べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「世界一の美濃焼狛犬」〜「八王子神社」(岐阜県瑞浪市)

6/24。

今回は毛色を変えまして、ある人物から入手した情報を元に、「世界一の狛犬を求めて、岐阜県瑞浪市へ。

神社としては、八王子神社です。

 

○こちら===>>>

大川の美濃焼狛犬群 | 瑞浪市

 

瑞浪市のHPです。

 

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とりあえず、石灯籠から。

秋葉山」「牛頭天王」「太神宮」「金毘羅山」……大集合。

 

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神社前の景色。

 

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鳥居。

 

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鳥居、別角度。

 

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狛犬さん。

陶器製の狛犬さん、あちこちにあります。
セラミックなので、保存さえ適切に行われれば、長い年月の風雪に耐えうるものでしょうが、衝撃に弱いので破損の危険が石、青銅などに比べれば高い、と。

素材選びはなかなか難しいのでしょう。

 

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階段。

 

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登り切ると、まず神楽殿

 

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扁額。

 

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そのまま進めば拝殿。

 

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瑞浪市指定文化財 美濃焼狛犬
狛犬は、中世では、多くが小型の石製や木彫のものが本殿の縁に据えられるものが普通であった。
しかし、彫刻が難しいところから陶器に関係の深いこの地方では、江戸の中期以降に神社の氏子や信者たちが、個人または共同で庇護や利益の祈願報謝の意味をこめて、陶製狛犬を奉納するようになったといわれている。
しかしこれらのうち半数が無銘で、年代も作者も一部しか判明していないのは残念であるが、この大川八王子神社の五対余のうちに「羽柴与左衛門景度作」在銘のものがあることは大変貴重なことである。
この景度の先祖は、室町後半期の文明六年(一四七四年)武蔵国久良岐郡(神奈川県横浜市附近)より移住してきた加藤左衛門尉景信で大川窯を開き景光、景忠と続き、景度の時代で前世をきわめ、その製品は「与左焼」と呼ばれ広く世間から賞用された。
その銘ある狛犬は、小型ではあるが与左衛門の元亀、天正頃の作と考えられ、その◼︎作のすばらしさを現わしている。」

 

なるほど、横浜からいらっしゃったと。

そういえば、瀬戸の陶祖「加藤四郎」という人がいましたね……。

 

○こちら===>>>

「窯神神社」(瀬戸市) - べにーのGinger Booker Club

「深川神社」(瀬戸市) - べにーのGinger Booker Club

補遺「瀬戸」(『尾張名所図会』より) - べにーのGinger Booker Club


瀬戸市瑞浪市、決して遠くはないので、なんらかの関係があるのではないか、と思ったりもしますが、さてどうなんでしょう。

 

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拝殿。

 

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ちらっと本殿。

 

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「金毘羅」さんの碑。

 

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「天神」様。

 

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狛犬さん。

 

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瓦に「八王子」。

 

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津島神社」、要するに「牛頭天王社」です。

 

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拝殿前から神楽殿

 

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青紅葉。

いや、神社としても素敵ゾーンでしたよ。

通常、神社は常緑樹が多いのですが、そんなことおかまいなしで落葉樹が植わっているところもあります。

おそらく、神仏習合時代の名残、なのでしょう(ですので、むしろ常緑樹のみ、というところが新しく整備されている可能性もあります)。

 

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そして、これでもかと狛犬

近所の人や子供たちが作ったもののようです。

 

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まだ狛犬さん。

 

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神社境内のお隣に、ありました「世界一の狛犬」さん。

 

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概要が書かれています……久々に聞いたな「ふるさと創生事業」……金をばらまいてもろくなことにはならない、ということを証明したような事業でしたが、こういう面白いものも残っているのを考えると、悪いことばっかでもなかったのかな……。

 

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どん。

作ったはいいが、15トンで動かせない……なので窯ごと残しました、ということなのでしょうか。

いや、それならそれで、興味深いものになっていると思います。

思っていたのとはちょっと違っていましたが、楽しめました。

まあ、時にはこんな感じも……あ、神社の歴史なんかはちょっと掘り切れなかったもので、郷土史家のみなさんにお任せします。

 

