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「四天王寺」を後にして、この日は……どこかで何らかのイベントに向かって歩いていたのですが、その途中で発見した「安居天満宮」に立ち寄りました。
◯こちら===>>>
「安居神社」とも言うようです。
社殿。
階段から。
表通りから入ってくるときに、ちょっと「ここでいいのかな」と迷います。
「真田幸村」公ゆかりの地、となっているそうです。
あ、昭和の「和」の文字のつくりとへんが逆になっている、という案内板ですね。
社殿正面。
狛犬さん……3枚目は葉っぱにピントがあってますね。
御神木。
「真田幸村」公の像。
私にとっての「真田幸村」公は、北大路欣也さん主演の『風雲!真田幸村』という時代劇の印象なのですよね……。
◯こちら===>>>
社殿をちょっと遠くから。
鳥居。
「安居神社由緒略記
(略)
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由緒
少彦名神を奉祀したのは古文書が散逸したので現在は詳かではないが、非常に古い時代の事であると伝えられている。この神は医薬禁厭(医術・薬方・まじない)智慧の祖神として、その霊験はまことにあらたかな神である。
菅原道真公の奉祀は公筑紫へ左遷される途上海上浪荒く暫くこの地に立ち寄って憩われた旧跡である所以を畏み、後四十年を経た天慶五年(西暦九四二年)此処にその御神霊をお祀りしたと伝えられている。
(略)
当神社の御神徳を厚く蒙った人々は昔から多く、中にも大丸の業祖下村彦右衛門氏は大きな御加護を賜りて繁栄されたことは有名であり当神社に対する信仰は極めて篤く大丸天神と称せられる所以である。
境内に古より、癇鎮めの井と称する清冽なる水湧出する井戸があり霊水として広く知られているが、現在は四囲の状況に禍され枯渇の状態にある。
又大阪夏の陣における眞田幸村戦死の地と伝えられ石碑が建っている。
(略)」
……そんなに「真田幸村」推しじゃないんだ……行ったのは2022年で、まだ『どうする⁈家康』が始まる前でしたけれど、『真田丸』からは数年……もっと推してもいいんじゃないかな……今村さんの『幸村を討て』も出版されたことだし(?)。
ここから入って、曲がって、進んで、階段を上がって……という感じなのです。
昔からこういったロケーションだったとすると、「真田幸村」がひっそりと腹を切るにはぴったりではないか、という感じです。
御朱印は、あるのかないのかわかりませんが、この日は頒布していなかったです。
さて。
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大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第5編摂津名所図会,大日本名所図会刊行会,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション
大日本名所図会 第1輯第5編摂津名所図会 摂津名所図会. 上,下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2023-12-23)
↑『摂津名所図会』の116コマに、「安井天神」の記事がありますが、それほど多くなく。
絵図もありまして、そちらを見ると、江戸末期にはずいぶん開かれた感じになっている……のかな。
どうも、「安井」という井戸があったようなので、地名はそこからきているのか……案内板にも井戸のことが書かれていましたし……ただ、↑で紹介したHPでは、「菅原道真」公が休憩した(安居した)から、その地名となったとあります……うーん、井戸が先のような気がします。
というわけでの、「安居天満宮」でした〜。