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「南宮大社」へお参りしました。
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美濃の国一の宮です。
曇っている上に逆光ですので、写真はお見苦しいかと。
「御祭神 金山彦大神
御鎮座は古く人皇十代崇神天皇の御代と伝えられ
国府から南方に当たる故南宮大社と称せられている
古来金宝の守護神 破魔除災の神と御神威高く
既に千年前延喜の制に国幣大社に列せられ一宮
として亦広く金之総本宮として崇敬厚い名社である
御社殿は関ヶ原合戦の兵火に遇いて炎上の為
神仏分離令に依り堂塔は他に移建され今日に至る(後略)」
とのことです。
パノラマ。
暗いので分かりづらいですが、朱塗りの社殿が鮮やかです。
「旧に復した」とありますが、昔から朱塗りだったのでしょうか。
徳川家光が再建した、ということは、あれですあれ。
日光東照宮、いわゆる権現造が流行った頃なのだと思います。
だから、こんな感じになったのでしょう(妄想)。
江戸期の物ですから、楼門も近代的ですね(何か、意味違う)。
橋。
石輪橋。
渡れません。
頓知で渡ることもできません。
神様しか渡れない、のだそうです。
蟇股のところに鮮やかな彫刻がある、というのも権現造に近いですね。
御随身。
色褪せてますな。
それがいい味、になっていると思います。
内側には狛犬です。
内から外を見てみました。
高舞殿。
四方の蟇股には十二支の彫刻があります。
パノラマパート2。
拝殿です。
……自分でも驚きましたが、ちゃんと正面から拝殿を撮影した写真がありません。
なにしてんだろう……。
パンフレットの境内図によりますと、本殿の脇に、「隼人社」「樹下社」「高山社」「南大神社」、背後に「七王子社」が祀られています。
それぞれの詳しい由緒はわかりません。
一の宮ですから、辺りから集めてきたのかなぁ……という気がします。
回廊なんかには、奉納された金物が飾られています。
大工道具が多いでしょうか。
さすが、金物の神様、です。
さて、南門から外に出てみましょう。
近くにあるのが、「金敷金床社」と「石船社」。
「石船社」は、社殿はないのかな……。
金属を鍛えるときに、下に敷くものを「金敷」とか「金床」といいますな。
「石船」は、「天磐船(あまのいわふね)」のことでしょうか。
「鳥乃石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)」、「天鳥船神(あめのとりぶねのかみ)」と書けば、建御雷神が高天原から下ってきたときの乗り物、ということになります。
「天磐船」であれば、「ニギハヤビノミコト」が、天孫「ニニギノミコト」に先立って天降ったときの乗り物ですね。
この「ニギハヤビノミコト」という方は、古代史の話になるとあっちこっちで引っ張りだこの人気者で、本が何十冊と書けてしまうので、とりあえずほっときます。
「聖武天皇大仏建立勅願所」
聖武天皇の頃には、ここに「宮處寺」と「曳常泉」があった、ということですかね。
「曳常泉」……意味は分かりますが、読みが分かりません。
「湖千海神社 帳内引常名神」。
新しいであろう鳥居にはこうありますので、「ひきつねみょうじん」と読むのでしょう。
ということは、「曳常泉(ひきつねのいずみ)」でしょうか。
手前に「引常明神 磐境」があります。
記紀神話には有名な「豊玉毘売命(とよたまひめのみこと)」という方がいらっしゃいまして。
こちら、山幸彦(ヒコホホデミノミコト)の妻になった海神の御子神で、正体が「八尋鰐(ワニ、は日本では鮫を差していますので、大きな鮫の意味)」であることがバレてしまったので、夫の元を去っていった方です。
「見るなの禁忌」ですね(「鶴の恩返し」とかと同じです)。
神話のモチーフに鮫が選ばれたのは、ある種類の鮫が「胎生(卵を体の中で孵化させる)」だったからでしょうか。
陸上の動物に近い、と考えられたのでしょう。
あ、で、「豊玉彦命」は、「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」の別名ではないかと言われています。
海の神様です。
こんな碑が。
往古よりこの泉は常世(神仙界)の霊気を常に引き寄せられる神泉と仰がれ常世に坐して潮の溢涸を司られる豊玉彦命は引常明神と称えてここに迎えられ湖千海神社(こせかいじんじゃ)に祭られてきた。
聖武天皇は大仏建立の御願厚く天平十二年(740年)ここに行幸され金山彦命の神助を請いこの霊泉を汲まれ大仏建立の大業を果された
