べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「(中島)八幡社」(名古屋市中村区)

3/23。
心そぞろだったわけでもないですが、いろいろ考えることもないですが、まだ開拓していない名古屋の神社を、ということで中村区の「中島八幡社」へ。

 

……HPはないし、名古屋市の歴史散策路にも載ってないし……。

 

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鳥居。
蕃塀がありますね、木造。
村社なのに情報が少ない……。

 

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拝殿(の手前)に由緒書が。

 

「当八幡社は往昔那古野原の北部に鎮座あらせたまいしが慶長十五年今より四百余年前徳川家康其子義直の為に名古屋城築城の際其敷地に罹り当地に御遷座あらせたまいし延喜式以前のいとも貴き◼︎◼︎◼︎◼︎なり由来当地の守護神とならせたまい(略)」(旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)

 

神社の所在地は則武というところで、栄生から黄金をつなぐ大通りに面しています。
一等地、の割に地元感満載で好ましいです。

 

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境内社の「秋葉神社」と「天神社」。

 

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津島神社」に……あれ、一番向こうはなんだったか。

 

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境内社の入り口。
社殿の向かって左側にあります。

 

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こちら「八坂龍神社」。
慶長八年、境内にあった榎に龍神が住んでいたようですが、荒れてしまったそうで(明治初年の「偶像崇拝」禁止で見向きもされなくなったと)。
戦後、修験者が「龍神が住むところを失って悲嘆にくれている」とのことで、新たにお祀りしなおしたそうです。
「縁起由来」より抜粋。

 

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「重軽神龍」……おもかる石がここまで仰々しいお名前なのは初めて見たな……。

 

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「八坂龍神社」参道入り口。
……なんで「八坂」なのかはよくわかりません(「津島社」があるくらいだから「祇園」系「天王」とは関係なさそうだし、どちらかといえば平坦な土地だし……ううん、元々はあったのかもしれないですね「祇園」系「天王社」)。

 

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狛犬さん。
本殿手前で、これ以上近づけない……残念。

 

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こちらは拝殿前の狛犬さん。

 

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拝殿。

 

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彫刻、なかなか立派です(さすが村社)。
新しめ、でしょうかね。

 

国会図書館のデジタルコレクションでざっと見た限り、面白そうな文献は見当たらず……うーん、区史とかを集めないといけませんね……もともと村社(いつ列されたのかは不明……あ、社標見てくればいいのか)だったので、それなりに存在感があるはずなのですがね……。
古文書とかか……郷土史家に近づいていくほどではない、ゆるい神社仏閣ラバーなので……それでもまあ、区史とか村史は手元にほしいですねぇ(図書館、今空いてないですし)。

 

「乃木神社」(東京都港区)

(※数年の間、コメント欄の管理をしておらず(やり方を忘れていた)、いくつかコメントをいただいていたようで、リアクションできず申し訳ありません……浅学な身、お答えするのもおこがましいので、感謝のご挨拶のみにさせていただきます。ありがとうございます。※)

 

2/11。
よんどころない事情で赤坂(年に一度は出かけてるなぁ赤坂……)に出かけましたもので、乃木神社へ。

 

○こちら===>>>

www.nogijinja.or.jp

 

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何年振りか……まずは、なぜか摂社の「正松神社」。
松下村塾を開いた「玉木文之進」と、あとをついだ「吉田松陰」を祀っています。
幕末はちょっと勉強したけれど……血なまぐさいところがメインで、あんまり勉強しきれていないなぁ……。

 

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拝殿。
梅の季節でした。

 

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「雷神木」。
別に「乃木希典」は怨霊ではないはずですが、雷神と縁があるのですね。

 

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狛犬さん。
独特な造形、近代のものとはいえ好ましい。

 

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石灯籠にも狛犬さんか獅子さんか。
取手みたい。

 

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「赤坂王子稲荷神社」。
乃木家は「王子稲荷神社」を篤く信仰していたそうです。

 

