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「矢奈比賣神社」を後にしまして、いよいよ本命。
「秋葉山本宮秋葉神社(上社)」です。
◯こちら===>>>
標高8666メートルの秋葉山を上っていくのですから、それなりに道も狭かろうとは思っていましたが。
これが、予想外で。
しかも、途中から林道になりまして。
スーパー林道に。
でかい車に乗っている、運転の下手な私は、嫌な汗をかきながら上っていくはめになりました。
落ちなくてよかったです。
好天、暖かいとはいえまだ三月、山頂はけっこうな涼しさでした。
長袖、持っていってよかった。
駐車場にある鳥居です。
ちょっと不思議な感じの狛犬さん。
えー……先は長そうだ。
案内板というか、なんでしょこれ。
由緒が書かれているのですが、字が小さくて読めませんな。
神社でいただけるパンフレットより。
「【御社号】
御社号は、上古は「岐陛保ノ神ノ社(きへのほのかみのやしろ)」(岐陛は秋葉の古語)と申し上げたが、中世両部神道の影響を受けて「秋葉大権現」を称し、明治初年教部省の達で権現の号を改め「秋葉神社」となったが、昭和二七年全国の秋葉神社の総本宮であるところから「秋葉山本宮秋葉神社」と改称した」
とあります。
創建は大宝元年(701)と伝えられておりますが、諸説あります。
「きへのほのかみのやしろ」の「きへ」は、どうやら地名のようです。
「ほのかみのやしろ」は、「火之神」でしょうか。
「穂の神」でもいいと思うのですが(山の神は、実りの季節になると麓に下りてくるものですから)。
しかし、実際のところは何ともわかりません。
小休止……。
杉の向こうに見える景色は雄大です。
おっさんは死にかけですが……半分くらいは上ったのでしょうか。
もうちょっとです。
と、とりあえず……西ノ閽(にしのかどもり)の神門というところまでたどり着きました。
平成17年に建った、新しい神門です。
相変わらずよく見えませんが、御随身。
「閽神(かどもりのかみ)」、「看督長(かどのおさ)」、「矢大神(やだいじん/向かって左の、弓矢を携えている方のことを指す場合もあるらしいです)」、「左大神(さだいじん/向かって右の、杖を携えている方のことを指す)」、どこかの神社ではそれぞれ「武内宿禰」、「藤原鎌足」だと伝わっているそうです。
様式としては、仏教以後にできたと思います。
この神門、面白いのは、さすが現代の造作というべきか、「四神」の彫刻があるんですね(一部、逆光で見づらいです)。
何か、目がくりくりなんですよね……。
個人的には、「玄武」さんが一番かわいいと思います(写真の二番目です)。
昔、天狗が住んでいたらしいですよ。
皿を投げて、白い輪を通過すると、多分いいことがあります(多分?)。
投げた皿は、夜中に神職が回収するんですかねぇ……あ、そのまま土に帰るのかな。
景色は素晴らしいです。
たかだか800メートル(しかも車を使って)なのに、「登ってきた」感があります。
……金?
どうも、皇太子殿下ご成婚を記念して建てられたようで。
天狗は金が好きなんですかね……。
金の鳥居をくぐりまして……まだ上るか。
やっとこ本殿。
こちらも、昭和の終わりに建てられた、近代の建築です。
新しいほど、古式を求めるという、日本人っぽい矛盾ですかねぇ。
注連縄がかなりの大きさです。
何をそんなに封じているのか……
と疑問に思いますが、これも近代のものですからねぇ。
かつてのお約束など忘れて、「でかい方がめでたいだろう」的なノリで作られているかもしれません。
そうじゃないかもしれません。
振り返ってみました。
既に落ちかけている晩冬の容赦ない陽光が、逆光で残念……黄金鳥居が輝いているはずなんですがねぇ。
それにしても、冬の空は本当に澄んでいて、太陽の光のためらわないことといったら……。
本殿の一段下には、末社が並んでいます。
「山神社」。
「白山社」。
「風神社」。
「小國社」。
「山姥社」。
「水神社」。
「天神社」。
やけに抽象的な神社が多いなぁ……と思っている中に、いきなり、
「山姥社」
って……。
公式HPによれば、
「山姥社は、山姥伝説を伝える本殿北の「機械井」(はたおりい)の畔にあった小祠」
だそうです。
◯こちら===>>>
↑のサイトによれば、
「山から下りてきた山姥は、いろいろなことを手伝ってくれたが、次第に子どもに悪さをしはじめたので、退治してやろう」ということになったようです。
