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神社仏閣ラブ(弛め)

「尾長天満宮」(広島市東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

よんどころない事情で広島に出かけました。

 

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『第34回世界遺産劇場ー嚴島神社ー 平清盛公生誕900年前年祭 坂本真綾 Open Air Museum 2017』6/3 - べにーのDoc Hack

 

↑よんどころない事情。

よんどころない事情が夕刻からなもので、前回あまり回れなかった広島駅周辺をぐるぐるしてみようか、のコーナー。

 

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いや天気がよかった。

 

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このどこかを狙うわけですな。

 

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駅前から、歴史関係が充実している、素敵な広島……。

 

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しかも「七福神」めぐりまで……御朱印作ってくだされば……。

というわけで、向かったのは「尾長天満宮

 

◯こちら===>>>

tenmangu.info

 

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ちょっと高台にあります。

 

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「尾長天満宮
天神さん
学問・書道の神として古くから崇敬された菅原道真が、九州太宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せ、この山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられました。やがて、かつて京都において浅野長晟の連歌の相手をした松尾忠正(熱心な菅公の信者)が広島を訪れ、寛永17年(1640年)、民家に近い山の麓、道真由来の場所に社殿を建立して菅神を祀りあmした。その後、享保年間(1720年頃)、今の場所に社殿を再建したようです。
現在の本殿は、饒津神社にあった招魂社(明治時代の建物)を昭和12年に移したものです。
(絵図)
上の絵図は、明治34年(1901年)に作成されたものです。惜しくも大正15年(1926年)9月の豪雨によって社殿のほとんどが倒壊流出しましたが、当時の境内全体の様子がよくわかります。」

 

……これ、なんて本からの引用なんだろう……デジタルコレクションにあるかな……。

名所図会系の図版なんかが、こうして案内板にあるのはありがたいですよね。

当然ですが、こちらの神社も被爆してしまっています……案内板の下部に書かれています(屋根と柱が残っただけ、だそうです)。

 

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狛犬さん〜。

この玉はなんなんだろう……あまり見ない様式ですね(中国地方独特なのかな)。

 

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鳥居。

最初は、表裏反対かな、と思いました。

 

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うーん何と読むのか……「勤労碑」かな……。

 

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随身門です。

 

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野趣溢れる感じの石灯籠。

 

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天神様なので、当然、牛さん。

 

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さらに結構登ります。

 

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社殿。

 

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社殿正面。

 

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狛犬さん〜……あら、また玉が。

 

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広島二葉山山麓七福神めぐり、の「寿老人」。

 

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ちらりと本殿。

山の斜面に作られているのがよくわかります。

 

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境内社の「水神社」。

 

「御祭神 天水分神 水波能売神 鳴雷神
由緒 菅公(菅原道真公)左遷の途次船を当山に寄せ、山を登り、◼︎の社
ぬかずき逍遥、水を求め給う。
谷に入るや清水あり。これを汲みて献る。公これを飲み、随意泉なりと
名付け給う。この地に水神を勧請す。
以後元禄十四年(一七〇一)当地大破し、惣新開再建以後惣新開祈雨
の社として営繕す。
(以下略)」

 

案内板の状態が残念……。

 

 

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えーと……登竜門がありますが……なんだったかな……。

 

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こちらもなんだったか……ううむ……。

 

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……なんか、先に行けそうだったけども行きませんでした……。

 

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境内からの風景。

素晴らしい眺望です。

 

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門の方を。

 

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狛犬さん〜……あれ、玉はないのか……。

 

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門の彫刻と提灯。

 

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主張の激しい「文化元年」。

 

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いい季節だった……そしていい天気だった……。

 

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「隋身門の由来
この随身門は西暦一六四〇年、寛永十七年(水戸黄門の時代)に建立された由緒ある建築物です。

菅原道真公が西暦九〇一年、九州の太宰府に下られる途中、この地にお立ち寄りになられました。
約二百五十年の後、当時安芸の守であった平清盛がこの峰にさしかかり、大豪雨と激しい落雷にあい、絶体絶命に追い詰められました。そのとき清盛は、はるかに管大臣のご加護を祈ったところ、不思議にも九死に一生を得ました。
清盛は深く神徳を感じ、この一帯を「管大臣の峰」と名付け、峰に社殿を建立し、それが尾長天満宮の期限となっています。
そして西暦一六四〇年、麓の現在地に社殿・随身門が造営され、随身門は今もなお参拝に来られた方を迎えています。(略)」

 

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というわけで、御随身の方々。

 

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随身門より。

 

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名前を知らない花が綺麗でした。

 

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御朱印は書き置きをいただきました。

 

尾張三河近辺の人間にとって、何かあると「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」が登場するのですが(燃やしたとか)、こちらの地方だとやっぱり「平清盛」が出てくるんでしょうか。

さて、文献はどうしようか……。