(ボソッ)……これで御朱印を頒布されるようになれば、もっと人が来ますよ……。

 

「物部神社」(名古屋市東区)(再)

6/10。

近在で、そういえば最近行ってなかったなぁ、と思いまして、「物部神社へ。

 

◯こちら===>>>

「物部神社」(補・「高牟神社」) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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正面。

 

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手水鉢。

 

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拝殿の狛犬さん。

ときどき見かける、この口が赤い狛犬さん、これがそれなりの作法に乗っ取ったものなんでしょうか。

昔は、どんな狛犬さんも、色を塗る感じだったのか……。

 

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こちらは境内摂社の「物部白竜社」、の狛犬さん。

 

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由緒。

 

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「物部白竜社」全景。

 

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社標。

 

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境内から「物部白竜社」方向を。

 

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境内摂社「物部天満社」の牛さん。

 

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「物部天満社」全景。

 

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他摂社と狛犬さん。

 

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同じタイプの狛犬さんが並んでいて、ちょっとしたトリックアート。

 

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こちら「大黒社」の、「大黒」様、と狛犬さん。

えらく漫画チックな狛犬さんで、よろしいのではないかと。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

式内社、ということなので、『神社覈録』をみておきましょう。

409コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

物部神社
(略)○祭神宇摩志麻治命、府志○古井庄古井村に在す、俗石神堂と称す(略)

集説云、在高牟神社西北崇一巨石為神霊、古有祠荒蕪者歟、元禄中故権中納言綱誠卿新建社、姓氏録、物部氏有神別皇別二種、物部首、天足国忍人命之後也、物部連、饒速日命之後、而與尾張氏同祖也、文徳実録曰、斉衡二年十二月、大僧都傳灯大法師位實敏、姓物部氏尾張国愛智郡人也、云々、当知当郡昔日有物部氏人、当社蓋其氏神祠歟(以下略)」

 

……前回の記事で、神社の由緒を読んでいただければわかると思いますが、「大きな石」(磐座?)を信仰していた、その痕跡に新たに祠を作ったものが、「石神堂」と呼ばれていたのだけれど、どこかで「物部神社」と呼ばれるようになったらしいです。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

お久しぶりね、の『尾張名所図会』ではどうなっているのか、というと。

274コマです。

 

物部神社 俗に石神堂といふ。建中寺の東南、車道の東にあり。自然に地より出でたる一巨石の上に社をたてたり。[延喜式]に愛智郡物部神社、[本国帳]に従三位物部天神とあるこれなり。祭神宇麻志麻知命。古社は荒蕪衰廃せしを、現六年中、国君祠を重修し、石碑を立てさせたまへり。

物部郷 [和名類聚抄]に愛智郡物部とあるは、何れの地なるにや今定かならねど、物部神社の近くあたり其旧地なるべし。」

 

『和名類聚抄』に「物部」の地名がある、それがどこかはわからないが、「物部神社」の近くだろう、と『尾張名所図会」では言っているのですが、そもそも「石神堂」と呼ばれたものが、『延喜式』で「物部神社」と呼ばれたものなのかどうか、がよくわかりません。

ただ、名古屋市北区の「味鋺神社」しかり、物部氏の系統の勢力が、濃尾平野辺りに広がっていた、という痕跡は見られるので、「物部神社」があっても不思議ではない、と。

延喜式』の時代、「氏族名+神社」という呼称が結構観られるので、物部氏が特別だったわけではない、と同時に、氏神ととらえられるほどに地方に根をはった、という意味では、中央からしてみれば「大した影響はない」と考えたのかもしれません。

なかなかなインパクトですよね、「物部神社」って。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

尾張志』も観ておきましょうか。

3コマです。

 

