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「窯神神社」を後にしまして。
道すがら、こんな壁を見つけました。
さすが焼き物の町……か?
「窯神神社」に続きましては、「深川神社」です。
◯こちら===>>>
http://www.seto-marutto.info/cgi-bin/data/miru/010.html
ちょっとした門前町があるのが、懐かしい感じがします。
鳥居の基部に焼き物(陶板、というのかな?)。
トタンな町並み。
昭和、でしょうか。
「深川神社
宝亀二年(西暦771年)創建の由緒ある産土神社です。祭神は天照大神の五男三女の御子をまつり無病息災子孫繁栄を掌ります。深川神社は主なものに陶祖をまつる陶彦社、商売繁昌の深川奥宮稲荷社があります。」
「深川神社」は、『延喜式神名帳』の式内社(尾張国山田郡)の一つに比定されています。
拝殿。
さすが瀬戸、瓦がちゃんと焼き物です(いや、瓦は焼き物ですが)。
芸術に疎いのでさっぱりわかりませんが、神社でいただいたパンフレットには「織部鬼瓦」と書かれています。
織部って聞くと、そんなキャラが『世界忍者戦ジライヤ』に……(ポチポチ)……、
あ、違った、「紙忍・折破(おるは)」だ。
何一つあってないという……。
織部といえば、緑色の「青織部」が有名なんだそうです。
他にも、「赤織部」「黒織部」などがあるとか。
……あとは黄色と桃色で……。
全国津々浦々の神社を見たわけではないですが、緑青の出た銅葺屋根、と思わせておいて焼き物、というのはなかなかないのではないかと。
初夏の新緑の中にも、独特の緑色が鮮やかですよねぇ。
もうちょっと早い時間帯だと、拝殿に日光が当たって美しかったかもしれません。
摂社。
左から、「白山社(菊理日売神)」「深川ゑびす社(事代主命、大国主命)」。
「八幡社(誉田別尊)」、「神明社(大日孁命)」。
境内には、「深川奥宮稲荷社」があります。
お狐様が、耳が大きくて独特。
フェネックみたいな感じでしょうか。
そしてもう一社が、「陶彦社(すえひこしゃ)」です。
「陶祖 陶彦神社 是より五丁御参詣を」と書かれています。
元々は、旧名鉄尾張瀬戸駅に設けられていた道標だったようです。
前回の記事で、天草の「東向寺」では、加藤民吉翁のことを「陶祖」と書いていたが若干誤りがある、と紹介しましたが。
「陶祖」は別にいらっしゃるんですね(瀬戸的に)。
狛犬。
石です。
こちらが本殿。
パンフレットからの引用です。
「瀬戸の陶業の祖と言われる、加藤四郎左エ門景正(藤四郎)が祀られている。文政7年(1824)創建。現在の陶彦社は、昭和元年(1926)、21代宮司・武のときに、遷宮が行なわれたもので、設計は、宮内庁に勤め、正倉院などを手掛けてきた、伊藤平二による斬新で洗練されたデザインの貴重な建築物である。」
全体像が窺えないので斬新さがわかりません。
ただ、洗練はされているかな、という気配がします(美的感覚が乏しいもので)。
周りを歩いてみたら、塀にも織部の瓦が。
透垣の向こう側には、焼き物の狛犬が。
何だか、これが非常に狛犬っぽいです。
何だろう……鬣の表現具合、かな。
シルクロードでもありそうな感じがします。
「なでこまいぬ
陶祖加藤藤四郎が鎌倉時代に奉納した重要文化財の「陶製狛犬」は、慶長年間の火災により両足に傷を負いながらも、長い年月を耐え今なお力強く佇みます。その狛犬を御影石を使用し実物大で再現しました。」
平成26年3月……って今年ですか。
なるほど、今年は「陶祖生誕800年記念」なんですね……もっと誇っていいと思いますよ、瀬戸市。
うーん、町の中に森がしっかりとある、地に足のついた素敵な空間でした。
「創建は771年で瀬戸の産土神として由緒があり社伝によると陶祖・藤四郎が参拝した折り、ご霊験により辰巳(東南)の方向に祖母懐の土を得たとされています。宝物には藤四郎作と伝えられる重要文化財の陶製狛犬や「切支丹燈籠」と呼ばれる織部燈籠などがあります。
隣接する陶彦神社には、鎌倉時代に中国に渡り陶芸技法を学び瀬戸に伝えたとされる「陶祖・藤四郎」加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)が祀られています。
4月の第3土・日には陶祖まつりが開催されます」
「切支丹灯籠」……?