○こちら===>>>

「王子稲荷神社」(東京都北区) - べにーのGinger Booker Club

「王子稲荷神社」(補) - べにーのGinger Booker Club



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乃木神社復興之記」。
太平洋戦争で焼失した社殿を復興したときの記念。

 

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やっぱり梅ですね。

 

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参道入口の狛犬さん。
よくあるマッチョ系にちょっとひねりのあるデザインを加えている感じです。

 

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案内板。

 

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社標。

 

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御朱印

 

近代史も脳内で滅殺されているので、「乃木希典」といえば日露戦争の旅順攻略戦をめぐる割れた評価、と殉死くらいしか思いつきません……あれ、でも何冊かは本を読んでいるような気がするんですが……。

 

乃木希典 (文春文庫)

乃木希典 (文春文庫)

  • 作者:福田 和也
  • 発売日: 2007/08/03
  • メディア: 文庫
 

 

ともかく、神社に祀られるような最後の世代の人、という点で興味深いです。
ただ、近現代史は情報量が多いので、勉強しきれませんし、戦史にほとんど興味がないので、よくわからないというのが実際です。
まあ、基本、古代史で妄想派なので、ご寛恕願いたく。

「松帆神社」(淡路市)〜淡路ぐるっと旅

1/20。
さて、そろそろ後夜祭の時間も迫ってきましたので、あと一箇所くらい……と思い、検索検索で発見した「松帆神社」へ。

 

○こちら===>>>

matsuhojinjya.com

 

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鳥居と参道。
ううん、いい感じ。

 

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門。
神仏習合時代のまま、でしょうか、御随神も仁王もいらっしゃらぬのはちょっと妙。

 

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拝殿内。

 

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拝殿。
平入りに破風、そしてこの高さ……ちょっと妙な作り。
やはり元々は寺院、なのか……拝殿でもないのかもしれないです(※神社でいただいた由緒書きによれば、幣殿でした)。

 

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彫刻。
勇壮というよりは、流麗ですね。

 

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狛犬さん。
苔……なのかな、緑青っぽくも見えるけど、石造りだし……。

 

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本殿向かって右側の摂社。
急いでいたので、ゆっくりお参りできず……「松尾社」と「仁徳天皇社」だそうです。

 

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幣殿遠景。
うん、やはり神社建築じゃないな……お寺の本堂(金堂)かな……。

 

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向かって左側の摂社。
「高良社」と「宇治皇子社」だそうです。

 

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幣殿から山門。
いい……いいロケーションだ……。

 

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幣殿の階段下から。

 

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贔屓。
大陸由来の霊獣です。

 

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摂社。
天満宮社」「疱瘡社」「金刀比羅社」「祖霊社」があるそうです。

 

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案内板。

 

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猿田彦社」。

 

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山門別角度。
いい……なんか、いい。

 

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御朱印

 

さて、神社でいただいた由緒によれば、御祭神は「八幡大神」つまり「応神天皇」、相殿に「仲哀天皇」「神功皇后」……つまり「八幡様」でした。
ああ、だから「仁徳天皇社」と「宇治皇子社」があるのか。

 

「延元元年/建武三年(1336年)五月二十五日、楠木正成公が湊川の戦いにおいて戦死の砌、日頃厚く尊信されていた八幡大神(首に掛ける文殊様のものと伝わる)を家臣吉川弥六ら数名に託され戦場から逃れさせた。弥六は御神体を首に掛けて仲間と小舟にて淡路島に辿り着き、山中に潜んだ後、その地を亡き主の姓を冠し「楠木村」と号した。その後、室町幕府の目をはばかって「楠本村」と改めた。(現在の淡路市楠本)
ご神体は楠本村片山の小祠に祀られたが、祈願成就の霊言あらたかなる事が近郷の評判となり、時の領主・正井将監の命により現在の社地に応永六年(1396年)奉還され、以降来馬村、浦村、小田村、楠本村の氏神八幡宮」として崇敬を集める。
明治十四年に八幡宮を「松帆神社」と改め現在に至る。(以下略)」

 

由緒書からの引用です。
「楠本片山には、今も「元八幡」」が残っているそうです。
「松帆」は、このあたりの海岸が「松帆の浦」と呼ばれていたから、だそうです。

 