物部神社
古井村にまして石神堂と称す大なる石を神霊と崇祭る故にこの号あり 延喜神名式に愛智郡物部神社本国帳に同郡従三位物部天神とある是也とそ扨物部といふ舊はモノノフベといふ意モノノフとは武勇職を以て仕奉勇士の通称にて部とは其群を総呼名也 かくて姓名とも致命ともなれり此處は致命にて和名抄に愛智郡物部と見えたる郷なり されとも彼抄に載られたるはいとふるき郷なる故に既その名廃れて今の世に存らぬたぐひ諸国にいと多あり此處も其定也また物部氏は神饒速日命の後にて其類族甚だ多し精しくは姓氏録及天孫本紀を見て知べし(略)」

 

この時代「モノノフ」といえば、ももいろク……あ、なんでもないです……まあ、やっぱり大きい石を祀っていた祠があった、というのは事実のようで、それが古代の磐座なのか、あるいは古墳の石室のものだったりするのか……さて、どうでしょう。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

これもお久しぶりの『名古屋市史・社寺編』も観てみましょうか。

183コマです。

 

物部神社
物部神社は愛知郡千種町字北浦(もとは古井村)に在り、境内五百四十八坪あり、俗に石神堂又は山神ともいふ、延喜式神名帳愛知郡の部に物部神社あり、国内神名帳従三位物部天神あり、張州府志、本国神名帳集説、寺社志、加藤博庸の祠碑文(天明七年◼︎、今境内に在り)、尾張志等は略、之を本社に充て、尾張国地名考は此説を誤なりとし、尾張国式社考草稿は之を疑問に附せり、垂仁天皇の御代始めて社殿を造営すといふ、元禄中藩主綱誠(泰心院)重修遷宮す、明治初年式内に治定し、尋いで村社に列せしが、(略)今、無格社たり、祭神は宇摩志麻遅命なり。
略……『張州府志』を引用して、「神武天皇」がこの地の凶魁を打ち、巨大な石を国の鎮めとした、という由緒が書かれている……

殿宇には神殿、社務所等あり、例祭は秋の山の講、春の山の講、及び四月六日、七日なり、(以下略)」

 

さすが、いくつも文献を引用しているだけあってまとめのようになっていてありがたい。

神武天皇」云々、というのは牽強付会で、巨石信仰があっただろうことは日本中そうなので疑いなく、となると結局は、「物部神社」にしろ「物部郷」にしろ、(『延喜式』や『和名抄』当時の)場所がはっきりしないことには、「石神堂」が「物部神社」なのかは同定できない、ということですかね。

仮に「物部神社」だったとしても、俗称「山神」とも呼ばれていたということですし、お祭りが「山の講」になっていて、「物部神社」っぽさ(物部氏氏神としての側面)は失われていると考えるのが自然かな、と。

 

 

 

で、多くの郷土史家のかたが、多分頭を悩ませるのは、延喜式』にはですね、愛智郡と春日部郡に、「物部神社」と「高牟神社」、という同じ神社名が並んでいること、ではないかと思います。

いえ、同じ国内に同じ名前の神社がある、という例は他にもあるのでしょうけれど、隣同士の郡で、それも二つですからね……

 

 

 

……おっと、鋭い人はもうお分かりでしょうか、そうですね、「どっちかが最初にあって、どっちかは勧請した」、というだけではないのか、それほど悩むことなのか……

 

 

 

……いや、まあ実際そうなんだろうなと思いつつも、こういう些細なことで悩んで楽しむのが陰謀論……じゃない古代史のロマンってやつで……。

いえ、私も不勉強なので、そのことに関する論考など読んでいません、ひょっとすると何か文献的に確認できる理由、が見つかっているかもしれませんので、いずれ考えてみたいと思います。

 

 

 

あ、御朱印はいただけると思いますが、前回は書き置きのもので、今回はいただいておりません。

特に理由はないですが……何か急いでいたのか……(もう思い出せません)。

「厳島神社」(再々々)〜初夏の広島巡り〜

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6/3。

よんどころない事情での「厳島神社」、人生3度目……地元の神社、「熱田神宮」は毎年行きますが、「伊勢神宮」の内宮ですら……ああ結構行ってるな……ま、まあ、遥か遠く「安芸の宮島」まで、こう何度も行くことになるとは思っていませんでした……独身って怖い……。

 

