多度大社延長戦。
それほど量はありませんが。
「多度大社」のお隣には、「多度観音堂」。
安置されている「十一面観音菩薩」、「千手観音菩薩」、ともに「多度大社」の神宮寺と関係がある、かも、だそうです。
「明治にいたるまでたびたびの洪水にあい、もとの御堂の位置は確かではありません」
ということです。
洪水にあったことはわかっているようなので、この辺りにあった、んでしょうか。
うーん……よくわかんない。
いつかの名古屋市長が書いている扁額。
「梵鐘の由来」が書かれています。
それほど大きいものではないですが、貴重なんでしょうね。
刻まれた文字はもう、読めませんけれども。
お堂の中。
ご本尊を撮影するのは、何となく気が引けます……。
かつては神馬の住んだ神域も、今じゃ荒くれ猿の住処ですか……。
それとも、昔から、猿もいたんでしょうかね。
さらにお隣には、「多度稲荷神社」が。
「元治元年(1864)、多度の庄屋が伏見稲荷大社に参拝し、七日七夜の行を修め、御分霊を拝戴して現在のところにお祀りいたしました」
とのこと。
神職でなくても、勧請することができるんですねぇ。
今でも、個人が勧請することは難しいでしょうが、地域の力で、ということはあり得ると思います。
簡単な写真しかありませんが。
「多度稲荷神社」方向から見た「多度大社」。
末社「鉾立社」。
忘れるところでした。
鳥居の前に、ぽつねんとある物ですから。
御祭神は「天久之比乃命(あめのくしひのみこと)」。
何者かわからないので、さくっと検索。
『新撰姓氏録』という、てっきり新選組のメンバーの名前が書いてあると思っていた文書に、
「桑名首天津彦根命男天久之比乃命之後也」
とあるそうです。
「桑名首(くわなのおびと)」という氏族は、「天津彦根命」の「男(むすこ)」の「天久乃比乃命(あめのくしひのみこと)」の後裔、ということですね。
祖先神であり、地主神でもあるので、地元の英雄的な存在なのでしょうか。
で、ですね。
何で、「鉾」を「立」てているんでしょうかね。
それにこのお社、小さいですが、本殿の方を向いているんですよね。
ちょっと古いバージョンの「多度大社」HPには、
◯こちら===>>>多度大社 末社
「この御社が境内の入口にあたる場所にあり、しかも神社内側に向かっているのは、御社地の南側(人と接する側)を守護する願いが込められているのかも知れません。」
と書いてあります。
……そうですかね?
普通、そういう役割をするのは、「見張り番」ではないですか?
で、何を見張っておいでなのかというと、恐らく自分の父神である「天津彦根命」と、兄弟神である「天目一箇神」。
「多度大社」の本宮と別宮は、ずいぶん奥の方に押し込められているように感じます。
「出てきちゃだめよ」、と。
で、「鉾」を「立」てている「見張り番」がいる、と。
「天久之比乃命」が「天津彦根命」の御子神、というのはちょっと信じられないですねぇ……。
まぁ、摂社末社を含めた社の配置がいつの時代から決まっていたのかを調べないことにはわかりませんが。
妄想ですから、ご勘弁を。
それにしても、縦長だったなぁ……。
「多度大社」への目印としては抜群の大鳥居。
車の中から写真を撮るのは危険ですからやめましょう(私は、赤信号で停車中にぱしゃり、と)。
うーん、やはり祭が流行っている神社は栄えていますねぇ。
そして、こうやって栄える一つの条件は、
「綺麗なトイレがある」
ことではないでしょうか。
特にオチはありません。

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