○こちら===>>>

「湊川神社」(兵庫県神戸市) - べにーのGinger Booker Club

「湊川神社」(補) - べにーのGinger Booker Club


楠木正成」といえば「湊川」、「湊川神社」、神戸ですから、淡路島からはほど近い……というほど近くはないですが、まあ、遠くはないです。
太平記』、読んでいないからなぁ……あれは軍記物で歴史書ではないので、逃げ延びた吉川弥六、という人のことは書かれているのかいないのかわかりません。
勉強……はぁ……。
こちらの神社には、そう、名刀「菊一文字」があるとのことで、御朱印帳も買っちゃいました。
刀剣女子には聖地だったりするのか……あ、「菊一文字」がどんなものなのか、刀剣には全く詳しくないのでよくわからないのです。
神社でいただいたしおりによれば、

 

「この太刀は承元年間(鎌倉時代)に後鳥羽上皇院政の砌、全国より名刀工を召し出され、共に親しく鍛刀遊ばされた際の筆頭御番鍛治備前福岡一文字則宗の作である。
刀姿に云うべからざる尊厳の気品を蔵し、その淬刀は杢目肌に大模様の肌交る丁字乱で、荘重華麗な刀紋を有する点世界に冠たる日本刀の真髄を発揮している。
昭和十年文部省より「貴重な菊御作で、拵(鞘・柄・鍔)も刀身に劣らず珍しいもので、共に重要美術品に認定する」として、国の重要美術品となっている。(日本刀重要美術品全集第四巻第一頁所載)
尚、言い伝えでは南北朝時代後醍醐天皇より楠木正成に下賜されたもので正成遺愛の太刀と伝えられている。」

 

とあります。
……あ、「一文字則宗」の作で、「菊」の紋がついているので「菊一文字」なのですね(まだよくわかっていない)。
近年の刀剣ブーム、『火ノ丸相撲』ブーム(?)、により、逸話ありの刀剣に関しては盛り上がっているようです(いや、昔からですけれどもね、男子の間では……「蜻蛉切」とか「膝丸」とか「日本号」とか「大般若長光」とか「備前長船」とか、えっと、坂本龍馬の佩刀はなんでしたっけね……)。
こちらの「菊一文字」は、昔からあると伝わってはいたものの、発見されたのが昭和初期だったようで、まつわるエピソードがはkっきりしない。
はっきりしないけれども、多分ガチの刀剣女子の間では話題になっているのではないでしょうか……そうでもないのかな……何にしろ、それを見るために淡路島にやってくる人が増える、というのは、ひとつ喜ばしいことではないかと思います。
というか、『古事記』『日本書紀』の国生み神話に登場する島ですから、もう、ワンダーランドですよ……一週間くらいいたい……。
それだけいれば、「フレッシュふじおか」でお買い物もできるでしょうに……ああまた行きたい淡路島……隠居したい……。

 

というわけで、ぐるっと回りきれていない淡路島の小旅行、このあとは後夜祭にて大変楽しみまして、レンタカーで神戸へ戻りました。
また行きますよ〜、きっと(コロナ……)。

「自凝島神社」(あわじ市)〜淡路ぐるっと旅

1/20。
淡路一宮を後にしまして、目指しましたは「自凝島神社」

 

○こちら===>>>

https://www.freedom.ne.jp/onokoro/

 

ひらがな表記でいいのかな……。

 

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いきなり拝殿です申し訳ない……いえ、参拝のかたが結構いらっしゃったもので。

 

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拝殿向かって右側。

 

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由緒。

「御祭神 伊弉諾尊 伊弉冊尊 菊理媛之命
古事記日本書紀によると諾冊二尊は、当おのころ島にて宮柱を立て、神様と日本の国々をお生みになったと書かれてあり、実に日本の八百萬の神様の親神様であります日本の国土と日本民族と二本の神様の三者の大祖先の神様であります
日本の発祥の地、おのころ島神社は日本の原点を省みて、将来の日本を考える、人々にとって忘れることのできない尊いお社であります(以下略)」