◯こちら===>>>

「厳島神社」 - べにーのGinger Booker Club

「宮島」 - べにーのGinger Booker Club

「近況」 - べにーのGinger Booker Club

近況 - べにーのGinger Booker Club

近況〜広島参拝記(その2) - べにーのGinger Booker Club

近況〜広島参拝記(その3) - べにーのGinger Booker Club

 

ええまあ、↑のどれかの記事で写真はほとんど上げていますのでリンクを確認していただくとして、再掲載。

 

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狛犬さん。

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東海地方以外で、広島の参拝記事が一番多くなってきているなぁ……いいんですけれども。

というわけで、晴天に恵まれて満足だけの広島巡りでした〜。

「稲生神社」(広島市南区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

饒津神社」の参拝を終えて、歴史の散歩道をもう少したどってみようか……と思っていたら、iPhoneが急速に電池消費、フリーズ
あわてて携帯バッテリーで充電するもどうにも調子が悪いので、iOSのアップデートを街中で始めてしまう、という……おかげで時間がなくなり、宿に向かうことに。

それでも、どこか行けまいか行けまいか、と探して、発見しました稲生神社

 

◯こちら===>>>

稲生神社(いなりじんじゃ) | 歴史・文化 | 広島広域観光情報サイト ひろたび 広島から、旅をつくろう!

 

↑観光サイトです。

 

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いきなりおキツネさま。

原爆に耐えたお守りきつねさま、

 

稲生神社とお守りぎつね
一七三三(享保十八)年
神社周辺四町にて大火災発生するが
神社は火災免れる
この時 白狐より
町の平穏と五穀豊穣
商売繁昌を願い安住したい
というお告げがあり
鎮守されたと云い伝えられています」

 

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参拝した目的は、ほぼこれだったりします……『怪』。

妖怪になられた水木大先生、最近妖怪になりつつあるのか荒俣先生、鋭意執筆京極氏。

はぁ……。

 

虚実妖怪百物語 序 (怪BOOKS)

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虚実妖怪百物語 破 (怪BOOKS)

虚実妖怪百物語 破 (怪BOOKS)

 
虚実妖怪百物語 急 (角川ebook)
 

 

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そして、さらば鉄人……。

 

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町の中、二階建ての建物の二階部分に神社がある、といった構造。

 

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隣のビルとの対比が鮮やか、に見えるかと思ったらそうでもないの写真。

 

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「南区の妖怪伝説
三次の妖怪話として有名な稲生物怪録
妖怪を退散させた稲生武太夫が祭られているのが南区の稲生神社です。

江戸時代の三次に伝わる「稲生物怪録(いのうもののけろく)」は妖怪を退散させたという稲生武太夫(いのうぶだゆう)の武勇伝を書き残したものです。
三次市では、この伝説を元に世界妖怪会議を行うなど、まちおこしに活かしています。
広島市の南区にある稲生(いなり)神社には、この稲生武太夫が祭られており、妖怪を退散させたことから、魔よけ・強運を招く神様といわれています。」

 私、妖怪にもわりと強い、と思っていたのですが、もちろん京極・荒俣・水木といったほぼ妖怪の人たちにかなうわけはなく。

その中で知ったのが『稲生物怪録』でした(読んでませんけども)。

妖怪大戦争(2005年版) [DVD]

妖怪大戦争(2005年版) [DVD]

 

 

妖怪大戦争』(新しい方)をご覧になった方はおわかりかと思いますが、「山ン本五郎左衛門」という魔王の出展もこちらです。

読みたい、と思いながらもスルーしっぱなし……。

 

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鳥居。

 

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「広島のお稲荷さん
浅野公が広島入府の際、勧請し、当稲生神社豊受大神大国主命・稲生武太夫公霊神をお祀りしています。五穀豊穣・商売繁昌・厄除けの神様として四〇〇年の歴史をもち広島のお稲荷さんとして親しまれ崇敬されてきました。とくに享保十八年六月十八日広島大火災の時、稲生神社と◼︎◼︎志七(信仰厚く稲生社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから火災除けの神様として篤く信仰されています。
また、稲生武太夫公は、強く勇敢な妖怪退治で知られ、人々を守ったことから魔除け・強運を招く神様ともいわれています。」