鎌倉幕府の北条政子は亡き将軍源頼朝公の菩提の為に神縁深い南天竺の鉄塔を建立し金水の和合を祈願した。神宮寺側はこの水を如法水と呼びこれで写経した経文を塔内に納め南山の寿(不老長命)を祈るを古例とした神社にあってはこの境内で古神札を焼納し諸神の常世帰神昇神を祈るを古儀として来た
曵常泉は南宮大社弥栄の源泉であり神泉であった」
だそうです。
「湖千海(こせかい)」って何でしょう。
当て字っぽくはないですし。
「湖」って、「潮」の間違いじゃないんですかねえ、海の神様だし。
北条政子が建立したという鉄塔を再現したものでしょうか。
いきなり、南天竺が出てくるので何事かと思いましたね。
常世を「神仙界」って、道教っぽいですし。
何故、北条政子が「金水の和合」を祈願したのでしょうか。
明らかに、陰陽五行説の匂いがします。
何が金気で、何が水気だったのか……。
沢蟹、見つけました。
そういえば、「南宮大社」も森が深いです。
あいにくの天気だったこともあって、湿気が強く、そのせいか森の気配もより強かったです。
これも、経塚なんでしょうかね……。
そのまま奥に向かいますと、何かよくわかりませんが、近くに「軍人勅諭」の碑があるので、多分「護国神社」か「招魂社」だと思います。
「瓦塚」。
なかなかないモニュメントです。
そんなに古くはないでしょうけれど。
さてここから、もっと歩いて「南宮稲荷神社」へ。
こちらの建物はなんでしょう……講をするときに集まる場所かな。
まだ奥にありましたよ稲荷様。
その先にも道がありました。
そういえば、このまま山を登っていくと山頂に着いちゃうんでしょうか。
駐車場には、ハイカーっぽい人たちもいましたし。
上るのもまた一興か……。
帰りますけどね。
帰り道に、一段高いところにいろいろとお社が並んでいました。
「荒魂社」。
どなたの「荒魂」なのか……。
「東照宮」。
……まぁ、家光さんが再建したお社ですから、あっても不思議ではないですな。
昔は、この辺りに本殿があったとかなかったとか(この辺りってどこよ)。
「伊勢両宮」。
写真としては、気に入っています(苔とか)。
……で、また「南宮大社」に戻るわけですが、今見てきたのは、「南宮大社」の摂社末社なんでしょうかね。
その辺りの解説はなく。
由緒書でも購入すればよかったのでしょうか。
参道を見てみました。
そういえば、「南宮大社」、本殿が南面していないんですよね。
東向きです(やや南東か)。
東には何があるんでしょうかねぇ……。
あるいは、西には(伊吹山がある、らしいですけれども)。
こちらの案内図には、駐車場横にあるこのお社は「数立神社」と書かれています。
パンフレットには「美濃国総社」。
……どっちが正しいのか、どっちも正しいのか。
うーん。
……急に出てきたな、「見野命」。
読み方は、「みののみこと」でしょうか。
美濃国と何か関係があるのか……。
さて、「金山彦大神」ですが、記紀神話では大した活躍はいたしません。
「イザナミノカミ」が、火神「カグツチ」を生んだあと、あまりに苦しいので吐き出したものから生まれたのが、「カナヤマヒコノカミ」と「カナヤマヒメノカミ」です。
火神生殺の神話自体が、金属を鍛えることの寓話ではないか、と言われていますが。
それにしたって嘔吐物から生まれますか。
と思いきや、この国では食べ物なんかも嘔吐物から生まれていたりするので(「オオゲツヒメ」の神話等。その後殺されちゃって、死体からいろいろな穀物などが生まれる神話をハイヌウェレ型神話と言う、らしいです)、「体」から出てくることはイコール「生まれる」という意味なんだと思います。
で、「生まれた」だけで、「生んだ」わけではないのに、「金属を生み出す」鉱山の守護神になっていたりします。
この読み替えはなんでしょうねぇ……。
伊賀国一の宮の「敢国神社」には、「カナヤマヒメノカミ」が祭られており、それはこの「南宮大社」から勧請したことになっています。
だから、ペアでは祀られていないんでしょうか。
「多度大社」に祀られている、「天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)」は、鍛冶の神様です。
美濃から伊賀、伊勢にかけて、こういった金属関係の神が祀られているのには、何か意味があるのだと思います。
そうした神を祀る氏族がやってきた、ということなんでしょうか。
岐阜県には、刃物で有名な関市があります。
何かつながっているんでしょうかね。
さてさて、先学のブログ等を拝見しますと、「南宮大社」、どうやら「諏訪大社」と関係があるのではないか、という説があるそうです。
現身日和【うつせみびより】 | 南宮大社は謎が多くて魅力的なオススメ神社 ~滋賀岐阜歴史編17
何がどう関係しているのか、浅学な私では何ともわかりませんので、勉強したいですなぁ。
古文書が読めないとだめですか……。
ちなみに、南は、陰陽五行説によれば「赤色」です。