 

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こちら摂社の「八百萬神社」。
伊弉諾尊」「伊弉冊尊」の御子神、が祀られています。

 

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本殿を横から、だったか。

 

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「鶺鴒石」。
日本書紀』の一書で、二神の前に止まって、頭を尾を動かして、行為を教えた、とされる鶺鴒。
神社公式HPでは、その鶺鴒がとまった石、ということだそうです。

 

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「磤馭慮島神社」。
日本書紀』の表記です。

 

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うーん、淡路島も一週間くらいいて、うろうろしたいところですねぇ……。

 

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大鳥居。
昭和57年にできたそうです。
神社はこの丘の頂上にあります。
そう、こうなっていたらもう、この丘は古墳であるべきなのですが……(思い込み)。

 

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打ち捨てられた鳥居、でしょうか。

写真がまったく足りませんが、参拝者のかたが写り込んでしまうので、あまり撮影しておりませんでした……。

 

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御朱印

さて。

公式HPの由緒によれば、

 

「当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。」

 

とのことで、なるほど確かに島に見えなくもない丘ですね。
ご存知の通り、「オノゴロ島」というのは、「イザナギ」「イザナミ」のふた柱の神が、「天の浮橋」に立って、どろどろの地表を「天之瓊矛」でごろごろかき混ぜたら、そのしずくが勝手に固まって(おのずからこりかたまって)できた島です。
そして、「オノゴロ島」に降りた二神は、そこから国産みをはじめていくわけです。
さて、この「オノゴロ島」はどこにあるのでしょう、というのに諸説あります。
検索して見つけた、

 

○こちら===>>>

www.nikkei.com


↑の『日本経済新聞』の記事が、わかりやすくまとまっているかな、と思いますのでご参考に。
古代、神代の、それも国産み以前の話ですから、その場所を定めることは困難です。
しかし、なぜだか神代において、淡路島が特別に扱われていたことから、その近くにあったのではないか、と考えるのは自然な話でもあるでしょう。
国産みでは、一応本州も生まれていますが、東海以東、太平洋側の情報がないので、富士山への言及がありません。
当たり前といえば当たり前ですが、北海道のこともなし。
ということから、古代の日本人の把握していた地理というのがなんとなくわかります。
日本海佐渡島、越の国から出雲へ、対馬壱岐、九州、四国、瀬戸内海、淡路島、山陽地方畿内紀伊半島は微妙か……神代の物語のために集められた情報では、このくらいだったように思えます。
そのあたりで収集されたそれぞれの神話が統合されて、一つの国産み神話になっていったのでしょうが……まあ、なんでしょうね……鳴門の大渦を見てしまうと、天之瓊矛でぐーるぐるして島ができたのではないか、と思っても不思議じゃないだろうなぁ……とちょっと。
なので、「オノゴロ島」神話は、淡路島周辺で語られてきたもの、ということにしておきましょう(?)。
神代の妄想は、情報が少ないのでなかなか難しいです……。

 

「伊弉諾神宮」(淡路市)〜淡路ぐるっと旅

……コロナコロナのせいで、気づいたら1ヶ月以上更新できず……いやコロナのせいだけでもないんですけども……いろいろしんどい……。

 

1/20。
最高のお誕生日会の翌日、後夜祭(?)まで時間があるので、レンタカーで淡路島をぐるっとしてみようの旅、しかし実際は半分くらいしか巡れませんでしたの旅スタート、まずは当然、「伊奘諾神宮」です。

 

○こちら===>>>

izanagi-jingu.jp

 

残念な雲模様の中、到着しました。

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いきなり狛犬さんです。
えっと、車祓いの入り口にいらっしゃったのかな……。

