べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「尾長天満宮」(補)

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑案内板にあった絵図は、こちらの『大日本名所図録・広島県之部』に収められていることがわかりました(20コマ)が、印刷が粗くて、残念ながら読めませぬ……各々お確認いただければ、と思います。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑こちらの『広島みやげ:附・安芸の宮島』という本に記事がありましたので(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

20コマです。

 

「◯尾長天満宮 二葉公園の東、尾長山の南麓に在り、菅原道真公左遷の砌り、船を此辺の岸上に繋ぎ、少焉山上を逍遥して旅の憂を慰め給ひたることあるを、時人公の心事を想ひ遣り、遂に山上に一祠を建て、以て公の霊を祀るに起れるなり、寛永年中新たに社地を開拓し、今の所に遷したるなりといふ。又一説には久寿年中安芸守平清盛、山中を逍遥す、俄に暴風迅雷に遇ひ進む能はず、孤松の下に倚り遥かに菅神を祈りしに忽ち霽る、清盛神徳に感じ神祠を創建せりと伝ふ。承久中、国主武田大膳太夫信光再建し、武田家没落の後、毛利家より社領を附せしを福島正則之を没取す、寛永年中松尾忠政旧主浅野長晟の命を受け、神殿を建築し芸備両国の祈願所とす。維新前此山下に石泉亭といふ禅庵あり、巌壁兀立し澗水其間を廻り、亭上滄海渺茫の観あり、京洛の◼︎神滋野井三位中将謫せられて卒したるを葬れり。今練兵場射朶の辺り、荊棘の間に◼︎の存するありといふ。」

 

という感じで、神社の案内板とほぼ同じですね……どうも、「菅原道真」伝説、と「平清盛」創建説が、どこかで一緒になっちゃったみたいです。

ところで、同じコマに、

 

「◯尾長神社 東照宮の西に在り、天照大神大己貴命の二柱を祭る、史乗何等の記載なきを以て、其沿革等は知るに由なし、唯古老の口碑に残れるは往古一老杉あり、空洞を有す、黒蛇之に住む時人異霊となす、後祠を造り名づけて尾長神社といへりと。又一説には曾て平相国隠渡の瀬戸と開鑿するに当り、この異霊に感じて土功全きを得たりとして、殿宇を再建し自ら尾長大神の扁額を掲げたりとも伝ふ。貞享年中滋野井三位中将教広当国に下り其古事を聞き。

世にあふく黒髪山の峯よりやなびく尾長の霞なるらむ」

 

↑というように「尾長神社」の記事もあるんですよね。

現在は、どうも「広島東照宮」の西方に、これに類する神社はないようですので、あるいは原爆で失われたのかもしれません。

どちらの記事にも出てくる「滋野井教広」という人は、

 

◯こちら===>>>

滋野井家〔羽林家〕-公卿類別譜(公家の歴史)

 

↑の素敵サイトによれば(すいません、デジタルコレクションを自分で当たろうと思ったんですが、時間が……)、寛文の頃に安芸国に配流になっているようです。

 

 

 

え〜……薄い内容で……すみません、あとは地元の郷土史家の方にお任せします(妄想しようにも知識がないもので……)。