 

ちょっと植え込みで隠れちゃった……。

 

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巨大絵馬。

 

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幟(何枚撮るのか)。

 

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遠景……というほど遠くはない。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 稲生武勇伝

国立国会図書館デジタルコレクション - 稲生平太郎 : 妖怪退治

国立国会図書館デジタルコレクション - 怪談稲生武勇伝

国立国会図書館デジタルコレクション - 備後土産稲生夜話 : 奇説異聞


国会図書館デジタルコレクションには何故か『稲生物怪録』自体はなかったのですが、それを講談にしたらしきものがいくつかありました。

私はいつか『稲生物怪録』を手に入れたいなぁと思います。

ええと、あっさりですが、今回はこの辺りで〜。

「饒津神社」(広島県東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

「鶴羽根神社」をあとにして、再び歴史の散歩道を川の方へ進んでいきます。

途中、噂の「明星院」(「鶴羽根神社」の記事参照)の側を通り過ぎ、突き当たったので大通りの方へ出てみると、饒津神社を発見。

 

◯こちら===>>>

www.nigitsu.jp

 

↑公式HPです。

何が驚いたって、「饒津神社」が一発で変換できるところです。

 

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案内板。

 

饒津神社
にぎつさん
天保6年(1835)、浅野9代藩主斉粛が始祖長政を祀るため広島城鬼門(東北)の方向に、明星院境内の西半分を割いて造営しました。
時代は天保の大飢饉、藩財政の苦しい中、敢えて壮大な神社を造営したのは、始祖を祭神とした神社を建立することで藩士の結束を固めようとしたためと伝えられています。なお、幕末に創建された神社のうちでは、全国最大を誇るものでした。
昭和20年8月、原爆被災により建物は全焼し、石灯籠、手水鉢などの石造物のほか、十数本の松(最後の1本も平成15年1月に松枯れし伐採)のみが残る甚大な被害を受けました。
戦後、仮殿、本殿などが再建されましたが、昭和59年本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復興され、遂に平成12年(2000年)を機に、悲願の向唐門が復元されました。この向唐門は武家を祀る神社などに使われていましたが、その大きさは全国2位の大きさを誇っています。」

 

……「明星院」の境内西半分……豪腕を振るわれましたな、浅野殿……。

 

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社標と参道入口。

 

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参道。

長い。

なんだこのパース。

 

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被爆した松、の切り株。

 

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参道から鳥居。

 

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狛犬さん。

珠に足をかけた姿が特徴的です。

やっぱり、広島なのか、中国地方なのか、こういう様式が多いんでしょうか。

 

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写真じゃ今ひとつわかりづらいですが、鳥居との対比から狛犬さんの大きさがわかっていただければ……。

 

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向唐門。

立派な造りです。

 

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被爆して数日の写真。

 

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被爆した手水鉢。

何か……物言わぬ雄弁さ、とでもいうのでしょうか……迫力があります。

 

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向唐門と扁額。

再建されて月日は経っていないので、素木の風合いがまだ若い感じですね。

 

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扁額アップ。

 

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拝殿。

平入、間口は一応五間ですかね。

 

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拝殿左手に回りますと、最後の浅野殿、「浅野長勲」公の頌徳碑があります。

 

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その奥の本殿。

常若(……かなぁ)に彩られてうっすらと。

 

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拝殿向かって右手にある、「稲荷神社」だと思いましたが……。

 

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左手からの本殿……見えず……。

 

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社務所付近から、拝殿方向。

幅広の階段が、ちょっと普通の神社にはない感じの様子です。

 

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饒津神社の石垣」……喜ばれそうだなぁ(誰が?)。

 

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境内側から、鳥居。

 

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二葉山山麓七福神めぐりの「恵比須天」。

 

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正面から鳥居、狛犬さん。

うん……ちょっと、狛犬さんの大きさが把握できず、鳥居が小さく見えてくる……。

 

