べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「目黒界隈」〜「五百羅漢寺」「目黒不動」「大鳥神社」〜

5/19。

目黒ということですので、目的地は五百羅漢寺でした、はい。

 

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「五百羅漢寺」 - べにーのGinger Booker Club

補遺・「五百羅漢寺」 - べにーのGinger Booker Club

補遺補遺・「五百羅漢堂」 - べにーのGinger Booker Club

 

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まあ、写真にとるところがあまりないといいますか、羅漢様とか撮影禁止ですから……。

 

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御朱印御朱印帖。

 

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大日本名所図会. 第2輯第6編 江戸名所図会 第4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』をみていただくと、往時、いかに大きな寺院だったのかがわかります。
このまま残っていたら……と思うと残念でなりません。
で、今回『江戸名所図会』をみていて思ったのですが、

 

 

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ご本尊の後ろに、まるで後戸の守り神のように、みんな大好き「獏王」像があったことが図絵に描かれています。
ところで、まるで狛犬のように、もう一体、瑞獣っぽいものが置かれているんですねこれが。
麒麟」っぽくみえます……が、ひょっとしたら「獬豸(カイチ※OSなどにより表示されない場合があります)」なのかな、と。

 

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カイチ - Wikipedia

 

しかたなくwikipediaさんです。
うーん、「獏王」だけが残って、その対となる瑞獣のことは残されていないのか……。
教えて偉い人。

 

続いて、裏道を通っての、目黒不動

 

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「泰叡山瀧泉寺」 - べにーのGinger Booker Club

 

前回も同じルートでしたが、大雨でないだけ随分まし、と。

 

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まずは山王鳥居……あれ、ありましたっけもともと?
天台宗、ということであれば山王一実神道、ですから。

 

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本堂。

 

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狛犬さんズ。
可愛い……。

 

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これは、なんだっけ……近寄れなかった気がします。

 

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ああ、「八大童子」だ。

 

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ぬるりと、犬っぽい狛犬さん。
狛犬ワンダーランド。
リアルな犬っぽい狛犬さんがいるのが、「犬公方」の影響だったりしたら面白いですね。

 

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こっちのうなだれ狛犬さんもよろし。

 

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象。
急に。

 

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烏枢沙摩明王」。
急に(公衆トイレの前に立っていたと思います……ほら、東司の守護神ですから)。

 

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お狐様。

 

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「恵比寿」様。

 

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お狐様だらけ。

乱雑になってしまいましたが、ワンダーランド。

 

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御朱印

 

そういえば、「目黒不動」は引用してなかったですね、ということで。

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大日本名所図会. 第2輯第6編 江戸名所図会 第4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』から……多いですけれども。
53コマです。

 