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正面。

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若々しい狛犬さん。

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参道。
ちょっと、「橿原神宮」を思い出しますね。

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由緒が書かれています……読みづらいですが。

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「伊奘諾神宮
御祭神 伊奘諾大神 伊弉冉大神
社格 延喜の制 名神大社 淡路国一ノ宮 官幣大社
御由緒 古事記に故其の伊邪那岐大神は淡路の箍になも坐すなり 日本書紀伊弉諾尊 是を以て幽宮(かくりのみや)を淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり淡路の島は二柱の大神が一番初めに御開拓になった地であり 此の多賀は伊弉諾大神が国土経営の神業を了えられた後お鎮まり遊ばされた御終焉の地で大神の御陵がそのまま神社として祀られるようになった我が国最古の神社である(以下略)」

ああ、おのごろおのごろ……。

遠近法的な問題ではなく、巨大な石灯籠。

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石灯籠と橋。

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門。

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拝殿。
うむ、新しい。

 

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伊勢神宮」の遥拝所。

 

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「岩楠神社」。
御祭神は「蛭子神」。

 

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「夫婦大楠」。

なるほど確かに、ご神木……ぐるりと回りを巡れます……「連理の楠」で国産みっぽいことを、という感じなのでしょうかね……。

 

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「淡路祖霊社」。

 

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本殿をちらりと。
流造かな。

 

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茅葺かな……そろそろ修繕が必要な頃でしょうか……お金がかかりますからね。

 

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「左右神社」。
御祭神は「天照皇大御神」と「月読尊」。
こういったお祀りの仕方は珍しい……が何しろ「伊奘諾神宮」ですから、中心は「伊弉諾大神」なのです。

 

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住吉神社」と「鹿島神社」。

 

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「頭髪感謝之碑」。
つるっとしてるなあ……。

 

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本殿別角度。
流造。

 

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本殿を後ろから。
鰹木は六、千木は縦削ぎ。
さて……。

 

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本殿別角度。

 

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「竃神社」と「根神社」。
御祭神は「興津彦命・興津姫命」と「素盞嗚尊」。
随分と、珍しい名前の付け方ですな「根神社」……鼻じゃないんだ……。

 

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祓殿。

 

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本殿別角度。
正面からもっと近づきたいところです。

 

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青銅の灯篭は拝殿前。

 

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灯篭の基部の獅子。

 

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拝殿前の狛犬さん。

 

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再び、門を遠景で。

 

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拝殿も遠景で。

 

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拝殿向かって右手。

 

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拝殿向かって左手。
つまり、広い。

 

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門の支柱とか敷石の記念碑とかなのか。

 

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池といったら多分「厳島神社」。

 

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これは……なんだろう……。

 

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池の反対側から。

 

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案内板……あ、違った「厳島神社」じゃなくて「延壽宮」だそうで。

 

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「神様の結うとおり」という、まち歩きマップ。
ううむ、神社がいくつかあって歩きたいところですが……。

 

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「ひのわかみやと陽の道しるべ」碑。
大神社がなんらかの法則によってその位置を定めているのではないか、というのはよく言われている話です。
一方で、古代の人にとっては、太陽の動き、月の動き、星の動き、潮の満ち引き、風、といったものを観測するのは当然みたいなもので、そこに法則性を見出せば、夏至冬至春分秋分を発見することもできたでしょう。
それに沿ってラインを引く、というか、世界中でそういった自然現象を追いかけているのですから、ラインを引けば何かしら一致もするでしょうな、という話もあります。
うーん、どうなんでしょうね……面白いんですが、その意味がよくわからない……。
ま、やめときましょう。

 

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「日本遺産 国生みの島・淡路」。

 

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御朱印

 

さて。

 

○こちら===>>>

神社覈録. 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『神社覈録』からいってみましょうか(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
477コマです。

 