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御朱印

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑「尾長天満宮」「鶴羽根神社」同様、『大日本名所図録・広島県之部』に図絵があります(18コマ)。

文章も多少読めるのですが……神社の由緒書を見ていただいた方がよいかと。

境内の配置なんかは、現在の再現されているものと比べていただくと面白いかと(図絵のどこかに「鶴羽根神社」があります……多分)。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

19コマです。


「◎饒津神社 二葉山の麓、二葉公園に在り、旧芸州藩主浅野家の祖、従五位下侍従弾正少弼浅野長政を祀る所なり、此社は浅野家十一世左近衛権少将兼安芸守斎粛、祖先追考の爲め、特に造営せしものにして、天保六年建築成る、頗る宏壮なり、敷地総て六千六百六十一坪、明治五年十二月県社に列せらる。宝物には征韓の役、幸長の分捕したる陣太鼓、馬具三個、砲器一挺及び陣中に用ゐたる自然石の手水鉢等あり、孰れも見るに足る。殊に幾十の石燈籠並びに石階の如きは、世多く見ざる処のものなりといふ。」

 

手水鉢は、もともとは陣中で使われていたと……けっこうな大きさですが運んでいたんでしょうか……。

 

地元愛知では、大抵「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」関係が出てきてしまって、案外尾張藩主って地味なんですよね……(最近、「金シャチ横丁」で再発見される……のかもしれないです……)。

由緒によれば、大変な時代に結構なお金をかけて整備したようです……なんか、「東大寺」の大仏みたいですよね……ちょっと違うか。

長い参道を抜け、階段を登って、社殿への参道が右手に折れ曲がっているのは、二葉山を神体山として背負っているからなのか、「鬼門封じ」なのか……高田崇史氏的には「怨霊」になるんでしょうが、「鬼門封じ」に「怨霊」を使うのは一石二鳥みたいなものですから……多分、神体山を背後に控え、ということに何か意味があるのだと思います。

 

いや、いい空間でした……(境内とられちゃった「明星院」さんは気の毒ですが……)。

 

「鶴羽根神社」(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

(※2018/4/19追記※)

 

6/3。

相変わらず素敵だった「廣島東照宮」を後にして、そのまま歴史の散歩道を進んでいきますと、「鶴羽根神社」に遭遇します。

 

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鶴羽根神社 | 御祈願、お宮参り、七五三、結婚式、厄除けは広島市東区の鶴羽根神社へ

 

↑公式HPです。

 

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いきなり由緒書きだった……。
※旧字を改めている箇所は、ブログ筆者によります。※

 

「鶴羽根神社由緒
御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 帯中津日子命 品陀和氣命 息長帯日賣命

当社ノ儀ハ建久年間(一一九〇〜一一九一)「源三位頼政ノ室 菖蒲ノ前」安芸国加茂郡西條ノ郷ヲ領シ 没後其ノ遺言ニヨリ元久年間家臣池田左衛門社殿ヲ建立シ御祭神ヲ勧請ス 修理料トシテ椎木山(二葉山)ノ寄附アリテ椎木八幡宮ト称シ 池田氏神主職トナレリ 元享年間回禄ニ罹リ再建サレシモ兵乱ニヨリ漸々衰廃ニ及ビ小社トナリ 万治二年ノ頃 同裔丹後守ノ時世ニ至リ家名断絶シ 二年ノ間奉仕ノ者ナク 明星院ノ守護ヲ蒙リ終ニ鎮守トナル 其ノ後 寛文元年同院ハ野上監物ヲ以テ当社ノ祠官ニ差置 此者氏子中勧進セシメ 社殿ヲ造立シ代々祠官タリシガ 文政五年六代目同裔美濃守退転シ 以テ同七年 石井眞澄祠官トナル 天保四年二月明星院鎮国堂ヨリ出火 悉ク類焼シ同年四月 仮社殿落成御遷座アリシモ 同社域ニ◼︎主ヨリ饒津神社造営ヲ仰セ出サレシ為 同六年四月 現在ノ地ニ所替ニト相成リ 旧藩主浅野家ヨリ造営資金ノ寄附ヲハジメ 氏子中ノ勧進ニヨリ同十四年九月地鎮祭 安政三年五月上棟祭斎行再建全ク成就ス 因ニ元ハ饒津神社一ノ鳥居ト二ノ鳥居ノ中間西側ニアリシナリ 明治元年十二月 神仏混淆御引分 明星院鎮守ノ儀ハ差止メラレ 浅野長勲公ノ撰名ニヨリ鶴羽根八幡宮ト改メ 同五年十一月鶴羽根神社ト改称シ 広島東部総氏神トシテ村社ニ列セラル 昭和二十年八月 原爆ニヨリ社殿一切倒壊セシモ焼失ヲ免レ 石ノ太鼓橋 境内ノ松 石鳥居 唐獅子 石燈籠ハ無事残レリ 現在ノ御神殿 拝殿 社務所ハ戦後ノ困難ノ中 石井博光宮司ノ先導ト氏子各位ノ熱烈ナル協賛ニヨリ 其ノ規模ハ縮少サレシモ再建セラレ現在ニ至ル 尚昭和ノ御代ニナリ伊邪那岐 伊邪那美二柱ヲ奉斎シ 御神徳ヲ敬慕シ神前結婚式ヲ広メ 挙式等ニ関スル総テノ設備ヲ完備セシハ当社ヲ以テ濫觴トナス」

