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もうちょっと歩いてみましょうか、ということで「金山神社」まで。
○こちら===>>>
↑今回も、中村区の史跡散策路をご参照ください。
え〜、いきなりの境内社でどなただったか……。
参道。
本殿。
もうちょっと手前から本殿と狛犬さんちらり。
狛犬さん。
この位置にいらっしゃると、お尻しかね……。
拝殿……か幣殿。
彫刻の龍の目が赤いなぁ……。
と思っていたら、拝殿前の狛犬さんが……。
なぜ塗った……。
御霊社。
先程と対の狛犬さん。
うーん、尾張造っぽいけれども……。
神馬。
転法輪っぽい社紋ですか……。
……誰だ?!っていつも思うんですよね、公家っぽいかたがいらっしゃると……「菅原道真」公か、「和気清麻呂」公か、くらいしかぱっと思い浮かばない……「聖徳太子」もありか……で、誰なんでしょう……。
遠景。
「祭神 金山毘古神
由緒
当神社は美濃国一宮南宮神社より分霊を勧請申し上げたと伝え、寺社志(寛政年間(略))に尾張国則武庄米野村に社三ヶ所ありと記され、張州府志(宝暦二年 一七五二)米野村に金山祠在りと記されて居る。
祭神金山毘古神は三種の神器を造られた神とされて居り、文献尾張徇行記(文政五年 一八二二)尾張志(略)にも金山社ありと明記されて居る。
大正二年癸丑年十月
無格社西宮社(多岐理比賣命 狭依比賣命、多岐津比賣命)
無格社宗像社(天照大神荒御魂)
二社を村社金山社に合祀し金山神社と改称した。
昭和二年二月本社敷地(現向野橋南坂中程)が名古屋駅拡張用地に該当、鉄道用地となった為現在地(名古屋市中村区長戸井町一丁目二番地)に移転をよぎなくされた。
(略)」
ううむ、にじんでいることを除けば、非常にありがたい由緒書。
ただ、合祀した神社の御祭神は、多分反対じゃないかと思います……。
全景。
こちらも、鎮守としてはいい感じですが、遷座して間もないので、昔はどんな感じだったのか……区史とか、懐かしの写真とか探せば……ああ、今なら昔の地図とか検索できますね(しないのか)。
さて。
中村区の史跡散策路から引用しますと、
「鎮火・農耕の神としてあがめられている金山毘古神(カナヤマヒコカミ)を祀った神社。鍛冶業の守護神であり、昔、露橋附近で名古屋城の石垣用の石を切ったとき、石工達に信仰されたといわれます。」
とのことです。
……「鎮火・農耕の神」……でしたっけ?
○こちら===>>>
「金山神社」 - べにーのGinger Booker Club
名古屋で「金山神社」といったら、地下鉄の駅名由来にもなっているこちら、なのです。
で、露橋という地名は中川区付近なのですが、そこから尾頭橋を抜けて金山駅まではそれほど遠くない……「南宮大社」からお招きするよりこちらからのほうが……と思ったのですが、金山駅のほうの「金山神社」、かつては「熱田神宮」の境内社から始まっていますので、何か理由があったのか。
「石工達に信仰された」というのも、何やら若干の違和感を覚えますね……いえ、工具全般金物ですから、「金山毘古神」が守護神だといってもそれはそれで構わないと思うのですが……なんでしょうねこの違和感……。
でも、石工の守護神ったらどなたなんでしょう……古墳時代から考えると「野見宿禰」かなぁ……あ、土師氏の祖先ということですが……でも相撲の印象の方が強いしな……おおまかに建築ということでいえば、それこそたくさんいらっしゃいます。
元々は、石造建築ではなく、木造建築が主流で、技術的には新しい(と思われる)石垣作りですから、これぞ、といった守護神がいらっしゃらなかったのでしょう。
ふう……地元密着な神社を探って、いずれは名古屋の神社くらいは全部紹介したいものです(いずれ?)。
先は長い……(※現実時間のご時世的に、あっちこっちに飛んで御朱印を求めることもできませんので、ぶらぶら近くをさまよってみようかと思います)。