目黒不動
同所の西、百歩のあまりにあり。泰叡山瀧泉寺と號す。天台宗にして、東叡山に属せり。
開山は慈覚大師、中興は慈海僧正なり。
本堂不動明王 慈覚大師の作、脇侍は八大童子なり。
(略)
八幡宮 早尾権現 祭神猿田彦大神。或は素盞嗚尊ともいふ。祭礼は五月十五日なり。此堂何れも本堂の左に並ぶ。
恵比須大黒祠
鐘楼
水神宮
愛染明王
大行事権現 此地の地主神なり。祭神高皇産霊尊なり。五月十五日祭礼あり。
石不動 何れも本堂の右にあり。
稲荷祠
地蔵尊 掌善・掌悪の二童子を置く。
聖観音
開山堂
聖徳太子
天照太神
本地大日如来 本堂の後、峙ちたる山の腰を切り割りて安置す。俗に奥の院と称する。
吉祥天女
天満宮
鬼子母神 十羅刹女祠 虚空蔵堂 遮軍神祠 何れも本堂の後に並び建てり。
結神祠
役小角 女坂の中程にあり。銅像にして前鬼・後鬼の像あり。
三仏堂 弥陀・薬師・釈迦等の三尊を安ず。
子安明神 鬼子母神なり
疱瘡神 粟島明神 石地蔵尊 秋葉権現 六所明神 荒神祠 何れも二王門を入りて右の方にあり。
弁財天祠 江島弁天の模なり。
地蔵堂 堂内焔王・脱衣婆等の像を安せり。
観音堂 中尊は聖観音、廻に西国・坂東・秩父等の札所百番の観音を安置せり。
勢至堂 稲荷祠 前不動 左右に十二天の像を安置す。何れも楼門の左の方にあり。
楼門 左右に金剛・密迹二王の像を置く。裏に使者犬の像を置けり。
独鈷の瀧 当山の垢離場なり。往古承和十四年、当寺開山慈覚大師入唐帰朝の後、関東へ下り給ひし頃、此地に至り、独鈷杵をもて此地を穿ち得たまふとぞ。常に霊泉滔々として漲り落つ。炎天旱魃といへども涸るる事なく、末は目黒一村の水田に引き用ふるといへり。昔は三口にわかれて湧出せしが、今は二流となれり。そのかみ一年此瀧水の涸れたりし事ありけるが、沙門某江島の弁天に祈請奉り、再び元の如しとぞ。故に今も年々当寺より江島の弁天へ衆僧をして参詣せしむる事、怠慢なしといへり。[和漢三才図会]に倶利伽羅の瀧とあり。
鷹居の松 旧名匂松、又腰掛松とも號く。石階の下にありて蒼々たり。寛永の頃、大樹此地に御遊覧ありし時、其御鷹翦れて行方をしらず。依て別当実栄に仰の旨ありて祈念せしむ。然るにたちまち御鷹飛帰り、此松にとどまれり。依て御感ななめならず。此樹に鷹居松の名を賜ふといへり。
縁起云く、平城帝の大同三年、慈覚大師本国下野国より、叡山に赴き給ふ頃、此地に投宿あり。然るに其夜の夢中明王霊示ありて、永く此地に跡を垂れ、群生を度せんと曰ふとみて覚めたり。翌日夢中拝する所の尊容を模して、今の本尊を彫刻し、当山に安置し給ふ。或人云ふ、此地は日本武尊を鎮る所なり。慈覚大師此地経歴の頃、不動尊の像を彫刻して神体に擬せらる。其故に、日本武尊駿河に狩し給ふ時、凶徒放火して尊を襲う其時、尊の佩び給へる叢雲の剣を抜きて、狩犬の綱を切りて放ち、燃え來る草を薙ぎ払い給ふ。尊其火の中に立ちたまふ形相、さも明王の形に似たるを以て、これに比せしとぞ。犬を当山の使者とするもこのゆえなりといへども、此説いまだ考へず。しかありしより千歳の今に甫ぶ迄、理智円明の威力広大にして、迦楼羅焔の徳用深妙なり。元和元年の春、此地の在家より火出でて、餘焔御堂に覆ひし時、本尊みづから猛火を除れ出でたまひ、瀧の下に留り給ふ。人皆奇なりとす。寛永元年大将軍此地に狩し給ひ、同十一年御再興ありしより、結構備りたり。此地は遥に都下を離るるといへども、詣人常に絶えず。殊更正五九の月二十八日、前日より終夜群参して、甚賑へり。又十二月十三日は、煤払にて開帳あり。是も前夜より参詣群をなせり。門前五六町が間、左右貸食軒端をつどへて、詣人をいこはしむ。粟餅・飴および餅花の類を鬻ぐ家多し。

 

そうか、天台宗でしたね、当たり前ですが「日吉大社」に重なるわけです。
絵図をみると、今の堂宇配置とそれほど違いはありませんが、いくつか御堂が失われていたりもしますので、比べてみると面白いと思います(独鈷の滝、男坂女坂は往時のままかな……)。
五色不動といったらもう、『虚無への供物』なんですけれども……あれ、『匣の中の失楽』だっけ……記憶が薄れてきたなぁ。

 

「粟餅・飴および餅花の類を鬻ぐ家多し。」

 

目黒の餅は、さんまよりは有名だったようですが(そうなのか?)、鬻ぐといったら餅や飴だけではない……と思ってしまうのが高田崇史ファンの悪い癖です。

 

