べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「王子神社」(東京都北区)

9/27。

飛んだなぁ……たまアリでのbig foxの翌日、巣鴨に住んでいた頃には行こうと思ってなかなか行けなかった、王子神社へご参拝。

 

◯こちら===>>>

ojijinja.tokyo.jp

 

飛鳥山には花見に来たことはあるんですけれども、その頃はまだ神社仏閣にそこまでの興味はなかったので……。

 

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社標。

711がやたら迫っていてちょっと驚きました。

 

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鳥居。

 

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いきなり拝殿。

 

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狛犬さん。

躍動感。

 

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拝殿遠景。

 

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「毛塚」。

 

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「関神社」、なのだそうです。

 

「「髪の祖神」関神社由緒略記
御祭神 
蝉丸公  神霊
逆髪姫  神霊
古屋美女 神霊

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の和歌で有名な「蝉丸公」は、延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり又、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから、「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と博く崇敬を集め「関蝉丸神社」として、ゆかりの地滋賀県大津の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代、ここ「王子神社」境内に奉斎したのが、当「関神社」の創始なり。昭和二十年四月十三日の戦災により社殿消失せしが、人毛業界これを惜しみて全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の各界に呼び掛け浄財を募り昭和三十四年五月二十四日これを再建せり。」

 

「かつら」はいいとして、現代の人には「かもじ」は馴染みないですね……ええと、「エクステ」みたいなものです(乱暴)。

「蝉丸」公のことは知っていたつもりなのですが、「逆髪姫」のこともぼんやり覚えているのですが、ご姉弟だったとは……勉強不足。

なお、大津の「三尾神社」では、「蝉丸神社」の御朱印もいただけてしまいます。
この間、「三井寺」行ったときにご参拝しようと思ったんですが、時間が……。

 

「毛塚の由来
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られたとき貧女が自らの髪の毛を切り、油に変えて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝き世に貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと共に、毛髪最古の歴史なりと長く言い伝えられる由縁である。
毛髪を取り扱う我々業者は毛髪報恩と供養の為に、昭和三十六年五月二十四日「関神社」境内に毛塚の塔を建立し永く報恩の一助とする。」

 

……この前日に、毛髪のないベーシストの演奏を堪能したなぁ……とふと思ったりしました。

 

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逆光ですが、イチョウの案内板。

 

王子神社イチョウ
(略)
王子神社の創始については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨(げんこう)年間(一三二一〜二四)に豊島氏が勧請したことが始まりとされていますので、その頃にはこのイチョウが植えられたとすると、六〇〇年近い樹齢と考えられます。戦災によって王子神社の社殿や太田道灌が雨宿りしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。」

 

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境内から川の方に降りることができます。

 

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イチョウ

がんばってます。

 

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おっと、由来が最後になりました。

 

王子神社(由来)
御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命

元亨二年(一三二二)、豊島郡を支配していた豊島氏が熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勘定し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域では音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。
王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康社領として二〇〇石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二にあたります。別当寺は、王子神社に隣接していた禅夷山金輪寺で、将軍が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代勝軍家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳母である春日局も祈願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の造営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。
紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀州ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭礼は「槍祭」ともよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽踊を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。
明治時代にはいると明治元年(一八六八)、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。
戦前の境内は「太田道灌雨宿りの椎」と呼ばれた神木をはじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた貴重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、現在の景観に至っています。(以下略)」

 

なるほど、「熊野三社権現」……これまた、まだ参拝に伺っていないもので……なんとなくの知識はあるんですが……勉強不足。

神社名が地名になったパターンなのですね。

確かに、「岸村」よりは「王子村」がいいなぁ……。

写真が少ないですが……多分、雨を警戒していたのかな、となんとなく覚えています(おい)。

 

御朱印

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多分、何年か越しで、東京十社を巡ったと思います……(違ったらすいません)。

引用などは後日〜。