「淡路伊佐奈伎神社 名神大
(略)郡家郷多賀村に在す、二柱神社と稱す(略)○当国一宮也、(略) ○日本紀神代巻上に、伊弉諾尊神功既畢、霊運当遷、是以構幽宮於淡路之洲、寂然長隠者矣、亦曰、伊弉諾尊功既至矣、徳亦大矣、於是登天報命、仍留宅於日之少宮矣(略)、同紀、履中天皇五年九月乙酉朔壬寅、天皇狩于淡路島、是日河内飼部等従駕執轡、先是、飼部之黥皆未羌、時居島伊弉諾神託祝曰、不堪血臭矣、因以卜之、兆云、悪飼部等黥之気、故自是後頓絶以不黥飼部而止之、允恭天皇十四年九月癸丑朔甲子、天皇獦于淡路島、時麝鹿猿猪、莫々紛々、盈于山谷、焱起蝿散、然終日以不獲一獣、於是獦止以更卜矣、島神祟之曰、不得獣者是我之心也、赤石海底有真珠、其珠祠於我、則悉当得獣、爰更集處々之白水郎、以令探赤石海底、海深不能至底、唯有一海人、曰男狭磯、是阿波国長邑之海人也、勝於諸海人、是腰繋縄入海底、差頃之出曰、於海底有大蝮、其處光也、諸人皆曰、島神所請之珠、殆在是蝮腹乎、亦入探之、爰男狭磯抱大蝮而泛出之、乃息絶以死浪上、既而下縄測海底六十尋、則割蝮實、真珠有腹中、其大如桃子、乃祠島神而獦之、多獲獣也、唯悲男狭磯入海死之、則作墓厚葬、其墓猶今存之、(略)」

 

……『日本書紀』でした。
ご存知の通り、『日本書紀』では淡路の多賀、『古事記』では淡海の多賀、におかくれになったとされている「伊弉諾尊」。

 

○こちら===>>>

「多賀大社」 - べにーのGinger Booker Club


日本書紀』では、高天原に戻った「伊弉諾尊」は「日の少宮(わかみや)」に住んだ、という話もあったりします。
引用している允恭紀は、淡路島の神が天皇に祟って、狩の獲物を全然とらせなかったよ、という話です。
神が、「赤石の海に真珠があるから、それをとってきたら獲物をあげるよ」とおっしゃるので、阿波国の海人(白水郎)が大きな真珠を命がけでとってきて(死んじゃいますが)、神に奉納したらその通りに獲物が増えた、とのこと。
で、これが「伊弉諾尊」かどうか、ということが問題になるわけですね。
国生みでは、だいたい大八洲のあとに淡路島が誕生していて、古来の伝承で淡路島が重要な位置付けだったことが伺えます。
で、そこの神が祟ると。
それも天皇に。
まあ、パターンといえばパターンですが……「天照大御神」も「倭大国魂神」も祟ってますから、「伊弉諾尊」が祟っても不思議ではないですな(そういえば、淡路島には、「大和大国魂神社」もあるそうで……南の方です……行けなかった……)。
祟るくらいのパワーがある、という考え方もできますので。
これが「伊弉諾尊」ではない、としたらどうなるのでしょうね……誰かを淡路島に封じ込めた、ってことになるのでしょうか。
うまく妄想がまとまりません……ううむ、もうちょっと勉強します。

「厳島神社(淡路島弁財天)」〜淡路ぐるっと旅〜

1/19。
人生初の淡路島は、偉大なるギタリストのお誕生日会。
その前に、成功を願って、会場からほど近い厳島神社へ。

 

○こちら===>>>

厳島神社|兵庫県神社庁 神社検索

 

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巨大ショッピングモールを少し離れ、なんとなくのんびりした商店街を抜けて、鳥居。

 

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参道を進み。

 

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拝殿。
しこたま天気がいい。

 

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イノシシ……そうだ、2019年だ。

 

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「稲基神社とお登勢の碑
明治三年に起こった所謂「庚午事変」により、稲田家と家臣一同が北海道静内へ開拓移住となり、稲田家の守護神(稲基神社)も北海道に移祭し今も洲本と静内で祀られている。
昭和五十一年、洲本ライオンズクラブと静内ライオンズクラブが姉妹提携を結んだのを機に新たに建立された。
お登勢の碑」は「庚午事変」を題材にした小説「お登勢」の作者船山馨先生の揮毫によるものである。」

 

○こちら===>>>

庚午事変(稲田騒動)

 

なるほど、こんな事件が……いずこにも歴史あり、時代もまたあり、ですね。

 

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お登勢」の碑。

 

