「厳島神社」だけでは終わらないのが、宮島。
とはいえ、何があるのかわからない、宮島。
すみません、事前リサーチが本当は苦手なので……。
とりあえず、行き当たりばったりで、「清盛神社」。
西松原を進んでいった先にあります。
元々は「三翁神社」に祀られていたものを、戦後にご遷座されたそうです。
枕崎台風(昭和20年)で土石流が発生し、その際の大量の土砂を埋めて、西松原を延長した後、そこに鎮座された、と宮島公式HPにはありました。
「清盛神社」付近から、本殿を望んでみました。
次は「大願寺」。
真言宗のお寺です。
元々は、宮島の普請奉行の地位にあったということです。
「弁財天」は、島におられるものなんですねぇ、日本では。
「びんずる様」はこちらにも。
第二次長州戦争の講和の際に、幕府側と長州側の講和会議が行なわれたところ、だそうです。
それよりも、写真上の方、橋の模型を撮影したかったのです。
ちゃんと写ってませんけど。
全景。
逆光。
お寺、という感じがしないのは、あまりに開かれているからなのか。
もちろん、本堂にはおいそれと上がることはできませんが、何とはなしのオープンさがあります。
平成18年に建てられた、不動明王の大仏、が安置されているお堂。
堂宇内の仏像を写真に撮れるほど剛毅な性格ではありませんもので(撮影禁止だし)。
4メートルはあるそうです。
「厳島龍神」。
「弁財天」が既に龍神ですけれども。
なるほど、九州地方の神社の修理造営にも、宮島の職人集団が出向いていたんですね。
そういえば、九州もすぐそこですねぇ……思えば遠くへ来たもんだ。
仁王門。
さ〜て、島の中をふらふらするぞ〜、というわけでまずは、「大願寺」の門近くにあった、「金刀比羅神社」〜。
鳥居が黒い。
ずいぶん乱暴だなおい。
しかし、いずれも海の神様ですからなぁ……。
あわせて祀られている「佐伯鞍職」は、「厳島神社」を創建したという伝説がある人物。
代々神主職を世襲した佐伯氏の初代、と困ったときのwikipediaには書かれていました。
そこから、山沿いに歩きまして、「大聖院」に。
宮島の山を「彌山(みせん)」と言います。
「須弥山」からとられた名前らしいですが、元々は「御山」と呼んでいたようですから、そこから転じて「みせん」でもまぁ不思議ではないでしょう。
階段……。
元々は朱塗りであったらしい金剛力士像。
宮島に相応しい、という感じがします。
立派な手すりには、経文を刻んだ筒が取り付けられています。
「マニ車」の一種、でしょうか。
登っていくと、とにかくお地蔵様が多いです。
……あれ?
……あれれ?
「彌山」の案内図……一日で回れませんわこんなもん。
おや、と思ったら三面の「大黒様」。
「毘沙門天」と「弁財天」が合体しています。
こういった像は、他の寺院でも見られるものだと思いますが、なかなか見られないとも思いますので。
宮島七福神……何堂だったかなぁ……記憶がもう遠くて……。
振り仰いでみれば、高いところにも堂宇あり。
あそこまでは行けないかなぁ……。
何堂だか忘れたお堂と、下は「愛染明王」のお堂。
仏像を写真におさめないようにすると、何だかよくわかりませんなぁ。
出ました「マニ車」。
般若心経かな……違うか。
お経には全く詳しくない私です。
上るなぁ……。
……あれれれ?
とりあえず本堂らしきところまでやってきました。
何故か、ニューウェイブ系っぽいシンセサウンドが流れておりまして。
生演奏がされておりました。
……謎。
だったんですが、立ち止まってはいられないので、いそいそと降りることにしました。
下りがまたしんどい……太もも肉離れしそうです。
下ってきて、しばらくいくと「粟島神社」が。
歴史的建造物が多く残されているようで、詳しく回ることはできませんでしたが、宮島の歴史も勉強したくなりましたな。
「三翁神社」。
もっぱら、恐らく「厳島神社」造営に関係のある人物を祀ったお社のようです。
元々は「山王社」だったそうですから、比叡山と関係がありそうです。
続いて、「荒胡子神社(あらえびすじんじゃ)」。
こじんまりしたお社です。
観光客のみなさんは、あまり興味がないようでした。
「素戔嗚尊」と「事代主神」が一緒に祀られている、というのは案外珍しいのではないでしょうか。
そろそろ足がぱんぱん……限界と思っていたら、「五重塔」の下を通りがかってしまいました。
ああ上るさ、上ればいいんだろ?!
若干切れ気味になりながらも、階段を上ってみれば、眼下に「厳島神社」本殿を望むことができて……写真じゃまったくわかりませんが……なかなかの景色でした。
まずは「千畳閣」。
今は、「豊国神社」でもあるそうです。
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)という人物が、豊臣秀吉に命じられて建立したそうです。
ええと……毛利元就とか、陶晴賢とか、まったくもって詳しくないです……すみません。
鎌倉〜近代までの日本史に、本当に疎いもので……勉強したいなとは思うのですが、ほぼ近代史じゃないですか、資料も多い、とっかかるには壁が高いです。
だから、ほったらかしです。
移動するときは、ここを潜っていきます。
メガストラクチャ〜。
景色はやはり絶品でございました。
畳が800畳以上敷かれたことからその名があるそうですが、とにかくでかい。
しかも、完成前に秀吉が亡くなったため、天井をつけていない。
こんな構造、なかなか見られません。
拝観料をお支払いすれば、自由に上がれて、しかものんびり休憩することができたりします。
ちょっとゆっくりしてみました。
「千畳閣」横にある、五重塔。
屋根が反っているのが、何だか突っ張っている感じですね。
ふぃ〜……。
じゃ、また、下りますか……。
松、撮ってみました。
「龍髭の松」、だそうです。
ドラゴンビアード、ですな。
ぜーんぜん大きさが伝わりませんが……。
最近あまり見かけませんが、紀元の年数。
「幸神社」、読み方不詳ですが、「さち」か「みゆき」でしょうか。
「かつては疫病の神・牛王が祀られ」というからには、「牛頭天王社」だったものと思われます。
「陰陽石」があって、「道祖神社」とも呼ばれていた、らしいです。
普通、「牛頭天王社」は、「素戔嗚尊」を祀る神社に変わることが多いと思われますが、こちらの神社は「猿田彦神」になっています。
ということは、「牛頭天王」を祀ったものと、「道祖神」を祀ったものと、別々に存在していたのが、いつの間にか一つになったのかも知れません。
「牛頭天王」は「疫病神」で、「猿田彦神」や「道祖神」は「境界の神」です。
流れ込む「疫病」を防ぐのが「境界の神」の役割、のはずです。
それが一緒になっちゃっていると、何となく本末転倒な感じが……。
まぁ、「牛頭天王」は「疫病神」そのものから、「疫病を避けるための神」になっていきましたから、さもありなん。
こちらも、あまり大きな神社ではないですが、かつてにぎわいを見せたという通りにあり、しまった景色の写真がない、往時を偲ばせる何とはなしの風情がありました。
……超消化不良だった……。
宮島、魔境ですな……これほど見所に溢れているとは思ってもみませんでした。
で、妄想をこねくり回すほどの知識もない、と来ています。
……いつかリベンヂを。
3泊はしたいところです。