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ついでに、ではないですが、「大鳥神社」にも寄りまして、御朱印をいただいてきました。

 

○こちら===>>>

「大鳥神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

『江戸名所図会』の「目黒不動」のところで、唐突な感じで「日本武尊」が出てくるのは、近くに「大鳥神社」があるからなんでしょうねきっと。

目黒は、じっくり巡りたいんですよね本当は……奈良にも京都にも大阪にも東京にも住みたいですねぇ……。
それはともかく、次の目的地へ〜。

「永寿山海福寺」(東京都目黒区)

5/19。
よんどころのない事情で上京しまして、とてもいい時間を堪能し、ひさびさに目黒方面へ行ってみようというか、あそこへまた行かなければ、というわけでその途中にありました「海福寺」に寄ってみました。

 

○こちら===>>>

海福寺 (目黒区) - Wikipedia

 

……あれ、公式HPが見つからない……しゃあないのでWikipediaさんで。

 

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階段の上に、門。

 

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慰霊塔。

「文化四年八月十九日深川八幡の祭礼の時人出のため永代橋が落ち数百人の人々が水死しました。
その霊を供養するため木場の人々が建立した供養塔です。
これは昔は大変有名な事件で歌舞伎では黙阿弥作「八幡祭望月賑」落語では粗忽者の武兵衛が水死者に間違えられ自分の遺体を確認に行くという”永代橋”の素材となっています。」

 

○こちら===>>>

永代橋落ちた 永代橋に刻まれた歴史 | 東京都の地盤調査専門企業 ジオ・フロント株式会社

↑参考に。
全然知らなかったな……合掌。

 

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あ、こっちに詳しい掲示板が。

 

「文化四年(一八〇七)の深川富岡八幡宮の大祭は、大喧嘩が原因で中止されていた祭りが一二年ぶりに催されたため大変な賑わいだった。しかし将軍世子らの御座船が永代橋の下を通過する間、一時的に橋上の通行が禁止された。通行止が解除されて一斉に群衆が橋を渡った時に橋の中央付近が崩落し、多くの人が隅田川に転落。多数の溺死者を出す、江戸開府以来の大惨事が発生した。
事件後、当時永代橋に近い深川寺町通り(現・江東区深川二丁目付近)にあった黄檗宗永寿山海福寺に無縁仏が埋葬された。そして百日忌に供養塔が、安政三年(一八五六)の五〇回忌に石碑が、海福寺境内に建立された。海福寺は明治四三年(一九一〇)に目黒区下目黒の現在地に移転したが、その際にこの供養塔及び石塔も移設され、現在に至っている。
この事件はのちに、戯作者山東京伝の『夢の浮橋』や、京伝の弟山東京山の『蜘蛛の糸巻』、滝沢馬琴の『兎園小説余録』に所収されるなど、江戸市民に大きな衝撃を与えた。溺死者四四〇名とも言われた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ構成に伝えたかを明らかにする重要な資料である。」

 

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鐘楼……じゃないか、鐘撞堂か。

鐘は東京都の指定文化財のようです。

 

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で、この石塔は、また後ほど。

 

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本堂。
この日、檀家さんの法事か何かが行われていて、生きた宗教施設によそ者が入って非常に申し訳ない気持ちでした。

 

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お地蔵さんと、お釈迦様かな。

 

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さて、先ほどの石塔は、なんと「武田信玄」の屋形に置かれていたと伝わっているそうです……深川に「武田信玄」……。

 

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ちっちゃい狛犬さん。
瓦っぽいので、屋根狛さんかな。

 

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四脚門も文化財

 

「海福寺四脚門は明治後期に新宿区上落合泰雲寺にあったものを移建したものであるが、その後の長い年月の間に海福寺境内や周辺の環境によく調和しており、落ち着きのある景観をうみだす重要な建物として定着している。(略)」

 

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こちらです。
本堂が覗くところがよいですね。

 

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何か越しに四脚門。

 

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入り口はこんな感じです。

 