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なんでまた撮影した……。

 

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こんな具合に、境内の一角に。

 

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おいなりさん。

 

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芭蕉の句碑。

 

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「洲本八狸」の「武左衛門」さん。

 

「毎日夜ふけに見廻りに出て戸締りの悪い家があると家の外から鍵をかけてまわったそうです。」

 

……ありがた迷惑!
しかしなぜ狸……そうか、四国が近いんだった、隠神刑部のお膝元ではないか……。

 

○こちら===>>>

www.sumoto-cci.org

 

……なんと、「柴右衛門狸」は洲本の出身だったのか……いかん、調べてから行けば、もっと楽しく洲本を……いやいやお誕生日会がね……。
いつかリベンジにこよう。

 

 

……あれ、最初のでしたっけ……。

 

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荒神社」。
狛犬さんも小さい。

 

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こちら狛犬さん。
つるっつるになっちゃった感じですね。

 

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参道から。

 

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御朱印

 

さて。

 

……あ、すみません、特にないのです……それでは、淡路ぐるっと旅のスタートです。

「穴八幡宮」(東京都新宿区)

12/9。
高田馬場で、「むらくる?」が行われたので(?)、行く行くとなりまして、時間ができたので歩いていけるぞ「穴八幡宮へ。

おっと、公式HPがない……。

 

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高田馬場流鏑馬
享保十三年(一七一八)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
古式豊かで勇壮な高田馬場流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。」

 

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鳥居。

 

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流鏑馬の像。

 

 

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由緒書。

 

「《御祭神》応神天皇仲哀天皇神功皇后
康平五年(一〇六二)奥州の乱を鎮圧した源義家八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀られました。
寛永十八年(一六四一)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安元年(一六四八)社殿再興の折に幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(一六四九)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行なわれましたが、特に元禄十六年(一七〇三)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
安政元年(一八五四)青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随身門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内の整備に着手し今日に至っています。」

 

『江戸名所図会』は後ほど見ましょうか。

 

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石鳥居からの階段。

 

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随身門と御随身

 

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裏はお馬さん。

 

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「布袋」さん。
江戸城吹上の庭にあったのを移設して、手水鉢にしていたようです。

 

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狛犬さん。

 

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拝殿。

黒漆なのか、渋い感じですね……権現造ならもっと派手派手しくてもよいのでは……本殿はそうなのかな(見えません)。

 

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遠景。
東京にありながら、この角度は高層ビル等が写らない、なかなかのスポットだと思います。

 

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狛犬さん。
こちらは有名でしょうか……いい感じな怪獣具合。

 

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鐘楼かな。

 

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本殿……そんな派手ではなかった。

 

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お隣にある「放生寺」というお寺。
そういえば、お参りはしなかったのか……。

 

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八幡坂、の由来。

 

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御朱印
一陽来復」。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
53コマです。

 