 

ふう……最後に結構すごいことが書いてありますけれども……。

 

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住宅や店舗の並びに、ふっと突然出現するのが不思議な感じなのです。

 

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鳥居。

 

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案内板。

 

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鳥居(別角度)。

 

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神橋(渡れます)。

 

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参道。

 

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こんな感じの庭園が。

 

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橋から臨めます(すぐそこ)。

 

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拝殿前から、鳥居を振り返って。

 

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拝殿。

 

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拝殿(別角度)。

 

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境内社の「椎木稲荷神社」(参道途中、左手にあります)。

 

「由緒 当社の創建は遠く不詳ですが、鶴羽根神社が現在の地に遷宮となった江戸期の古図絵には、その姿が描かれています。元の御社名は「朝櫻神社」と称して居り、昭和の大惨事、原爆投下による社殿倒壊後の再建から、当時の石井博光宮司の撰名により「椎木稲荷神社」と改称し、現在に至っています。
また古記録によると、「明治四十二年四月 本市臺屋町(現京橋町無格社 稲荷神社(御祭神〜倉稲魂神) 当社に合併す」とあります。

祭神
・朝櫻大神…事代主神 保食神 高艮大神
地主大神…大地主大神
稲荷大神倉稲魂神
・五社稲荷大神保食神 倉稲魂神 大己貴神 大宮姫神 大田田根子命
・人霊神〜鶴羽根神社及び椎木稲荷神社に対し、特に御尽力を注がれた人々を合祀致して居ります
……頼義大明神(不詳) 兼房大明神(不詳) 徳広大明神(不詳) 荒平大明神(不詳) 八十吉大明神(保田八十吉翁)」

 

ううむ……御祭神が興味深いのですが……まあともかく。

 

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扁額。

 

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全景。

 

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こちら、保田八十吉翁の顕彰碑、のようです。

 

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こちらは郷土の偉人、ということになるのでしょうか……「山縣豊太郎」氏の像。
民間航空機パイロットによる初の宙返りを決めたかた、だそうです。
愛機が「鶴羽2号」。

 

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橋の辺りまで戻っての、社殿向かって右手方向。

 

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正面。

 

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狛犬さん。

ちょっととぼけたお顔も、被った苦難を思うと何か趣深い。

 

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「二葉山山麓七福神めぐり」の「弁財天」。

 

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被爆建物」の手水舎。

言い知れぬ迫力……。

 

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御朱印

なんといいますか、二葉山山麓の神社は、お山を背負っての様子がどちらも素晴らしいですね。

「鶴羽根神社」に関しては、「饒津神社」を作ったので、御遷座されたわけですが……不本意だったのかはわかりません……。

 

(※以下、2018/4/19追記※)