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「海福寺
明から来朝した隠元隆琦が万治元年(1658)に江戸深川に開創した黄檗宗の寺でしたが、明治43年(1910)に現在地へ移転しました。
本尊は釈迦牟尼仏で、他に四天王像や隠元禅師の像、木造阿弥陀如来立像(区指定文化財)が安置されています。木造阿弥陀如来像は彫刻技法の特徴などから12世紀に京都あるいはその周辺で製作されたものと考えられ、都内に現存している稀少な例です。(略)」

 

なるほど、と。
なお御朱印はいただいていません(あるのかないのか……)。

 

さて。

 

○こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第6編 江戸名所図会 第4巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』から。
115コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

「永寿山海福寺
同所寺町通中程の右側にあり。黄檗派の禅林にして、江戸触頭二箇寺の一員たり。万治元年戊戌の創建、開山は隠元禅師、中興は獨本和尚なり。本尊釈迦如来、左右に迦葉・阿難・十六阿羅漢の像を安ず。開山隠元禅師の肖像もあり。
(略)
九層塔 寺境、池のかたはらにあり。高さ一丈ばかりの石の塔なり。相伝ふ、武田信玄のものなりと。むかし土家氏某これを持ち伝へしが、当寺へうつし建つるといへり。」

 

触頭」ってなんだろう、と日本史の知識のないことをさらけ出しておきます。

 

○こちら===>>>

触頭(フレガシラ)とは - コトバンク

 

コトバンクさんから、「百科事典マイペディア」より。

 

「江戸時代の寺院統制機構の一。幕府および各藩の寺社奉行の下,本山および一般寺院の上申下達の仲介を行い,また一定の統制にあたった寺院をいい,僧侶身分を一元的に統制する性格をもつ。室町幕府僧録司(そうろくし)(僧録)が起源。宗派別に置かれた場合と,全宗派を合わせて一寺とした場合がある。これとは別に,1635年幕府の寺社奉行設置に伴い,各宗派は江戸に触頭寺院を置き,それぞれ触頭とか僧録とよび,その任にあたった。」

 

……聞いたことがあるようなないような。
『江戸名所図会』の刊行は天保年間、執筆時期は寛政〜文化年間、ということで、「永代橋」が落ちて無縁仏が、という事件とほぼ同時代、記事には反映させられなかったのかな、と思います。
「海福寺」の図絵には、本殿、天王殿(「布袋」さんがいます、いや「弥勒菩薩」ですが)があり、九層の石塔は池というかお社(多分「弁天」様かな)の近くにあるとか、その九層の石塔の図絵があったり、聯がいくつか載せられていたり、鐘に刻まれた「隠元」禅師の言葉も載せられていたり、往時を忍ぶことができますのでご参考に。
もちろん、移転する前ですので、今とは全く違っています。

 

移転……今回の目的地のお寺も、移転したんですよね。

では、次回は目的地ですが、記事にするほどではないといいますか……。

「苗木城址」(岐阜県中津川市)

5/9。
神社仏閣も追えていないのに、ついに手を出した城郭……構造物はもともと好きなので、とりあえず、邪な意図を持って(?)、美濃の山城から「苗木城址へ行ってみることに。

 

○こちら===>>>

nakatsugawa.town

 

城郭好きの方々には、すっかり有名なところらしいです(すいません、本当に戦国期とか弱くて……)。

 

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駐車場にあった、案内板。

 

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とりあえず、山城だけに、登ってみます……この道であっているかどうかは、わかりませんが……。
新緑が美しい季節でした(雪の季節もよさそうですが、冬の運転は怖くてできません……)。

 

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道路を登っていきます。

 

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鳥居発見。
中には入りませんでしたけれども。

 

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史跡の案内板。

 

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途中の石垣。
きちんと加工して積まれているやつですね(無知)。

 

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再現CG。
……ちょっとあれですね、「メテオラ修道院」を思わせるような……。

 

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撮影スポットだったので、展望台を撮影。

 

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……まあ、マムシも出ますわな。

 

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「風吹門」というところまできました……結構登った気がする……。
でかい自然石がごろっと。