「高田八幡宮
牛込の総鎮守にして、高田にあり。世に穴八幡とよべり。此地を戸塚と云ふ、別当真言宗にして、光松山放生会寺と號す。旧名は威盛院中之坊と唱へしとなり。祭礼は八月十五日にて、放生会あり。旅所は牛込神楽坂の中腹にあり。
社記に云く、寛永十三年丙子、御弓隊の長松平新五左衛門尉源直次に与力の輩、射術練習の為、此地に的山を築き立てらる。八幡宮は源家の宗廟にして、しかも弓矢の守護神なればとて、此地に勧請せん事を謀る。此山に素より古松二株あり。其頃山鳩来つて、日々に此松の枝上に遊ぶを以て霊瑞とし、仮に八幡大神の小祠を営みて、件の松樹を神木とす。(南向亭云く、此地は旧早稲田邑の地中島といふ。此地に青柳津六兵衛といへる富民あり。往古北条氏に仕えし士にて、其人の持伝へし山林にてありしとぞ。)此地昔は阿弥陀山と呼び来りしとなり。されど其所以を知る者なかりしに、同十八年辛巳の夏、中野宝仙寺秀雄法印の会下に、威盛院良昌といへる沙門あり。周防国の産にして、山口八幡の氏人なり。幼くして毛利家の侍榎本氏某に仕へしが、榎本氏没して後、十九歳の年遁世して、高野山に登り、宝性院の法印春山の弟子となり、一紀の行法をとげて二十一歳の時より諸国修行の志を発し、其間さまざまの奇特をあらはせりといふ。依て此沙門を迎えて社僧ならしむ。故に同年の秋八月三日、草庵を結ばんとして山の腰を切り開く時に、ひとつの霊窟を得たり。その窟中石上に、金銅の阿弥陀の霊像一躯たたせ給へり。御長三寸ばかり。八幡宮の本地にて、しかも山の号に相応するを以て奇なりとす。穴八幡の号ここに起れり。其旧址今猶坂の傍にあり。又此日将軍家御令嗣巌有公御誕生ありしかば、衆益其霊威をしる。[江戸名所記]に云ふ、同年八月九日、社頭の繞一町四方に縄張して、其地を開き、本社をば神木の松の本に遷し、八重垣を結ひまはしける。其時加州大守、数百の人歩を贈られ、其地を築き固めしむ。依て日ならず成就し、同十四日遷宮の式を執行す。松平新五左衛門尉、其与力の人々を引供して、的山の辺に幕を張り、式正の小的を建つる。神的は射法なればとて、小池の何某が子十二歳にして是を勤むと云々。其後元禄年間今の如く宮居を御造営ありて、結構備れり。[南向亭茶話]に、巌有公殊に当社を御崇敬あり。御宿願の事満ち給ふの後、当社を営せらる。裏門は内藤豊前守、普賢堂は松平左近将監、御手水垣は、増山兵部少輔等これを寄進すとあり。又[江府神社略記]及び[和漢三才図会]等の書に、元禄年中桂昌院殿御再興ありしと云々。
若宮八幡宮 本社の前、左にあり。
東照大権現 同所に並ばせ給ふ。毎年四月十七日参拝の人多し。
氷室明神祠 本社に相対す。「盛徳」といふ二字を彫りたる額を掲く。祭神大己貴命。元禄二年十二月二十二日、牧村氏直良、十六歳にして疱瘡を患ふ。同三年正月二日、金澤の住人渡辺氏是善、霊夢の応ありて此神を祭る。直良此神に祈願して平兪す。同七年の頃、始てここに鎮座せしむるといひ伝ふ。
光松 別当寺と本社との間、坂の支路にあり。昔の松は延享年間に枯れたりとて、今あるものは後世植え継ぎたる若木なり。南向亭云く、此地昔は松樹繁茂せし山林にて、其中に一株の松あり。暗夜には折として瑞光を現ず。故に其樹を称して光松と云ふとぞ。又寛永十三年始て当社八幡宮勧請の頃此樹上に山鳩来り遊びしと云々。
放生池 石階の下にあり。山の腰より清泉したたりおつ。実に石清水の名に応ずるの奇特といふべし。
出現所 坂の半腹絶壁にそひてあり。往古の霊窟の旧址なり。近頃迄其地に出現堂と名けて、九品仏の中、下品上生の阿弥陀如来の像を安置せし堂宇ありしが、今は見えず。
能舞台址 本社の左の方にあり。今礎を存するのみ。寛延三年庚午三月観世太夫一代能を興行せし跡なりといふ。
抑当社の別当寺を光松山と号くるも、神木の奇特によそへてなり。神と君の道直にして、治る御代の濁なく、石清水の清き誓最も尊くぞ思はれける。殊更元禄の頃御再興ありしより、和光の神徳日々に顕れて昭然たり。」

 

図絵もありまして、重ね合わせると、現代の土地の状況とあまり変わっていないのがわかります。
『江戸名所図会』が妙に持ち上げた感じの記事なのは、将軍家祈願所ですからね……致し方ないかと。

 

(さて、ようやく……2018年の記事が終わりました。実際あまり神社仏閣巡りもできなくなってきているので、2019年の記事ものんびり行きたいと思いますし、途中で城が入ってくる可能性があります)