2014/1/25。
初詣に行くのをさぼっていたわけではないのですが。
とりあえず、こんでいる松の内は避けて、一息ついた頃。
行ってまいりました「龍泉寺」。
◯こちら===>>>
「天台宗、伝教大師の創建といわれ、尾張四観音の一つで、青銅造馬頭観音を本尊とする。
天正十二年(1584)長久手の役に豊臣秀吉がここで陣し、寺堂に火を放って消失させたが、慶長三年(1598)密蔵院(春日井市)二十九世秀純が自費で再興した。
仁王門と木造地蔵菩薩立像が国の重要文化財に指定されているほか、円空仏が多数ある。また、節分には春駒を寺内で領布する。」
広い駐車場側から上がっていくと、こんな感じです。
「開運厄除尾張観世音」。
「松洞山大行院龍泉寺」が正しい寺号のようです。
公式HPでは、「宝暦五年(1755)にまとめられた「龍泉寺記」には、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀ったという内容が記述されている」としています。
また、「弘法大師も、熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており、龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきた」ともあります。
天台、真言の祖のどちらにも縁がある、ということを強調しています。
伝教大師も弘法大師も、日本中でお湯を掘ったり雨を降らせたり松を生やしたり、いろいろしておられますからな。
廂の部分だけが銅葺、というのがなかなかの異化効果ですな。
右手後方に見えるのは「龍泉寺城」。
どこにあったかは定かではありませんが、名古屋市守山区内では唯一の城、だそうです。
多宝塔。
寺務所の近くに「馬頭観音」。
石造ということは、道祖神的な役割だったんでしょうか。
先ほどの場所から境内に入ると、仁王門をすっ飛ばしてしまうので、戻ってみました。
あ、この位置から見ると、多宝塔も銅葺なんですね。
全然気づかなんだ……結構珍しいと思いますが、案外古くもないのかも。
あ、ここに縁起がありました。
「山門派」というのは延暦寺を中心とする一派です。
主流派というか、本流というか(開祖からの本山なのですから、まぁそうですな)。
ということは、そうでない派があるわけで。
「寺門派」といいます。
何で派閥が別れたのかは、勉強不足でわかりませんが、三代座主円仁と、五代座主円珍という非常に優れた人がいらっしゃったそうで。
円珍は、園城寺を授かっていたのですが、円珍の弟子達は、円仁派と対立した際に、山を下りて園城寺に拠を移したそうです。
ちなみに、真言宗はもっと派閥が多くて、もうよくわかりません。
こちら「龍泉辯財天」。
写真ではよくわかりませんが、ちゃんと島になっていて、本来であれば水が張られた池に浮かんでいたものと思われます。
「弁天様」は近くに水があるか、島の上です。
さて、参道を下っていくと、そこには「御嶽神社」というのがあるそうです。
農道?
この右手に、
「津島神社」があります。
「津島神社」の手前には、なにやら礎石っぽいものがあります。
神輿の渡御所だったりしたんでしょうか。
で、向かって左手にあるのが、
「御嶽神社」です。
御嶽講については、勉強せねばせねばと思ってはいるんですが、なかなか……。
様々な名前(◯◯霊神)が彫られています。
多分、先達なんでしょうねぇ……。
知らんもんは知らんですもん。
傍らに、ひっそりと「庚申塚」。
「御嶽神社」からさらに下ると、「大師堂」があります。
天台宗も真言宗も御嶽講も、もう何でもこいや、って感じでしょうか。
神仏分離以前は、特に違和感のない光景だったんでしょうねぇ……。
さてさて、そんな「龍泉寺」ですが。
なんと、
お猫様
が多いことが発覚!
仔猫も多かったので、昨年生まれたんでしょうね。
なかなかな猫寺っぷりでした。
こんなところにもいます。
さてさて、本尊の「馬頭観音」は、観音には珍しく(というか唯一)忿怒形をとっております。
なので、明王に加えられたりもします。
梵語の意味も「馬頭・馬頸」で、頭の上に馬の首を乗せておられます。
「衆生の無明煩悩を、馬が草を食べるようにむさぼり尽くす」という意味で、忿怒形もそれだけ慈悲深いのだということなのだそうです。
これが後に、「馬の守護本尊」ということになり。
その流れで、「馬の安全を守る=移動の安全を守る=交通安全」、と御利益が移っていったんでしょう。
こちらの「龍泉寺」のように、「開運」や「厄除」を御利益としているのが本来です。
で、「開運閣」ですか……そこまではわかんなかったわ。
ちなみに「龍泉寺」、「尾張四観音」のうち、
平成二十六年の恵方
だそうです。
たまたま、「尾張四観音」で残っていたので行ってみたら、恵方だった……。
こりゃ、今年は
残り物には福がある
ってことですかね。
ともあれ、「尾張四観音」巡礼終了〜。