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「尾長天満宮」のご参拝を終えて、数年前にも通った道を今回は晴天の下、「廣島東照宮」へ。
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「廣島東照宮」 - べにーのGinger Booker Club
「廣島東照宮」〜「金光稲荷神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑前回の記事です。
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近況〜広島参拝記(その1) - べにーのGinger Booker Club
↑未来の記事(?)です。
鳥居。
参道……石灯籠の連続が素敵。
ほぼ城。
いきなりですが、本殿裏手の「福禄寿」、「二葉山七福神」です。
本殿を後方から。
さすが東照宮、鮮やか。
拝殿扁額。
随所に葵。
もちろん、石灯籠にも。
拝殿前から翼廊。
門の裏側、彫刻。
門から……いろいろと、連続性が美しいです。
「廣島東照宮」さんは、いつも参拝者が多く、御朱印をお願いするのをためらってしまいます(ので今回はなし)。
さて。
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『備後叢書・第4巻』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
20コマです。
「東照宮 在今府治東長尾山下、今太守奉源大君之命、以建之、四時之祭祀粛々然也、太守實神君之外孫也、宜哉尊崇之也、松栄寺者其供僧也。」
……まあ、記述がある、というだけな感じです。
尾長山なのか長尾山なのか……まあ江戸時代ならどっちでもいいんですが。
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国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島
↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より。
20コマです。
「◯東照宮 同公園と地続なる尾長山の半腹に在り、石階登ること五十二級、奥川家康の霊を祀る、宮殿は正徳四年従四位下左近衛権少将光晟(浅野家四世)の創建にして、慶安元年七月の鎮座なりといふ、境域千五百九十四坪あり、昔時は構造華麗巧緻頗る美を極めるた由なれども、維新の後は、風雨に晒され又修繕をも加へざりしこととえ、今は唯当年の俤を存するあるのみ。造り観るもの今昔の感に堪へざるなり。」
こちらは、出版自体は明治38年の書物ですが、維新後にほったらかしにされていた、というのがよくわかります。
神仏分離令、廃仏毀釈の流れ、というよりは、「明治維新は関ヶ原の意趣返し」と言われたりすることもあるように、どこかに「徳川家康」に対する復讐という意味合いがあり、しかも広島ですから、山口(長州)も四国(土佐)も九州(薩摩)も近い、というわけで、ほったらかしにされたのかなぁ……と思ったりします。
実際には、徳川家自体は、政治の舞台から排除されはしたものの、「徳川慶喜」の余生を見ればわかる通り、完全に否定されたわけでもないのです(むしろ、それができなかったからこそ、の「廣島東照宮」への仕打ちかもしれませんけれども……)。
なにしろ「廣島東照宮」は、広島駅から近いのが素晴らしい……今後も広島に行くことがあれば(そんなにないと思いますが)、是非とも立ち寄りたいです。
……今回、「金光稲荷」にはうかがっておりません(登れる自信がなかったもので)。