そんな素敵アイテムが?
撮影し忘れてますね……(がくし)。
まぁ、瀬戸は近いので、何かの機会にまた……。
パンフレットには他にも、「深川神社古墳」とか、「陶製狛犬」のことが書かれています。
「陶製狛犬」は、「鎌倉時代の柞と見なされ灰釉(かいゆう)の施された狛犬でわが国における陶狛の太宗とされる逸品である。古くは雌雄(阿吽)一対であったが、吽形のみ現存。約400年前の神社火災時に前肢を損傷し、現在は、一部木製で修復されている」そうです。
瀬戸焼って、何度くらいで燃えるんでしょうね(コンクリートも鉄も燃えます)。
さて。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会
↑の148コマから、「深川神社」の記事になっています。
「深川神社
同村にあり。今八王子社と称す。[延喜神名式]に山田郡深川神社、[本国帳]に従三位深川天神とある官社なり。
本社 祭神五男三女神なり。そは天忍穂耳尊・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野■樟(くすび※久須毘と書くこともある)・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の八はしらなり。
末社 神明社・白山社・八幡社・奥宮社・辯財天社・陶彦社、此社は陶祖加藤四郎左衛門春慶の霊を祭り、五行の霊を相殿とす。俗に竃神とも云ふ。
瑞籬・拝殿・鳥居等あり。又石燈籠は三都よりも寄附あり。
例祭 本社九月十五日。馬の頭・棒の手。竃神三月十九日。獅子。八月十九日。馬の頭。
神宝 狛犬一隻、藤四郎春慶が造りて奉納したりといひ伝う。青薬の陶器にて、いと古き物なり。もと二疋ありしが、中世うせて今は一疋残りたり。これも足折れて形全からず。神酒壷一つ、同人の作にて、共に時代ある物なり。
又鐘の銘に『娑婆世界南贍部州。大日本國尾張山田郡内瀬戸村。伊勢天照大神。白山妙理権現。八王子鐘也。願以此功徳。普及於一切我等輿衆生。皆共成佛道。永享十年戊午十一月吉日。大檀那龍集博願主敬白』と見ゆ。むかし藤四郎当社に参籠し、陶器の創業を祈りけるに、満参の夜、是より巽の方に非類の土ありと夢の告あり。則神勅に随ひ、行きて見るに、正しく祖母懐土なりければ、悦ぶ事限なく、終に此土を得て、皇国の陶器の魁たる物を焼き出せり。是ひとへに此神の恵にして、神徳のほど人みな知る所なり。」(※ブログ筆者により旧字を改めた箇所あり)
そうそう、ご祭神を書いていませんでしたが、「祭神五男三女神なり。そは天忍穂耳尊・天穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野■樟(くすび※久須毘と書くこともある)・田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命の八はしらなり。」です。
女神は「宗像三女神」です。
大抵、「八王子」というとこの方々を指します(が、牛頭天王系の八王子だったりする場合があるので、油断は禁物です)。
「陶彦社、此社は陶祖加藤四郎左衛門春慶の霊を祭り、五行の霊を相殿とす。俗に竃神とも云ふ。」とありますが、「五行の霊」ってなんでしょうね。
あと、「竃神」って書いちゃうと、何か違いますよね……荒神のことかいなって。
いや、もちろん「窯」のことなんでしょうけれど。
「神宝 狛犬一隻」は、「もと二疋ありしが、中世うせて今は一疋残りたり。これも足折れて形全からず。」とあるので、パンフレットの通りですね。
「皇国の陶器の魁たる物」……この辺りの表現に、明治臭さを感じます。
さてさて。
世には様々な神社があります。
日本に存在したもので、祀られていないものはないのではないか、というほどに。
生活に密着したものは、江戸時代までは、リサイクルされておりましたし、壊れれば「塚」を作って葬ったりもしたものです。
そういった、日本的なアニミズムが、失われつつありながら、一方でどこかにはまだ残っている、というのが現代の奇妙な感じなのでしょうか。
私、完全地デジ化のときに大量に廃棄されたアナログテレビが、
いつか化けて出てくる
と信じています(頑張れ、無用の物供!)。
戦後果した役割を考えたら、国を挙げて、「テレビ塚」を作って弔ってもよかったと思っています。
というわけで、次回はおまけで、「陶祖藤四郎春慶」の記事を〜(主に、『尾張名所図会』からです)。