 

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「大矢倉」。
いかん、もう、角度によって中南米感が……あちらは構造物が石造りで、こちらは木造の建物が乗っかっていたのですが、こうしてみると、石造りというのは世界共通言語だったのかなぁ……と。

 

 

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展望台のほうをぱしゃり。

 

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石垣。

 

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「駈門跡」。
この先、「四十八曲り」とありますが、多分降りられるんでしょうな……。

 

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メインストリート(?)に戻って、「大門」まできました。

 

 

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……いやもう、なんかすごい……。

 

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岩の上に、石垣……。

 

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「綿蔵門」。

 

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あの、石垣の端っこの尖ってるところ、すごいですねぇ。

 

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これが野面ですか?(無知)

 

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眺望がすばらしい……多分、戦国期からあまり変わってないんでしょうね。

 

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「坂下門」。
岩……。

 

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岩から石垣……すごいな……。

 

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「千石井戸」「本丸口門」。
ここまで湧き水が……めっちゃ掘ったのか、地形的な恩恵なのか……。

 

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途中にでかい岩がはさまっているのがまた……どうやったんだろう……。

 

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なんか、かっこいい。

 

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反ってますね。

 

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下の方に、先ほどの「大矢倉」が……もうピラミッドじゃん。

 

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「武器蔵」「具足蔵」。

連続体。

 

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右下の尖った端っこの積層具合……。

 

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さて、「天守展望台」を見上げてみました。
岩と石垣の協奏曲、ってやつですか(?)……いい構造。

 

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「玄関口門」。

 

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「本丸玄関」。

 

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石碑。

 

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「苗木城天守建物
苗木城の天守は二つの巨岩のまたがる形で作られ、三層となっていました。(以下略)」

 

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恵那山が望めます。
すぐそこに川が流れている、というのもこの場所が選ばれた要因でしょうかね……。

 

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またがって、というのはこんな感じだっただろう、と。

 

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……はい、そういうことです(?)。

 

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つるつる岩。

 

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なんでしょうねこれ……情報量が多くてよくわからない構造物にしか思えません。

 

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危ない、多分。

 

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「馬洗岩」。
えっと、どれだろう……さっきのつるつる岩、かな。

 

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見上げれば、岩と石垣のコントラスト。

 

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絶景かよ……もうちょっと晴れていれば……。

 

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岩。

 

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「笠置矢倉」。

こんな端っこに建物建てなくてもなぁ……とちょっと思ったり。

 

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振り返る。

 

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左下の尖った部分の積層構造(もういい)。

 

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岩対石垣。

 

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と花。

 

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シミュラクラっぽい。

 

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またまた「大矢倉」を……リャマとか歩いてそうだよなぁ……。

 

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岩。

 

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天守展望台から降りてきまして、正面に再び「大矢倉」。

 

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展望台を見上げるも、この角度では見えず。

 

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自然と人口のせめぎ合いなのか、調和なのか。

 

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積層構造。

 

 

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これは野面じゃないやつですね(無知)。

 


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あの、石垣の角って、なんていうんでしたっけ……前にちょっと勉強したんだけどな……。

(※上の二枚の写真だけ、うまくアップロードできず、大きくなってしまっていますが気にしない)。

 

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こちらはほぼ岩……荒涼の意味合いもちょっと違って見えますね。

 

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なんかいい感じだったから。

 

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うん、アリゾナっぽいな(え?)。

 

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岩を支えての石垣……?

