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神社仏閣ラブ(弛め)

「安久美神戸神明社」(愛知県豊橋市)〜豊橋ちょっとぶらり旅〜

2/24。
さて、「吉田城趾」を後にして、続いて向かったのは「安久美神戸神明社」。

 

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onimatsuri.jimdofree.com

 

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「あくみかんべしんめいしゃ」と読みまする。

 

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社標。

 

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どうやら、「鬼祭り」が有名なようです。

 

「安久美神戸神明社は、天慶三年(940)の創建です。
平将門の乱」鎮定を祈願した調整は、伊勢神宮へのお礼として三河国飽海郷を神領として寄進しました。これを飽海新神戸といい、この時に当社が創建されたと伝えられています。この神領の安泰と繁栄を祈願して始まったのが鬼祭りの起源です。
神事は多岐に渡りますが、主なものは神楽・田楽・御的神事・御玉引の年占・御神幸の5つで、有名な赤鬼と天狗のからかいは田楽のうちの一部です。鬼祭神事は、江戸時代初期に従来の田楽中心の農村的祭礼からにぎやかな、からかい中心の都市的祭礼に変化していったと考えられていますが、田楽の一種が豊年を祈る特殊神事として古式を崩さずに継承され、さらに神楽と田楽の混融の度合いが著しいところに特徴があります。神楽の中に日の出神楽・天狗の神楽・笹良児神楽・御幸神楽、田楽には赤鬼と天狗のからかい・司天師田楽・ポンテンザラの田楽などがあります。
鬼祭神事は毎年2月10・11日の両日にわたって奉納されます。」

 

ふむ……「平将門」討伐を由来としているのであれば、鬼は荒胡ということでしょうか……天狗とからかいあるのはなんでしょう、大魔縁たる天狗……ところで「ポンテンザラ」ってなんでしょう。

 

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参道。

 

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第二の鳥居、かな。

 

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猿田彦社」。
天狗は「猿田彦大神」なのかな、解釈として。

 

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松、は「徳川家康」腰掛けの松でした。

 

「社伝によれば徳川家康公は天文二十三年、未だ竹千代君と称し吉田城内に居られた折、正月十四日の祭礼(鬼祭)に当神明社を御参拝になり、御社前の松樹の下に腰を掛けて鬼祭を興味深く御覧になられた。その後慶長八年家康公は征夷大将軍に任ぜられ、伏見城に当社神主司守信を召され、御朱印を以て神領を御寄進になられた。その時家康公は「久敷うおじゃる今も神式にちんばの真似をするか」と御下問があり、それ以来例祭鬼祭の司天師田楽を俗に「ちんば踊り」と云う。
現在松は時代を経て新たな松が植えられ、根元の大石は旧社地より神明社へと移された。」

 

ををう……「当時の表現を尊重する」ということでご勘弁願いたいものですが、旧社地ということは、以前はどちらにあったのか。

 

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こちら「稲荷社」と「三峯社」。

 

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本殿を横から。
新しめ、で神明造ですね。

 

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「稲荷社」「三峯社」の鳥居。

 

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拝殿。
立派な間口、平入りの屋根はこうしてみると美しいです。

 

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ご祭神は「天照皇大神」、配祀として「八幡大神」「秋葉大神」「菅原道真命」。
「八幡」「秋葉」「天神」、と揃っているということは、明治にぎゅっとされた感じでしょうか。

 

「(略)
明応六年今川氏親の命により牧野古白この地に築城の際御社殿を改築し城内鎮守の神崇め今川義元徳川家康公より三十石の社領を御寄進せらる。
(略)」

 

なるほど、「吉田城」を建てた「牧野古白」が改築した、と。
今の社殿は昭和五年から……それでも十分、立派に保っていると思います。

 

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「外宮社」「伊雑社」「高宮社」。
「外宮」「伊雑」は、「神明社」ですから(ただ、「伊雑宮」が江戸時代なのか、ちょっと流行っていた理由がよくわかっていません……御師が頑張ったのかな……)、わからないでもないですが、「伊吹戸主神」か……。

 

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狛犬さん。

 

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小さめひっそり「外宮社「伊雑社」「高宮社」。

 

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護国神社」。

 

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こちら神楽殿
これも昭和の再建かな……なんで瓦にしたのか……。

 

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社殿の案内板。
なるほど、鎮座地が軍用地になったので、お遷りになったようです。
おっと、神楽殿だけ、明治のものだったようです。

 

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お面が新調されるようですね。
「天狗」と「天鈿女」か……「猿田彦大神」でないところに、何かあるのかな。
「青鬼」、かっこいいな……。

 

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御朱印
面の新調のため、特別な御朱印が頒布されていました。

 

おまけ。
豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂」。

 

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「木造銅板葺1階建 建築面積 182.03㎡
この聖堂は、豊橋ハリストス正教昇天教会が大正2年に建築したものです。
西を正面とし、吹き出しのポーチをおき、続く玄関はその上に八角形の鐘楼をのせ、階段室を兼ねています。東西方向を軸線として、ポーチに続いて玄関、啓蒙所、聖所の三つの部屋を、規模を拡大させながら東に向かって一列に配置しており、聖堂の東端に至聖所を配置する形式となっています。さらに、聖所の南北にもポーチが配置されています。
設計者は河村伊織(知多郡内海村出身)で、聖堂建築のために地元の大工は、京都まで赴き京都正教会を手本にして西洋風のドームを建築したといわれています。
この聖堂は装飾の少ない質素な建築ですが、保存状態は良好で、明治大正期の木造形式による代表的なハリストス正教会聖堂として高い評価を受けています。」

 

……この時期(※執筆は2022年3月1日※)正教会の紹介というのも、何とも……ですが、西方教会東方教会は、根は同じでもずいぶん違うものになってしまっていますから、欧州でくくるのはなかなか難しいようです……建築物としては、質素な正教会は魅力的なんですけれども(ゴシックもバロックも好きですけども)。
おまけでした。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

豊橋市市制施行二十年誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

豊橋市市制施行二十年誌』を見ておきます(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
199コマです。

 

「縣社神明社
中八町中央北側にあり。天照大神を祀る、境域千餘坪、元は今の第十八聯隊練兵場の中央にありしが、明治十七年二月豊橋分営の設置と共に茲に遷座せられたるものなり。当社は由緒極めて深く飽海神戸以来の名社として、此地方最古のものの一にして、明応六年牧野古白が社殿営繕の棟札を存す、例祭は舞年二月十四、十五日の両日にして、俗に鬼祭と称し、士烏帽子小具足に身を固め、天狗の面をつけたる武者が赤鬼を追ひ払ふ最も珍らしき儀式にして、全国にその例を見ること稀なりといふ社殿、拝殿、神楽殿、神庫、社務所等ありて社宝亦少からず。」

 

ふむ……昭和3年刊行の本では、このくらいか……。

 

◯こちら===>>>

東参河資料叢書. 第1編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

ちょっと『東参河資料叢書』も見てみようかと。
27コマです。

 

御朱印三十石 神明社 城内 神主 司権頭
例格亘廿一年則社頭自城主造替之。
祭正月十四日。自札木町清洲屋今新町、隅迠為氏子。
社地之内大日堂一宇。」

 

ん〜……何もわからず、に近い……「大日堂」というのが、神仏習合期の「神明社」っぽいといえばぽいのですが。
「鬼祭」、機会があったら調べてみたいと思います。

 

まだぶらぶらします。