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「建中寺」の参拝を終え、そのまま帰宅するには早い時間だったので(御朱印をいただけなかったので……)、近くにある「神明社」に。
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神明社にようこそ - 名古屋市東区赤塚、名古屋城と徳川園をむすぶ「文化のみち」の中ほどにあります。
↑赤塚という交差点がありますが、その近く。
通称「赤塚神明社」。
「天照大神を祀る社である。創建の年は明らかでないが、寛永五年(一六二八)に再建され、山口町一帯の総氏神として崇敬が厚い。
「神明社
御祭神 天照大御神
例祭日 十月十六日
御創建は不詳 尚社伝には元和二年(一六一六年)に古来からの神明社をこの一帯の総氏神として祀る 寛永五年(一六二八年)社殿再建とあり 平成二十年(二〇〇八年)再建三百八十周年記念として御造営
ごつごつした石灯籠。
と思えば御大典記念の大きな石灯籠。
蕃塀発見。
蕃塀から見ると、正面に社殿があります。
蕃塀の前から。
向かって左手の鳥居は、境内社のものです。
狛犬さんず。
公式HPによれば、平成19年に、本殿とお神輿を全焼してしまったそうです。
それ以前の様子、というのが私にはわかりません(何度も通りがかったことはあるんですけれどね)。
境内社です。
うん、日が落ちてきていますね(時間帯がわかります)。
とその前に、境内社の参道右手に「楠木正成」公の像と、「湊川神社」の碑が。
これは……「湊川神社」本社の遥拝所、ということなんでしょうか。
「須佐之男神社」。
「山神社」。
御祭神は「大山祇神」。
「大曽根村の『名古屋城鬼門鎮護』の山神社が元禄2年4月(1689年)尾張藩主徳川光友公の命により、神明社が祭祀する事になりました。その後徳川慶勝公の命により、嘉永4年4月(1851年)には神明社境内に遷宮されました。」
「天神社」。
御祭神は「菅原道真」公。
「ご神体は豊臣秀吉が幼少の頃より出世を願い信仰した天神様の像です。秀吉はやがて太閤となり、愛知郡中村の福生院の境内に社を建て天神様に出世を感謝したことから『出世天満宮』と申すようになりました。福生院は元和3年(1617年)に現在の中区錦2丁目(袋町)へ移され、明治4年(1871年)には神仏分離令の施行により出世天満宮が神明社境内に遷宮されました。」
おっと、どこかで耳にした「福生院」、
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「袋町お聖天」 - べにーのGinger Booker Club
↑のことですね。
この記事を書いた頃は、まだ『尾張名所図会』引用とかやっていなかったのですねぇ……ずいぶん遠くへきたもんだ……。
この記事をよく見ていただきますと、「出世天神」があります。
ん〜……あれ……?
「八幡社」。
「秋葉社」。
「昭和20年戦災で焼失しましたが、戦後山口町に火災が多く発生し、山口町在住の有志の寄付により再建されました。」
ん〜……「焼夷弾は専門外!」ということでしょうか……。
「金刀比羅神社」。
「湊川神社」。
御祭神は「楠木正成」公。
こんなところに幕末の情念が……。
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↑「国枝松宇」という人は、幕末〜明治の儒学者のようで、尾張の蝋燭商の家に生まれたのだとか。
それにしても、神戸の「湊川神社」より先に祀られていたとは……勤王の尾張藩、恐るべし、でしょうか。
明治政府は、天皇の御稜威を確かなものとするため、「後醍醐天皇」に最後まで尽くしたとされている「楠木正成」公を持ち上げることにしたのです(一種のプロパガンダですね)。
とはいえ、武士の社会だと考えれば、主君に忠誠を誓い散るのは赤心の証ですから、明治以前から「楠木正成」公は人気があったのだと思います(当時の様子が軍記物語『太平記』で伝わっていますし)。
おそらく他にも、天皇に尽くした人物というのが、江戸から明治を境に、いろいろと顕彰されていったのではないか……と思いますが、よく知りません。
そんな「大楠公」の後ろ姿と、社殿を。
社殿前から鳥居方向を見ますと、絶妙に参道が曲がっています。
本来、蕃塀の先に鳥居がなければいけないのですが……。
これも公式HPによれば、「昭和25年に、道路拡幅により境内地が約3分の1に縮小され」たそうで、この際「本殿を再建し、天神社、八幡社、須佐之男神社などを移築」したということです。
無茶な敷地の縮小で、参道がひん曲がってしまったんですね……これじゃ怨霊になってしまいますよ……ええと、その場合はどなたが怨霊になるんだろう……「大楠公」?
鳥居の真正面に大木、というわけのわからない構図も、境内地縮小のせいですね。
……やはり、かなりの大きさです。
社殿が真横から拝見できます。
手前はコインパーキング……。
現代的神社建築、と言えばいいのでしょうか……神社の特徴をうまく捉えているな、という感じ。
御朱印は、書置きのものに、日付を入れていただきました。
本当に、御朱印運に恵まれないことが多いので、ほっと一安心……。
今年の8月は、神社仏閣をめぐる代わりに、『◯◯◯◯G◯』で歩き回っていたような気がします……いかんいかん。
諸事情もあり、あまり休みを取れないもので、遠出もできず。
まあ致し方ありますまい……だんだんと、いろいろと、背負っていくものです(?)。
さよなら夏の日……。