 

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積層構造。

 

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うーん、いい……。

 

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降り始めました。

 

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ちょくちょく振り返り、そしてもう少し晴れていたらと悔やむ……。

 

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ちょっと晴れ間がのぞいた……ら白飛び。

 

で、無事下山(?)して、「苗木遠山史料館」へ。

 

○こちら===>>>

naegi-toyama.n-muse.jp

 

図録を買ってこればよかったな……。

 

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この模型がかわいらしくてよかったです……めっちゃ撮影してしまった。
今は岩と石垣だけ、でも往時はこうして建物が建っていて、こうみると中南米感は全くないですね。
というか、単純に危ないでしょこの建物……すごいところに建てましたね……「清水寺」ほどではないにしろ、懸造……ここに毎日麓から通え、と言われたら断りたいなぁ……。

 

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「風吹門」。
「大泉寺」の再建時、取り壊される「苗木城」から譲り受けたそうです。

 

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御城印……っていうんでしたっけ。
ステッカーになっているんですね。

 

 

 

さて……。
いや、妄想とかないです……郷土史家の方々による研究が多くあるでしょうし、なにしろ戦国期のことはさっぱりなので……ただ、廃仏毀釈の話は面白いなと思いました(なんのことかわからない方は、「苗木遠山史料館」へレッツゴー)……結局は、神仏絡んでこないと面白みを感じない人間なのか。
単純に、構造物としても興味深かったですし、歴史を垣間見るともっと面白そう、「森長可」とか……ああ、すみません「織田信長」様も勉強中です(『信長の忍び』で)。
まだまだ城郭初心者ですので、もっぱら構造物を愛でる感じで行ってみようと思います。
……とりあえず、名古屋城に行け、って話ですな(※本丸御殿修復云々で、はいれませんけども)。
あ、史料館で購入した『苗木の伝記』という本が良い本です。

 

「東別院」(名古屋市中区)

4/6。

桜を求めてさまよって、中区あたりをぶらぶらしていたら、そういえば来たことなかったな最近、の「東別院」へ。

 

○こちら===>>>

www.ohigashi.net

 

真宗大谷派名古屋別院」が正式名称ですが、「東別院」のほうが名古屋人には通りがいい。

なお、「西別院」もあります。

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メインは桜だったりしますので。

 

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最近、『信長の忍び』(重野せんせ〜)他で勉強しているので、「古渡城址」でも足が止まる、と。

 

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「東別院

(略)

元禄三年(一六九〇)、東本願寺一如上人によって開創。諸堂は名古屋の宮大工伊藤平左衛門家の手により元禄十五年に完成した。本堂は壮大な規模と精緻な建築美を誇ったが、昭和二十年(一九四五)の戦災で焼失した。現在の本堂は昭和三七年の再建である。

境内西の鐘楼の梵鐘は尾張藩鋳物師頭水野太郎左衛門家によって元禄五年に作られたもので、名古屋市指定文化財となっている。」

 

……あれ、鐘楼いったかな、俺。

もちのろんで、御朱印をもらい忘れる。

 

さて。

 

○こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』から引用(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

167コマです。

 

東本願寺掛所

橘町の東二町にあり。天正九年八月、僧祐賢海東郡蟹江村に一寺を建立して、泉龍寺といひしを、慶長十一年名古屋の地(御遷府の◼︎袋町)へ遷せり。其後東本願寺十六世の門主一如大僧正、名古屋に掛所営建の志願ありて、御国の御免許を得、元禄三年七月より福路町川柳寺を掛所となせり。同年十二月古渡村の内にて、境地御寄附ありて、掛所を今の所へ引きうつし、同五年の夏頃より、坊舎を営みはじむ。同十三年四月十二日、一如上人京都本山にて遷化せしも、其子真如大僧正の代、同十五年十月二十八日経営成就し、本堂をはじめ諸堂ことごとく修造卒りしかども、真如上人の開基とせずして、本願一如上人を以て開山とせり。

本尊 阿弥陀如来

(略)」

 

壮大かつ精緻、といわしめた諸堂の様子も、『尾張名所図会』ですからばっちり見られます。

また、同じコマに、

 

「古渡古城

東掛所境内則其あとなり。織田備後守信秀名古屋の城にありしが、天文三年嫡男信長誕生ののち、名古屋の城は信長に譲り、自身は古渡に城を築きて移住せり。卒去の後廃城して田畠となりしが、そののち掛所の境内となりぬ。[信長記]には、信長公ここにて元服せられしよしにしるし、宗牧が[東国紀行]には、禁裡御修理の義を宗牧が東国へ下る序なればとて、則宗牧に仰せ添へられて、ここなる城主信秀に、勅宣を伝へしよしに記せり。こは戦国の有りさま思ひやられぬ。詳なる事は紀行に譲りてここに略しつ。」

