、関係はさっぱり)。

 

◯こちら===>>>

名古屋市:美濃路(みのじ)散策コース(西区)

 

織田信長が永禄3年(1560年)の桶狭間合戦の時、勝利祈願に太刀一口を寄贈したといわれています。」

 

だそうです。

 

 

 

そんな大事なこと、もうちょっと大きく書いてもいいのでは……あ、どこかに立て札あったのかな。

 

とりあえず、お花見気分での短時間参拝でした〜。

御朱印はあるかどうかはわかりません。

 

 

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