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昼の所用まで、まだ時間が少しあったので、「橘樹(たちばな)神社」へ行ってみました。
◯こちら===>>>
↑ありがとう神奈川県神社庁さん。
いきなり拝殿です申し訳ない。
「石盥盤」。
そうです。
確かに刻文もそうなってますね。
その隣に「力石」。
境内にあった庚申塔。
「青面金剛
◯寛文九年(一六六九年)二月合掌六手青面金剛
◯青面金剛としては横浜市最古であり、また六手青面金剛としては県内でも最古の像と思われる。青面金剛像は、寛文の始め頃から江戸の石工を中心に作られるようになり、やがて地方にも普及した。
◯青面金剛は下二手に弓と矢を持つのが普通であるが、この像は、弓矢のかわりに、羂索と棒を持っている。赤面金剛は、もと流行病を流行らせる悪鬼であったがのち改心して病を駆逐する善神になったとされている。儀軌に示された青面金剛は、三叉戟、輪、羂索、棒を持った四手の青鬼であるがこの像はこれに合掌二手を付け加えて善神に変わったあとの姿を表現しようとしたもので青面金剛像の成立道程を示す貴重な像である。
◯青面金剛は必ず炎髪で作られるものであるが、この像は円い髪である。円髪、後頭部の光輪、太く短い棒などは同じ時代に京都土産として各地に持ち帰られた大津絵の影響を示すもので他に類例を見ない。(略)」
確かに、珍しいですね、円髪。
大津絵か……名前は聞いたことありますけれども、勉強せんと……。
脇の鳥居。
拝殿正面から。
狛犬さんが凛々しい……耳の造形が珍しいように思います。
凛々しいので、つい。
明治天皇が東幸された記念の碑、ですね。
東海道を通られたと思うので、この辺りも通られたということでしょうか。
「神明社再建に誌す
祭神 天照大神豊受大神稲荷大神猿田彦神
當神明社は、その縁由詳ならずと雖も 峰岡町壱丁目六拾番地(俗称お伊勢山)の地を旧地とす。
該地より土師瓦の出土せるあり、又、旧幕時代當社除地弐反三畝十歩と録せる文書を存す。
新編武蔵風土記稿によれば、當時、牛頭天王社(現橘樹神社)と並び存して、前に鳥居を立てるを知る。
昭和二十年四月、未曾有の空襲に遭い附近一帯の民家と共に祝融の災を受けて烏有に帰す。
然れ共、神徳彌赫灼として、戦災の復興を照覧し給い、遂に街衢人煙の殷賑旧に倍し、橘樹神社神楽殿亦成るに及びて氏子有志相議り爰に寶殿一宇を再建し、以て恩頼に報い奉らんとす。(略)」
参道。
社標。
御朱印をいただけるようでしたが、神職さんがいなかったのかな……。
引用などはまた次回に〜。