べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「松帆神社」(淡路市)〜淡路ぐるっと旅

1/20。
さて、そろそろ後夜祭の時間も迫ってきましたので、あと一箇所くらい……と思い、検索検索で発見した「松帆神社」へ。

 

○こちら===>>>

matsuhojinjya.com

 

f:id:bennybebad:20190120111543j:plain

鳥居と参道。
ううん、いい感じ。

 

f:id:bennybebad:20190120111654j:plain

門。
神仏習合時代のまま、でしょうか、御随神も仁王もいらっしゃらぬのはちょっと妙。

 

f:id:bennybebad:20190120111836j:plain

拝殿内。

 

f:id:bennybebad:20190120111905j:plain

拝殿。
平入りに破風、そしてこの高さ……ちょっと妙な作り。
やはり元々は寺院、なのか……拝殿でもないのかもしれないです(※神社でいただいた由緒書きによれば、幣殿でした)。

 

f:id:bennybebad:20190120111920j:plain

f:id:bennybebad:20190120111926j:plain

f:id:bennybebad:20190120111932j:plain

彫刻。
勇壮というよりは、流麗ですね。

 

f:id:bennybebad:20190120111953j:plain

f:id:bennybebad:20190120112005j:plain

f:id:bennybebad:20190120112018j:plain

f:id:bennybebad:20190120112031j:plain

狛犬さん。
苔……なのかな、緑青っぽくも見えるけど、石造りだし……。

 

f:id:bennybebad:20190120112627j:plain

f:id:bennybebad:20190120112636j:plain

本殿向かって右側の摂社。
急いでいたので、ゆっくりお参りできず……「松尾社」と「仁徳天皇社」だそうです。

 

f:id:bennybebad:20190120112704j:plain

幣殿遠景。
うん、やはり神社建築じゃないな……お寺の本堂(金堂)かな……。

 

f:id:bennybebad:20190120112730j:plain

向かって左側の摂社。
「高良社」と「宇治皇子社」だそうです。

 

f:id:bennybebad:20190120112811j:plain

幣殿から山門。
いい……いいロケーションだ……。

 

f:id:bennybebad:20190120112823j:plain

幣殿の階段下から。

 

f:id:bennybebad:20190120112908j:plain

f:id:bennybebad:20190120112917j:plain

f:id:bennybebad:20190120112929j:plain

贔屓。
大陸由来の霊獣です。

 

f:id:bennybebad:20190120112952j:plain

摂社。
天満宮社」「疱瘡社」「金刀比羅社」「祖霊社」があるそうです。

 

f:id:bennybebad:20190120113002j:plain

案内板。

 

f:id:bennybebad:20190120113012j:plain

猿田彦社」。

 

f:id:bennybebad:20190120113027j:plain

山門別角度。
いい……なんか、いい。

 

f:id:bennybebad:20190120210046j:plain

f:id:bennybebad:20190120210107j:plain

御朱印

 

さて、神社でいただいた由緒によれば、御祭神は「八幡大神」つまり「応神天皇」、相殿に「仲哀天皇」「神功皇后」……つまり「八幡様」でした。
ああ、だから「仁徳天皇社」と「宇治皇子社」があるのか。

 

「延元元年/建武三年(1336年)五月二十五日、楠木正成公が湊川の戦いにおいて戦死の砌、日頃厚く尊信されていた八幡大神(首に掛ける文殊様のものと伝わる)を家臣吉川弥六ら数名に託され戦場から逃れさせた。弥六は御神体を首に掛けて仲間と小舟にて淡路島に辿り着き、山中に潜んだ後、その地を亡き主の姓を冠し「楠木村」と号した。その後、室町幕府の目をはばかって「楠本村」と改めた。(現在の淡路市楠本)
ご神体は楠本村片山の小祠に祀られたが、祈願成就の霊言あらたかなる事が近郷の評判となり、時の領主・正井将監の命により現在の社地に応永六年(1396年)奉還され、以降来馬村、浦村、小田村、楠本村の氏神八幡宮」として崇敬を集める。
明治十四年に八幡宮を「松帆神社」と改め現在に至る。(以下略)」

 

由緒書からの引用です。
「楠本片山には、今も「元八幡」」が残っているそうです。
「松帆」は、このあたりの海岸が「松帆の浦」と呼ばれていたから、だそうです。

 

○こちら===>>>

「湊川神社」(兵庫県神戸市) - べにーのGinger Booker Club

「湊川神社」(補) - べにーのGinger Booker Club


楠木正成」といえば「湊川」、「湊川神社」、神戸ですから、淡路島からはほど近い……というほど近くはないですが、まあ、遠くはないです。
太平記』、読んでいないからなぁ……あれは軍記物で歴史書ではないので、逃げ延びた吉川弥六、という人のことは書かれているのかいないのかわかりません。
勉強……はぁ……。
こちらの神社には、そう、名刀「菊一文字」があるとのことで、御朱印帳も買っちゃいました。
刀剣女子には聖地だったりするのか……あ、「菊一文字」がどんなものなのか、刀剣には全く詳しくないのでよくわからないのです。
神社でいただいたしおりによれば、

 

「この太刀は承元年間(鎌倉時代)に後鳥羽上皇院政の砌、全国より名刀工を召し出され、共に親しく鍛刀遊ばされた際の筆頭御番鍛治備前福岡一文字則宗の作である。
刀姿に云うべからざる尊厳の気品を蔵し、その淬刀は杢目肌に大模様の肌交る丁字乱で、荘重華麗な刀紋を有する点世界に冠たる日本刀の真髄を発揮している。
昭和十年文部省より「貴重な菊御作で、拵(鞘・柄・鍔)も刀身に劣らず珍しいもので、共に重要美術品に認定する」として、国の重要美術品となっている。(日本刀重要美術品全集第四巻第一頁所載)
尚、言い伝えでは南北朝時代後醍醐天皇より楠木正成に下賜されたもので正成遺愛の太刀と伝えられている。」

 

とあります。
……あ、「一文字則宗」の作で、「菊」の紋がついているので「菊一文字」なのですね(まだよくわかっていない)。
近年の刀剣ブーム、『火ノ丸相撲』ブーム(?)、により、逸話ありの刀剣に関しては盛り上がっているようです(いや、昔からですけれどもね、男子の間では……「蜻蛉切」とか「膝丸」とか「日本号」とか「大般若長光」とか「備前長船」とか、えっと、坂本龍馬の佩刀はなんでしたっけね……)。
こちらの「菊一文字」は、昔からあると伝わってはいたものの、発見されたのが昭和初期だったようで、まつわるエピソードがはkっきりしない。
はっきりしないけれども、多分ガチの刀剣女子の間では話題になっているのではないでしょうか……そうでもないのかな……何にしろ、それを見るために淡路島にやってくる人が増える、というのは、ひとつ喜ばしいことではないかと思います。
というか、『古事記』『日本書紀』の国生み神話に登場する島ですから、もう、ワンダーランドですよ……一週間くらいいたい……。
それだけいれば、「フレッシュふじおか」でお買い物もできるでしょうに……ああまた行きたい淡路島……隠居したい……。

 

というわけで、ぐるっと回りきれていない淡路島の小旅行、このあとは後夜祭にて大変楽しみまして、レンタカーで神戸へ戻りました。
また行きますよ〜、きっと(コロナ……)。