9/21。
よんどころない事情で、友人なるみ氏を道連れに、早朝から大阪へ旅立ちました。
素晴らしくいい天気。
名神高速で大阪に入り、脇目もふらずに到着したのは「住吉大社」。
◯こちら===>>>HOME | 住吉大社
駐車場の方から入りましたので、ちょっと写真の順番が微妙ですが。
「禁裏御祈祷場所」とあります。
「勅願所」と同じ意味らしく、天皇により祈願されたところ。
「反橋」。
もうちょっと写真が鮮やかであれば……。
いたるところに石燈籠が置かれています。
各地から奉納されたものらしく、「住吉大社」の隆盛ぶりを物語る、といったところでしょうか。
朱塗りの門の前には「住吉鳥居」。
柱が「角」になっている様式が珍しいですね。
昔は、柱を立てるときには、丸太のまま立てていました。
それを「角」に加工する、というのが最初のエポックメイキング。
木は「木材」になったわけです。
ですから、「角」の柱というのは、ある時期まで「手間をかけた」ものだったはずです。
時代が下ると、木を「木材」に加工するのは当たり前になります(道具の発達もあるでしょうし、保存のしやすさ、寸法のとりやすさ、場所の確保などいろいろな意味があるでしょう)。
そうすると、今度は「木材」を「円柱」に加工する、という転換点が訪れます。
つまり、「角柱」を「円柱」に加工する、という手間が加えられます。
そうすると、「角柱」より「円柱」のほうが有り難いもの、になります。
こういった時代における変化がどうなのかは知りませんが、「住吉鳥居」が「角」の柱を使っている、ということは古い様式なのではないか、と思わせるものがあります。
……思わせるだけですけどね。
第一本宮。
本殿は朱塗り白壁の豪華な様式、その前の拝殿は桧皮葺のシンプルな様式。
逆さにした「T」のような配置になっており、独特です。
第二本宮。
意味もなく雲を撮影。
第三本宮。
こうしてみると、奥から第一、第二、第三本宮が、一直線に並んでいることがわかります。
そして、第三本宮の横に、第四本宮。
こちらは御祭神「息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)」、つまり「神功皇后」ですね。
北西から南東を向いて撮ってみました。
不思議な配置です。
時間の許す限り境内を〜ということでまずは「鉾社」。
剣の神様ですな。
……早速、こりゃなんでしょうな。
多分、お社ではなく庫かと思います。
屋根の感じが素敵だったので撮影したものと思います。
お社だったらごめんなさいです。
「大神宮」。
堂々と「鏡」が表に出ているのが珍しいので撮影しました。
「伊勢神宮」の遥拝所的な役割でしょうか。
御神木を祀っています。
名前は特についていなかったような……。
この木はなんでしょうねぇ……木に疎い私です。
「初辰まいり」というのが盛んな様子の「住吉大社」。
こちら(>>>初辰まいり | 住吉大社)にて詳しく解説されています。
「初辰」と「発達」をかけているんですね。
「初辰まいり」でお参りする一つ、「楠珺社(なんくんしゃ)」。
てっきり、楠木正成公に関係があるのかと思いましたが、お稲荷さんでした。
お参りすると、毎月「招福猫」が授かるのだそうです。
ちょっと集めたいですな。
井戸。
「楠珺講」と掘られています。
お稲荷さんですな。
「貴船社」〜。
「立聞社(たちぎきしゃ)」〜。
天岩戸神話では、祝詞を唱えたお方です。
中臣氏/藤原氏の氏神として、奈良の「春日大社」に祀られています。
昔は、こちらも「春日社」と言ったそうです。
縁切りの神様としても知られているそうで……「立聞」が、「断ち効き」に通じるからでしょうか。
「初辰まいり」ポスター。
……あ、これが「招福猫」なのか。
ネズミにしか見えませんでした。
……何を祀っているのか全く思い出せない。
石です。
「五所御前」。
砂利の中に「五」「大」「力」と書かれた石が混じっていて、それを見つけてお守りにすると願いが叶うそうです。
……RPG?
また蔵を撮っちゃった。
「若宮八幡宮」。
「誉田別尊(ほむだわけのみこと)」すなわち「応神天皇」と「武内宿禰(たけしうちのすくね)」を祀っています。
八幡様では、「応神天皇」「神功皇后」「武内宿禰」は大体セットです。
覚えておきましょう(何で?)。
電話ボックス自体が懐かしい……。
「誕生石」。
島津初代の忠久公誕生の伝説が書かれています。
……その石が写ってませんけどね。
まぁ何にしろ、石灯籠が多いです。
「住吉鳥居」に意匠をあわせたのか、角柱ですね。
万葉時代を偲ぶ碑がいくつも。
地理にも疎い私です……一体何なら詳しいのか。
こちらは「住吉鳥居」ではありません。
足早に一周〜。
もっといろいろ、じっくり見たかったところですが、よんどころない事情があったものですから。
さて、住吉三神と「神功皇后」が一緒に祀られているのは、記紀神話にある通り、熊襲や新羅を討つ際に、住吉三神が神がかったから、です。
三神は戦の後に、住吉の地に鎮座することを望まれて、ここに祀られた、ということです。
「神功皇后」は、『日本書紀』において唯一、皇后でありながら一章を割かれています。
またその記述の中に『魏志』からの引用があり、「卑弥呼」と同一視されることもあります。
日本最初の女性天皇は「推古天皇」ですが、それ以前に女帝があってもおかしくないわけで、どうして「皇后」のままで『日本書紀』に採られたのか、というのが大きな謎になっています。
「神功皇后」だけで、本が何冊も書けてしまうわけですが。
ここでは、「住吉大社」の本殿配置について、よく知られる(若干トンデモな)説を書きます。
さて、住吉三神は、それぞれの名前に「ツツ」が入っていることから、星の神ではないかと言われています。
何故「ツツ」が星なのかといいますと、どこかでも書きましたが、「昔の人は、星のことを、空に空いた筒状の穴だと考えていたのではないか」、です。
で、その星が三つ並んでいる。
そうするともう、オリオン座の三ツ星じゃないのか、と思いたくなるわけですね。
ほら、ギザの三大ピラミッドも、オリオン座の三ツ星の配置じゃないかと言われていますから。
もうですね、三つ並んだらオリオン座なんですよ。
……すいません嘘です。
……で、「住吉大社」の第四本宮、「神功皇后」を祀ったお宮が、いつ加えられたのかはわからないそうです。
わざわざ、第四本宮だけ横に配置したのは、オリオン座の三ツ星である住吉三神の並びを崩したくなかったから、ではないでしょうか。
それに加えて。
wikipediaでも何でもいいので、オリオン座の画像を検索していただきますと、三ツ星の向かって左の星、その星のすぐ下辺りに小さい星が描かれています。
この四つの星の配置が、「住吉大社」の本殿の配置とよく似ているのです。
「住吉大社」に四つの本殿を配置した人物は、天上の星座を地上に描いたのです。
……信じるか信じないかは……やめとこ。
大阪に抱いているイメージと違って、とても静かで素敵な場所でした。
星のロマンを追い求め〜。