10/12。
遠望ばかりでもいけない、近所も回りなさい。
そんな夢のお告げがありませんでしたが、やはり地元は大切です。
今回は「笠寺観音」。
◯こちら===>>>
正式名称は「天林山笠覆寺(てんりんざんりゅうふくじ)」。
真言宗智山派の寺院です。
智山派というのは、京都の智積院を中心に栄えた真言宗の一派、だそうです。
この辺りの詳しい話は、本が何冊か書けそうなので捨て置きます。
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名古屋では、「大須観音」もやはり智山派の寺院です。
「笠覆寺
天林山と号し、真言宗。
天平年中(729〜)禅光上人の開基で、十一面観世音を安置する。
初め小松寺と称したが、延長年中(923〜)藤原兼平が堂宇を再興し、今の寺号に改めた。のち再び荒廃したが、嘉禎4年(1238)僧阿願が朝廷に願い出て、宣陽門院庁より田畑の寄進を受け堂塔を建立した。当寺には重要文化財・剣指定文化財多数がある。」
「宣陽門院庁」ってなんでしょう?
コトバンクで調べてみましたところ、「宣陽門院」という人がいたそうで。
後鳥羽法王の寵愛厚い皇女で、広大な所領を譲られたのだとか。
……まぁ、そういうところから土地をもらった、ということで。
古ぼけているのが残念なのか、味があるのか……「名古屋二十一大師霊場案内」。
ちょっと回ってみたいですね。
楼門。
……猫?
比較的コンパクトな金剛力士と、全くコンパクトではない草履。
本堂。
中を不躾に撮影できませんが、かなり大きな堂宇です。
で、本堂の隣に、トタンとパイプで囲まれた空間がありまして。
こちらが様々なお堂になっている、と。
向かって右は「びんずる様」、左は「正円法師」。
……「正円法師」は誰でしょうね……。
「なごや七福神」としては「えびす神」のようですが、ここだけで七福神が揃いそうな勢いですね。
「興教大師」という方が、智山派の祖でもあり、真言宗中興の祖でもある方、だそうです。
境内には他にもお堂がありまして。
「笠寺薬師堂」。
「醫王殿」とあります。
松尾芭蕉の句碑や、宮本武蔵(新免武蔵玄信)の碑があったりします。
「善光寺堂」。
……鐘楼、かな?
記憶が薄れています。
こちらの鐘は有名らしく、「尾張三名鐘」の一つに数えられているそうなので。
……数えるの好きですよねぇ日本人。
さて、ちょっと境内から出てみますと。
「笠寺稲荷」。
小さな堂宇ですが、何となく稲荷っぽい。
「白瀧大神」。
「此の白滝大神は熱田神宮の楠御前社、柳橋の白竜神社の御姉妹で霊験灼かな竜神様です(以下略)」
さしずめ、「名古屋三大竜神」ということでしょうかな。
姉妹なんですねぇ……「弁財天=川の神=竜神=女神」という発想でしょうか。
その脇のまた細い参道から「辯才天」のお堂があります。
その奥には、多分「白瀧社」か「白瀧池」の碑が。
この前には池もあります。
さて、境内に戻りまして。
「玉照姫」と「藤原兼平公」のお堂です。
当寺を再興した藤原兼平公の妻となった女性(器量よし、いじめられている)が、荒れ果てた寺の観音様を不憫に思って笠を被せたそうです。
そうしたら、藤原兼平公(関白の息子ですよ)と結婚できちゃった、という。
で、大きな堂宇を建てて、「笠覆寺」と寺号を改めたそうな。
地蔵様や観音様を見たら、笠をかぶせるといいことがある、という共通認識があったのでしょうか。
そして、縁結びですよ……狙って乗れない玉の輿、なんですけどねぇ。
まだまだありますよ〜多宝塔とか。
「徳川家康がまだ竹千代だった頃に、人質交換された場所がここだった」碑とか。
「白山社」には「三猿」が納められていたり(他にも、いろんな道具が納められていましたが……納戸?)。
「延命地蔵堂」。
そして、なかなか珍しいのが「役行者」。
とりあえずここまで〜。