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑「尾長天満宮」と同様、案内板にあった絵図は、こちらの『大日本名所図録・広島県之部』に収められています(19コマ)。

印刷が粗くて、私には今ひとつ読めないのも一緒……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

19コマです。

 

「◯鶴羽根神社 二葉公園内の東方にあり、記録によれば源三位頼政の室菖蒲の前、当国賀茂郡に於て病没したる後、其遺命に依り元久年間創建せしものなりと。祭神は息長帯日賣命、帯仲津日子命、品陀和氣命の三神なり。境内広からざるも瀟洒にして、秋には白萩、春には菖蒲、櫻等数多の花卉ありて、花時杖を曳くもの甚だ多し。殊に前面の小池沼の如きは、何となく雅趣あり。」

 

ううむ、神社の由緒書のほうが詳しかったですね、申し訳ない……他にも資料があるのだと思いますが、あとは郷土史家の方にお任せします……(前も書いたな、これ)。

「廣島東照宮」(再)(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

「尾長天満宮」のご参拝を終えて、数年前にも通った道を今回は晴天の下、廣島東照宮へ。

 

◯こちら===>>>

「廣島東照宮」 - べにーのGinger Booker Club

「廣島東照宮」〜「金光稲荷神社」 - べにーのGinger Booker Club


↑前回の記事です。

 

◯こちら===>>>

近況〜広島参拝記(その1) - べにーのGinger Booker Club

 

↑未来の記事(?)です。

 

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鳥居。

 

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参道……石灯籠の連続が素敵。

 

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ほぼ城。

 

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いきなりですが、本殿裏手の「福禄寿」、「二葉山七福神」です。

 

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本殿を後方から。

さすが東照宮、鮮やか。

 

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拝殿扁額。

随所に葵。

 

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もちろん、石灯籠にも。

 

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拝殿前から翼廊。

 

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門の裏側、彫刻。

 

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門から……いろいろと、連続性が美しいです。

 

廣島東照宮」さんは、いつも参拝者が多く、御朱印をお願いするのをためらってしまいます(ので今回はなし)。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 備後叢書. 第4巻

 

『備後叢書・第4巻』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

20コマです。

 

東照宮 在今府治東長尾山下、今太守奉源大君之命、以建之、四時之祭祀粛々然也、太守實神君之外孫也、宜哉尊崇之也、松栄寺者其供僧也。」

 

……まあ、記述がある、というだけな感じです。

尾長山なのか長尾山なのか……まあ江戸時代ならどっちでもいいんですが。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より。

20コマです。

 

「◯東照宮 同公園と地続なる尾長山の半腹に在り、石階登ること五十二級、奥川家康の霊を祀る、宮殿は正徳四年従四位下左近衛権少将光晟(浅野家四世)の創建にして、慶安元年七月の鎮座なりといふ、境域千五百九十四坪あり、昔時は構造華麗巧緻頗る美を極めるた由なれども、維新の後は、風雨に晒され又修繕をも加へざりしこととえ、今は唯当年の俤を存するあるのみ。造り観るもの今昔の感に堪へざるなり。」

 

こちらは、出版自体は明治38年の書物ですが、維新後にほったらかしにされていた、というのがよくわかります。

神仏分離令廃仏毀釈の流れ、というよりは、明治維新関ヶ原の意趣返し」と言われたりすることもあるように、どこかに「徳川家康」に対する復讐という意味合いがあり、しかも広島ですから、山口(長州)も四国(土佐)も九州(薩摩)も近い、というわけで、ほったらかしにされたのかなぁ……と思ったりします。

実際には、徳川家自体は、政治の舞台から排除されはしたものの、「徳川慶喜」の余生を見ればわかる通り、完全に否定されたわけでもないのです(むしろ、それができなかったからこそ、の「廣島東照宮」への仕打ちかもしれませんけれども……)。

なにしろ「廣島東照宮」は、広島駅から近いのが素晴らしい……今後も広島に行くことがあれば(そんなにないと思いますが)、是非とも立ち寄りたいです。

 

 

……今回、「金光稲荷」にはうかがっておりません(登れる自信がなかったもので)。