退治されちゃう話もありますが、「秋葉権現の「機械井」の傍で改心して暮らした」という話もあります。
山から下りてくるのは「山の神」なんですが、いつの時代にか「山姥」になっちゃったんですね。
「山の神」はもちろん、恵みをもたらすために下りてくるわけですが、定住する神様ではなかったのですね。
超強力な神様で、必要なとき以外は近くにいてほしくないんです。
ですから、「お迎え」した神様は、丁重に山に「お帰り」いただく、というのが古来の作法でした。
また来年もお願いします、と。
「山の神」から零落した「山姥」は、山から下りてきて様々な恵みはもたらすのですが、子どもに悪さをして退治されてしまう。
柳田国男言うところの「山人」なのか、狩猟漁撈等を主要としていた集団なのか。
そうした人たちの中から、物々交換をするために、山を下りる人もいたんでしょう。
伝説(作られた伝説っぽいですが)の「サンカ」は、山を行きながら、木や竹で作った工芸品を、麓の村々で交換する、といった描かれ方をすることが多いようです。
山を下りてくる「山姥」の狙いは、最初から子どもだったのかもしれません。
小さな集団は、いずれ後継者が不足しますし、血縁集団であれば、近親婚を続ける危険もあるわけです。
外から血を入れるのに手っ取り早いのは「誘拐」ですからね。
山に逃げ込めば、山が守ってくれた、一種のアジールだったのかも知れません。
それが途絶えるころに、「山姥」は伝説になっていったのでしょう。
なーんてね。
神楽殿。
ジュビロ推し(当たり前か)。
授与所の隣には、
「祓戸社」。
「内宮社」。
「外宮社」。
……「祓戸社」って、そんな隅っこにあってもいいのかね。
普通、参道の最初の方にあって、まずお参りするところなんですけれど。
機能が違うのかな。
その手前には、清めの砂が。
「甲午(きのえうま)」。
今年の干支ですね。
世界史をやっていた人間にとってみれば、この文字から連想するのは「甲午農民戦争」ですね。
……詳しいことは全く覚えていませんが、確か朝鮮半島の話だったと……。
御朱印をいただいて、さて、
下りるのか……。
美しい景色をお楽しみの間に、膝をがくがくにさせながら下りてきました。
燈籠の紋はもちろん、天狗の羽団扇です。
ふう……何とか明るいうちに、あのスーパー林道を下りられそうです……。
◯こちら===>>>
↑こちらの179pには、「山姥」の記事が、183pには「秋葉寺」の記事があります。
「秋葉寺」は、神仏混淆時代に存在した寺(今でもありますが)です。
今のように、秋葉山信仰が、「可睡斎」「秋葉神社」と分裂する前、すなわち明治以前のお話です。
神仏分離によって、「三尺坊大権現」とされた火防せの神様は、とりあえず「ホノカグツチノカミ」に置き換えられたのでした。
それに習うように、全国の「秋葉神社」も同様に、それまでの御祭神を改めたのです。
ですが、ときどき、忘れられた「三尺坊大権現」が残っている場合もあります。
どっかで見たよな……。
ああ、豊川です。
◯こちら===>>>
豊川進雄神社他 - べにーのGinger Booker Club
「三大実録曰、貞観十六年五月十日授遠江國正六位上岐氣ノ保ノ神、従五位下」
「按和名抄岐氣、山香郡ノ郷名 保ハ火也、當此山岐氣ノ保神社地、而稱火防神」
なんてあるようです。
字が違っておりますが、「岐陛」なのか「岐氣」なのか、とにかくそこに鎮座ましました火の神が元々なのだ、ということを言いたいようです。
◯こちら===>>>
「可睡斎」 - べにーのGinger Booker Club
↑こちらの「可睡斎」は、「秋葉三尺坊大権現御本躰鎮座道場」となっています。
本家×元祖の争い、というのは、秋葉権現に関しては起こっていないのでしょうか。
神仏分離以前に流行し、特に燃えやすい町・江戸ではさかんに信仰された「秋葉大権現」。
いつ頃からそのように信仰されているのか、三尺坊はいたのか、どうして名前が「岐陛」から「秋葉」に変わったのか……謎はこんもりです。
「秋葉」って、つまり紅葉のことなんでしょうか。
まさか、紅葉が「赤く」て、「燃えている」ようだから、「火之神」なんて言い出すんじゃないでしょうね?(誰が?<俺が)。
そんなこと言い出したら、日本中「秋葉山」だらけになっちゃいます。
ま、ともかく。
『東京「秋葉原」のルーツに行ってみたいだけの旅』は、無事に終了したのでした。
ちゃんと山を下りられた……よかったよ……。
いつか「下社」にも行っておきたい……。