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豊川市からたらたらと名古屋へ向う途中、そうだと思って安城市に。
「不乗森(のらずのもり)神社」へ。
◯こちら===>>>
三河地方をつらつらと検索しているときに発見。
神社名(字面含めて)のかっこよさでは愛知県ベストスリーに入るのではないか、と思う厨二病。
◯こちら===>>>
「闇之森八幡社」(中区) - べにーのGinger Booker Club
「闇之森(くらがりのもり)八幡社」に匹敵するかっこよさ。
社標。
枯れてますね……現実時間はもう10月で、また枯れ始めますね……いや時間かかりすぎで申し訳ない。
鳥居。
周辺の史跡図です。
忠魂碑、かな。
神社は常若、が基本です。
おや、山王鳥居、ということは「日吉大社」系列、御祭神は「大山咋神」でしょうか。
「当神社創立は第六十三代冷泉天皇の御代(九六八)に滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社東本宮の御祭神を此の地に勧請奉祀したと伝えられています昔より鎌倉街道に沿い往来する人々はうっそうとした社頭に下馬し旅の安全を祈願して通行したので、のらずの森と云われました
御神徳は当地方の大氏神山王宮として称えられ、土地開拓及び殖産縁結び交通安全の神として民衆に崇敬の篤い神社であります
例祭日 十月九日
湯立神事 三月九日
境内末社 東日吉社 神明社 山神社 秋葉社 厳島社 津島社 稲荷社
境外末社 社口社 東山秋葉社」
なるほど、本家から勧請、ということでしたか。
伝承にしろ、かなりの古社ですね。
狛犬さんたら、
狛犬さん。
鳥居。
拝殿前には、マサルさんたら、
「日吉」系ですからね。
拝殿と回廊がくっついた……何ていうんでしたっけ……。
神楽殿、かな……いや、狛犬さんがあって、平入で、ということはここが元々の拝殿でしょうか。
三猿。
「幸福釜」という御釜。
社殿向かって右手からの、本殿方向。
名前が見えない……。
その隣の「稲荷社」。
「稲荷社」の鳥居。
「東日吉社」……御祭神は「大山祇命」……あれ、「東本宮」から勧請したのなら「大山咋神」のはずなんですが、でもそれは本殿っぽいので……「東日吉社」って何なんでしょうね……。
「秋葉社」。
「厳島社」。
えっと、境外に出ているのかな……今までは、社殿向かって右手へ進んできましたが、そこからはちょっと外れています。
「社口社」。
「シャグチ」、「社宮司神社」のことだと思われます。
「神猿神社」。
神使である「神猿」も、神社に祀られているようです。
境内を石鳥居のあたりまでもどっての、子安石。
新しいっぽいですが、どうなんでしょう……古いとしたら道祖神なのでしょうが、真ん中に子供がいるというのが珍しいかな。
御神水。
社殿向かって左手……なんでしょう、土俵でも作るんでしょうか……。
奥の方に祠がありますね。
こちらは、神楽殿か拝殿の、蟇股の彫刻。
ところどころ脱落してしまっていますが、十二支です。
社殿向かって右手の、境内摂社。
社務所方面……さざれ石と、おっと、「天満社」がありました。
社務所の近くに御神田。
御朱印……はいただけるのだと思うのですが、御神職不在で残念。
さて。
↑の公式HPより、由緒を引用させていただきます。
「当神社の創立年代は、第六十三代冷泉天皇の御代(九六八年)近江国坂本村(大津市坂本町)に鎮座まします日吉大社東本宮の御祭神大山咋命の御分霊を観請して奉斎申し上げたと伝えられる古社である。
当時社頭は、旧鎌倉街道に沿い「野路の宿」(現知立市八ッ橋町)と共に「宮橋の里」と称する駅次の所在地にして、古来より街道を往来する人々は、社頭通行にあたり馬に乗りし者は下馬して自ら敬虔の念をもって拝礼の上通行した。
故に駄野森山王宮と称したが、明治維新改革に際し不乗森神社となる。」
なるほど、明治になってからの命名でしたか……。
境内摂社についても一覧的なものがありましたので。
「神明社…天照皇大神(あまてらすのおおみかみ)
東日吉社…大山祇命(おおやまつみのみこと)
厳島社…市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) (市杵嶋比売命)
秋葉社…火産霊命(ほむすびのみこと)
山神社…大山祇命(おおやまつみのみこと)
津島社…須佐之男命(すさのおのみこと)
稲荷社…倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」
「大山祇命」の社が二つあるのは、一つが「山神社」という、今のお稲荷さんのようにいたるところに小さな祠のある神社だからでしょう。
うーん、やはり「東日吉社」がよくわからない……。
で、国会図書館デジタルコレクションで、『参河名所図絵』や碧海郡の文献を探ってみたのですが、ざっと見た感じ見当たらず……ううむ、安城の図書館とかに行ってみないとですねきっと……。
ちょっと消化不良〜。