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昨年のGWですな……まだ一年前の記事ですな……関市の「高良神社」に行ってきたので、ちょっと近くにも、という感じで「伊勢山神明社」に。
公式HPとかはない感じ……。
参道入口。
「神明社由緒
祭神 主神 天照皇大神
相殿 熱田大神 加具土大神
末社 倉稲魂大神(稲荷社) 須佐之男大神創立は古文書によれば室町時代以前この高台の聖地に伊勢神宮の御分霊を奉斎し鎮座ましまされました。
以来人々はお伊勢山と称え安らぎの場といたしました
慶長年間伊勢御師巡拝の折巻物を納められたことより巻の森とも呼ばれ元禄年間発刊の尾張徇行記尾張名所図会に記されています」
……いきなり、稲荷さんの奥の院ですな。
朱塗りの鳥居。
「豊春稲荷社」、です。
社殿向かって右手の鳥居から。
盛り上がっているのは、古墳の上に建てられたから、のようです。
狛犬さん。
ポスト風賽銭箱。
拝殿。
拝殿遠景。
参道わきの、「天王社 塩竈社」。
境内遠景。
狛犬さんその2。
蕃塀があります。
さて。
◯こちら===>>>
名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『尾張名所図会』では見つからなかったので、とりあえず『名古屋市史』から。
161コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「二六 神明社
神明社は中区伊勢山町の北側(もとは古渡村、明治九年今の名に改む)に在り、(略)此地を古来俗に御伊勢山と称し、又巻ノ森と呼べり、往古伊勢神宮より巻物伝はり、途中の諸社にて之を奉祀せしが、遂に此地に鎮座あり、神社を建つといふ、勧請の年時詳ならず、古来此地の産土神なり、明治初年村社に列し、四十四年改造遷宮す、祭神は中央天照皇大神、左扉日本武尊、熱田大御神、右扉火之迦具土大神(左扉はもと境内神社熱田社の祭神、右扉はもと境内神社秋葉社の祭神なり、明治四十五年三月、末社へ合祀す)なり、殿宇には神殿、拝殿(嘉永中再建す)、社務所(明治二十四年建設)等あり、例祭は十月五日にして、市より供進使の参向あり(略)」
ふむ……古墳の上に立つ、とはまったく書かれていませんでした……あれ……。
◯こちら===>>>
尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『尾張志』も一応。
19コマです。
「神明社
古渡村中市馬寺屋敷山の東にありて俗に御伊勢山といふ創建の年月知かたし」
……すっきりあっさり。
かなり昔からあったことは間違いなさそうですが、よくわからない、と。
御師がやってくるようになって、伊勢信仰に取り込まれていった、というところでしょうか。
確か古墳だったと思うんですけども……どこで得た情報だったのかを思い出せません……ううむ……しかし、大須周辺には古墳がいくつかあることは知られておりますので。
むむ、最近情報が薄い……。