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「三井寺」周辺ぐるぐるをひとまず終了(「長等神社」はまたの機会に)。
近江にせっかくきたので、「建部大社」へ行かねば。
○こちら===>>>
瀬田の辺りが結構混んでいる……あれ、ひょっとして大人気スポットなのかしら。
あまり考えず、ナビの示すままに進んでいくと……鳥居をくぐったような……あ、駐車場があった(安心)。
駐車場でぐるりと見渡してみると、
……なにこれどういうこと?
すごい誘われているんですけど……ああ……他の目的地さえなければなければ……この辺りでぐるぐるしていたかったですわ。
はぁ……事前調査不足……とはいえ、次に近江にくる楽しみができたということにしておきましょかい……。
「近江一の宮 建部大社
御祭神
本殿 日本武尊
相殿 天明玉命
権殿 大己貴命
由緒
当社は近江国の一の宮と称えられ景行天皇四十六年(西暦三一六)四月神崎郡建部郷千草嶽に、日本武尊の御神■を建部大神としてお祀りしたのが創りである。
天武天皇白鳳四年(六七五)四月に近江国府のあった瀨田の地にお遷し此の国の守護神として仰ぎ奉られる様になった。天平勝宝七年(七五五)には孝徳天皇の詔により大和一の宮大神神社から大己貴命を勧請し権殿が奉斎せられ現在に至っている。
例大祭 四月十五日
船幸祭 八月十七日」
歴史などは、また後ほど……。
うーん、天気がいい。
後で、と思っていたらわかりやすい年表が……素晴らしい(感動)。
ま、でも後で……。
神門。
拝殿と御神木。
結婚式が行われておりました。
拝殿と本殿の間に屋根あり。
向かって左が本殿、右手にちらりと見えるのが権殿です。
本殿左手には、
「聖宮神社」(「景行天皇」)、
「大政所神社(「播磨稲日太郎姫命」)」、
「行事神社(「吉備臣武彦」「大友連武日」)」、
神社命が中世めいていますが、御祭神は「日本武尊」の父母、それからその軍の重要人物達です。
本殿、権殿をもう少し近くから。
境内のどこかにある「菊華石」。
古代のウミユリか何かの化石だったかな……そんな知識のない人々は、これが出てきたらびっくりするでしょうね。
特に菊の紋章を神聖視している人たちは。
まさに神の御業、でしょう。
近代ヨーロッパにはその反対に、でっち上げられた適当な石を「謎の化石」として世に出して大ひんしゅくを買った人もいましたっけ……あれ、誰だったっけ……そうそう、ベリンガーさん。
……あれ、これはなんだっけ。
菊の御紋の入った瓶、なんですが……。
由来とか書いてあったと思うんですが……。
本殿、権殿の屋根のアップ。
金具の細工が素晴らしいですね……葵の御紋ですけれど……。
狛犬さん。
銅でもふかれていたんでしょうか……緑青っぽいものが。
昭和20年だというのに、「日本武尊」をお札の肖像に選んだ、というところがなかなかすごいと思います。
本殿向かって右手からの遠景。
本殿、権殿が並ぶ様子がなかなか不思議ですね。
さて、向かって右手にも摂社が並んでおりまして、
「箭取神社(「石占横立」「田子之稲置」「乳近之稲置」)、
「弓取神社(「弟彦公」)、
「若宮神社(「建部稲依別命」)、
「藤宮神社(「布多遅比売命」)」、とやはり「日本武尊」の妃、御子、家臣が祀られています。
左右の摂社のうち、「日本武尊」の親族が上座四座、家臣が下座四座、という配置になっています。
この配置に意味があるのかなんなのか……。
本殿向かって右手に、境内を巡っていきますと、
宝物殿。
入りたかったですが、時間がね……泊まりだったら全然入ったんですけれど。
「彌栄の御神木(産霊の樹)」。
松のようです。
この建物自体はなんでしょう……絵馬堂かな……。
宝物殿の隣に昔の碑がありました。
奥は官幣中社になっていますね(最終的な位階は官幣大社だったはずです)。
「八柱神社」。
狛犬さんが焼き物です(結構珍しいですね)。
社殿も苔むして、常若を表しているようで、好ましいです。
「武富稲荷神社」。
小ぶりながら堂々と。
えんむすんじゃいます「大野神社」。
御祭神は「草野姫命(かやぬひめのみこと)」。
○こちら===>>>
「萱津神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑愛知県なら「萱津神社」が有名でしょうか。
「桧山神社遥拝所(桧山神社旧本殿)
この神社は境内御旅山に鎮座し御祭神伊邪那美命・大山祇命・息長足姫命・武内宿禰大臣・住吉大神を祀り元熊野神社・山神社(七ヶ所)・鞭指神社の御祭神を合祀して桧山神社と改称された。平成七年四月本殿改築に伴い江戸時代建立の本殿を解体修理をしてこの地に移築し遥拝所として保存する事となった。尚屋根は元来の手法を踏襲し高野槙の杮葺とした。」
「御旅山」というのは、本殿左後方の山のことのようで、他の摂社末社が東や西を向いているのに対し、遥拝所ですので当然その山に向かっています。
「日本武尊」に由来する摂社以外は、境内の端っこに寄せられている様子を見ると、「建部大社」のために移動させられたような感じがしますね。
おっと、キリシタン灯籠です。
「小燈籠
禁教時代の織部型キリシタン燈籠と精査されている。
大友氏と関係深いラテン語の三文字が刻まれた下に南蛮服をまとい靴をはいた西洋人の姿が見受けられる。
大燈籠と同じ由縁により大小燈籠と一対をこの場所に移築した。
同型のものが京都・北野天満宮三光門脇に建立されている。」
うーん、人の形はまだしも、ラテン語は私には読めませんね……。
もっと近くでじっくり見ればよかった。
「大燈籠
古代百済から渡来し進んだ土木技術を持った大友氏一族が「瀬田の唐橋」の安全を祈念し奉納したと伝えられ、旧瀬田城址・臨江庵(旧膳所藩家老の別邸)の庭に建立されていた。
この度は大正四年御大典記念・大正五年当社創立千八百年祭の為に整備され、当社の大祭毎に別邸を斎館として使われた由縁をもってここに移築した。
高さ五米四十糎」
大友氏、大伴氏、「大友皇子」、壬申の乱の決戦の地・瀬田……歴史ロマンが詰まっています。
昔は瀬田の常夜灯だったのかもしれないですね。
「建部大社
瀬田神領の地に鎮座以来1300余年の古社で「近江一の宮」として知られる由緒ある大社。
文武両道に勝れた神、日本武尊と大国主神を祀り、出世開運、縁結びの神として古くから崇敬が厚い。
境内には重文の石灯篭一基、また重文の女神座像三体は、宝物殿に納められている。
なお、大津三大祭の一つ「船幸祭」は、8月17日に行われる。」
ぐるっと巡っていたら、結婚式の人たちがいなくなっていたので、拝殿を遠景で。
綺麗な入母屋・妻入ですねぇ……。
御朱印。
全国の一宮も広く浅く当たっていますが、やはり九州・四国・山陰・東北がネックですね(ほとんどだ)。
何とか一巡りしたいものです。
引用などは次回に〜。