 

○こちら===>>>

東国紀行(Adobe PDF)www.klnet.pref.kanagawa.jp/.../018tougokukikou.pdf

 

……まだまだ「織田信長」の勉強をはじめたばかりなので(漫画で、四コマで)、昨日読んだのは、尾張統一のやつで、「古渡城」もばっちり出ていたけれど、「宗牧」は出てないかなぁ……愛知県民ながら情けない話ですが、往時の終わりがどっぷり織田家、ということすら知らず……面目ない……。

近年、「織田信長」像がまた刷新されているようですので、ちょっとずつ勉強しようと思います。

 

 

 

 

 

 

大須界隈(名古屋市中区)

3/23。
中村区をうろうろしたあとで、所用を思い出し大須へ。
ついでにぶらぶらしていて、そういえば大須には古墳があったな、と思いまして。

「那古野山古墳」。

 

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古墳もめぐってみたい、と思いつつ、場所によって神社仏閣より近づきがたい(車で)ところが多いので、なかなか……。
ついで、「日出神社」にもお参り。
こちらも古墳です。

 

○こちら===>>>

「日出神社」(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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本殿前の狛犬さんにもっと近づきたいなぁ……。
ついでに、「北野神社」にも。

 

○こちら===>>>

「北野神社」(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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やっと三月が終わりますな……昨年の。

「金山神社」(名古屋市中村区)

3/23。
もうちょっと歩いてみましょうか、ということで金山神社まで。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

↑今回も、中村区の史跡散策路をご参照ください。

 

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え〜、いきなりの境内社でどなただったか……。

 

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参道。

 

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本殿。

 

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もうちょっと手前から本殿と狛犬さんちらり。

 

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狛犬さん。
この位置にいらっしゃると、お尻しかね……。

 

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拝殿……か幣殿。
彫刻の龍の目が赤いなぁ……。

 

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と思っていたら、拝殿前の狛犬さんが……。

 

なぜ塗った……。

 

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御霊社。

 

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先程と対の狛犬さん。

 

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うーん、尾張造っぽいけれども……。

 

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神馬。
転法輪っぽい社紋ですか……。

 

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……誰だ?!っていつも思うんですよね、公家っぽいかたがいらっしゃると……「菅原道真」公か、「和気清麻呂」公か、くらいしかぱっと思い浮かばない……「聖徳太子」もありか……で、誰なんでしょう……。

 

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遠景。

 

「祭神 金山毘古神
由緒
当神社は美濃国一宮南宮神社より分霊を勧請申し上げたと伝え、寺社志(寛政年間(略))に尾張国則武庄米野村に社三ヶ所ありと記され、張州府志(宝暦二年 一七五二)米野村に金山祠在りと記されて居る。
祭神金山毘古神三種の神器を造られた神とされて居り、文献尾張徇行記(文政五年 一八二二)尾張志(略)にも金山社ありと明記されて居る。
大正二年癸丑年十月
無格社西宮社(多岐理比賣命 狭依比賣命、多岐津比賣命)
無格社宗像社(天照大神荒御魂)
二社を村社金山社に合祀し金山神社と改称した。
昭和二年二月本社敷地(現向野橋南坂中程)が名古屋駅拡張用地に該当、鉄道用地となった為現在地(名古屋市中村区長戸井町一丁目二番地)に移転をよぎなくされた。
(略)」

 

ううむ、にじんでいることを除けば、非常にありがたい由緒書。
ただ、合祀した神社の御祭神は、多分反対じゃないかと思います……。

 

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全景。
こちらも、鎮守としてはいい感じですが、遷座して間もないので、昔はどんな感じだったのか……区史とか、懐かしの写真とか探せば……ああ、今なら昔の地図とか検索できますね(しないのか)。

 

さて。
中村区の史跡散策路から引用しますと、

 

「鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。」

 

とのことです。
……「鎮火・農耕の神」……でしたっけ?

