10/21。
鎌倉メジャーどころ巡りもラスト。
というわけで、「鶴岡八幡宮」〜。
◯こちら===>>>
整備された参道。
若宮大路、ですかな。
あ、神社の方ではなく、反対側。
曇ってしまったのが残念です。
鳥居の奥に、橋と拝殿。
観光客は、さすがに多いです。
当宮は源頼義公が前九年の役平定後、康平六年(1063)報賽のため由比郷鶴岡の地に八幡大神を勧請したのに始まる。
治承四年(1180)源頼朝公は源氏再興の旗を挙げ、父祖由縁の地鎌倉に入ると、まず由比郷の八幡宮を遥拝し「祖宗を崇めんが為」小林郷北山(現在地)に奉遷し、京に於ける内裏に相当する位置に据えて諸整備に努めた。建久二年(1191)大火により諸堂舎の多くが失われたが、頼朝公は直ちに再建に着手し大臣山の中腹に社殿を造営して上下両宮の現在の結構に整えた。
以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条・徳川各氏も社領等の寄進、社殿の修復を行い篤く尊崇した。」
すいません本当にものを知らないもので……。
立派な神橋です。
太鼓橋。
広いですねぇ……当時の隆盛のほどがわかるというものです。
参道がここまで広い神社というのも珍しいのではないかと。
舞殿。
朱塗りの鮮やかさが特徴ですが、別段それが八幡社の特徴ではありません。
白拍子、というやつですな。
……何かと訊かれると、説明できませんが。
ほら、あれです、宝塚みたいに、「男装」して舞うやつです(かなり違う)。
平成二十二年三月、強風で倒れてしまった大銀杏。
三代将軍実朝を暗殺するため、公暁が隠れていた、という伝説がある大銀杏。
えーっと……背景が思い出せませんな。
結構急な階段です。
随身門。
アクリル貼ってありますけども。
どんな名前だったのか、もう忘れています……。
え〜、随身門の中は撮影禁止だったので、何となく回りを。
廻廊がみっちりと護っているので、中が窺い知れません。
残念。
本殿脇の、こんもりした山には「丸山稲荷社」がありました。
高さ的には、本宮より高い気がしますが、それでよかったんでしょうかね。
同じく本宮脇(向かって右手)に、「明治天皇鎌倉御野立所」がある、らしいです。
入れません。
実は、本宮を奥の方へ抜けていくと「今宮」があるそうで。
後鳥羽、土御門、順徳天皇がお祀りされているそうです。
知らなんだ〜行かなんだ〜。
こうして見下ろすと、結構な高さです。
天気がよければねぇ。
こちらは「若宮」。
「磐之姫命」は、「仁徳天皇」の皇后で、「履中天皇」の母です(他、「反正天皇」、「允恭天皇」の母でもあります)。
主祭神たる「応神天皇」から見た「若宮」とその母を祀っている、というわけです。
「鶴亀石」。
「相模国風土記稿によれば、水で洗うと、鶴と亀が浮かび上がる」のだそうです。
元々の鎮座地である、「由比」を遥拝する場所です。
奥の方にひっそりとある「白旗神社」。
神社建築としては非常に珍しい、黒塗りの建物です。
当時からなのかどうかわかりませんが、黒地に白や赤の縁取りは、シックでかなりのオシャレ感。
にしても、初代と三代将軍を祀っているのに、何だか地味ですね……派手にしよう、とは誰も思わなかったんでしょうかね。
……二代目は源頼家という人ですが、この人、暗殺されてますね。
むしろ、彼を祀るほうがよかったのでは……と思いますが、鎌倉の頃ともなれば怨霊の力は衰えていたということでしょうか(あるいは、怨霊を恐れる必要がなかった=後ろめたいことのない暗殺(?)だったか)。
「承久の乱」で倒幕を企てた、後鳥羽、土御門、順徳、の三天皇は、「今宮」にお祀りされています。
北条家的には、鎮魂というよりは、屈服させた証、みたいなものなのかもしれません。
とすると、やはり源頼家は、祀る必要のない人物だった、ということなんでしょうかねぇ。
うーん……ぼんやり。
参道を戻ってくると、「平家池」と「源氏池」というものがありまして、その「源氏池」の方に「旗上弁財天社」があります。
「源氏池」の三つの島は「産」に通じ、「平家池」の四つの島は「死」に通じる、という北条政子の呪のようです。
おっかねぇ……と簡単には言えないのです(鎌倉時代のことが分かりません)。
平家討伐の旗を揚げたので、「旗上弁財天社」。
水辺・海辺・島には弁天様、と覚えておくと分かりやすいかと思います(「市杵島姫命」の可能性もありますが)。
こちら一の鳥居。
さて、主祭神が「応神天皇」、合わせて祀られることの多い母の「神功皇后」、そして「武内宿禰」(どうやら「武内社」もあったようですが……あ、本宮の廻廊の内側にあったな。だから写真がないのか……)。
ところで、「比売神」っていうのはどなたなんでしょうか?
「応神天皇」の皇后は「仲姫命」で、これは「若宮」にお祀りされています。
ということは、皇后ではない?
いやいや、「若宮」を祀ったのは、本宮より後なんだから、「比売神」を分祀したのでは?
ということはやはり「仲姫命」なのでしょうか。
だったら、そうやって書けばいいと思うのですが(皇后ですから)。
便利なWikipediaによれば、「比売神」とのみ書かれて合祀されているような場合(主祭神でない場合)、多くは主祭神と関係の深い女性のことを指している、とのことですが。
「神功皇后」と「仲姫命」以上に、「応神天皇」と関係の深かった女性というのは……誰かいましたっけ?
うーん……「八幡」のことは、いずれ「宇佐八幡宮」に行って考えたいなぁと思います。
とりあえず、最近の本ですが、
なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 (幻冬舎新書)
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この辺りから入ってみようかと思います。
といっても、結局、元々の「八幡神」は正体不明なんですけれども。
中世辺りになると、(個人的な)妄想の入り込む余地が少なくて、記事も大して面白くない。
残念です……。
記念なので、御朱印帖も購入してしまいました。
本当は、鎌倉五山巡りもしたいんですけどねぇ……二泊くらいしないとね。
ちゃんと勉強しないとね、中世。