 

○こちら===>>>

「金山神社」 - べにーのGinger Booker Club


名古屋で「金山神社」といったら、地下鉄の駅名由来にもなっているこちら、なのです。
で、露橋という地名は中川区付近なのですが、そこから尾頭橋を抜けて金山駅まではそれほど遠くない……「南宮大社」からお招きするよりこちらからのほうが……と思ったのですが、金山駅のほうの「金山神社」、かつては「熱田神宮」の境内社から始まっていますので、何か理由があったのか。
「石工達に信仰された」というのも、何やら若干の違和感を覚えますね……いえ、工具全般金物ですから、「金山毘古神」が守護神だといってもそれはそれで構わないと思うのですが……なんでしょうねこの違和感……。
でも、石工の守護神ったらどなたなんでしょう……古墳時代から考えると「野見宿禰」かなぁ……あ、土師氏の祖先ということですが……でも相撲の印象の方が強いしな……おおまかに建築ということでいえば、それこそたくさんいらっしゃいます。
元々は、石造建築ではなく、木造建築が主流で、技術的には新しい(と思われる)石垣作りですから、これぞ、といった守護神がいらっしゃらなかったのでしょう。
ふう……地元密着な神社を探って、いずれは名古屋の神社くらいは全部紹介したいものです(いずれ?)。
先は長い……(※現実時間のご時世的に、あっちこっちに飛んで御朱印を求めることもできませんので、ぶらぶら近くをさまよってみようかと思います)

「熊野社」(名古屋市中村区)

3/23。
というわけですので、やってきました「熊野社(若宮八幡社)」

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

久々にちゃんと史跡散策路にありますよ〜。

 

○こちら===>>>

「熊野社」 - べにーのGinger Booker Club

 

むかし、ちらっと記事を書いていました。
この頃は素朴だったなぁ。

 

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社標。
セブンイレブン側の入り口です。

 

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参道がぐいんと曲がっております。

 

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「子安神社」。
御祭神は「木花佐久夜毘売命」。

 

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正面。

 

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「子安神社」の社殿越しに本殿。
尾張造っぽいなぁ。

 

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狛犬さん。
紅白のおべべ。

 

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楽殿……だと思います。

 

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なんか極小のいい感じの狛犬さんを発見。

 

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「白明龍神」。
ご神木ですかな。

 

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……降ろされている。
倒れるのが危険なのでしょうね……確かに「住吉大社」なんかの大きな石灯籠と比べると、ちょっと……。

 

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狛犬さん。
丸々〜。

 

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「御霊社」。

 

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本殿を向かって左側から。

 

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拝殿、というか幣殿かな。
「熊野社」です。

 

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降ろされています。

 

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降ろされています。

 

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降ろされています。

 

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「熊野社」と「子安社」の……読めません。

 

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神馬の前にありました。

 

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こちら、入ってきたのとは反対の、南側の参道入り口。
過去記事の写真のほうですね。

 

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忠魂碑もありました。

 

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お猫様……もふもふだな。

 

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公園越しに。

 

さて、中村区の史跡散策路からさくっと引用しますと、

 

「鳥居の右に青銅の神馬が雄姿をみせる熊野社。境内はクス、ケヤキの保存樹がうっそうと繁り、静寂な雰囲気を漂わせています。祭神は伊邪那美大神(イザナミノミコト)。境内には末社の子安社もあり、安産の守護神木花之佐久夜毘売命(コノハナノサクヤヒメノミコト)を祀っています。」

 

とのことです。
若宮八幡社」はどこにいってしまったのやら……と疑問に思いつつ、前回紹介した、

 

○こちら===>>>

「若宮八幡社」(名古屋市中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

若宮八幡社」との関係に思いを馳せつつ、少なくとも『尾張志』に書かれた「くまの社」はここだろうな……といったところでおひらきにしたいと思います。
あ、神社としては、非常に好ましいです。
広い境内、近くに公園、隣にコンビニ、のんびり過ごすにはもってこいではないですか。
地域の神社はこんな感じでいいのだと思うのです。