9/12。
天気もいいのでふらっと出かけました。
行き先は、そういえば行ってなかったなぁ……というあちら方面(?)。
まず手始めに、八事にある「五社宮」に。
○こちら===>>>
住宅街の中に、結構唐突に出現。
「五社宮御由緒
元、尾張国丹羽郡寄木村(現在、江南市大字寄木字東郷中)に天道宮(現在、稲木神社)と称して鎮座し、同村の天道山高照禅寺が祭祀を執り行い、正保三年(1646年)から享保二十年(1735年)にかけては五度に亘り社殿の改築を行ない、天下泰平国家豊饒守護神として崇敬され、故あって寛保五年(1741年)五月二十八日に高照禅寺自貞尼によって現在地に遷座した。
明治の初め頃より五社宮と称して今日に至っている。
社殿老朽のため氏子中の浄財により改築に着工し、平成三年竣工した。」
江南というと名古屋の北のほうですね。
結構遠いですが、どんな故あってこちらにやってきたのでしょうか……。
こじんまりとしながらも、堂々たる風情の鳥居と参道。
拝殿。
新しいだけに、金箔をおしてあるのか、扁額が眩しいです。
社殿はこんな感じです。
手前の拝殿に、配置図が描かれています。
正面の大きいのが「日宮社」、向かって左に「月宮社」、「星宮社」。
向かって右に、手前から「祇園社(津島天王社)」、「神明社」。
おおむね、ビッグネームばかりですが、「星宮社」の御祭神「五百箇磐村命」だけちょっとマイナー。
公式HPによれば、
「星宮社
五百箇磐石尊(いおついわむらのみこと)
星の神。
日本神代の神である磐裂(いわさけ)神は、日本書紀にあるとおり、イザナギ尊が香具土(かぐつち)を十握剣(とつかのつるぎ)で斬殺したとき、その血が天空に昇り五百箇磐石(いおついわむら)となったときに生まれた星神であると言われている。」
となっています。
↑によれば、
「……遂に所帯せる十握剣を抜きて、軻遇突智を斬りて三段に為す。此各神と化成る。復剣の刃より垂る血、是、天安河辺に所在る五百箇磐石(いほついわむら)と為る。即ちこれ経津主神の祖なり……」
という具合に、火神殺生の場面の一書として「五百箇磐石(いほついわむら)」が登場しています。
何しろ場所が「天安河辺」、つまり天の川の河原ですから、ここからの発想として、飛び散った血を「火花」と解釈すれば、「五百箇磐石」が天の川の星だと考えることもできるわけで。
星の神様が少ない日本神話(「天甕星」「香香青男」以外にはっきり星の神とわかる方はいません)ですから、後世にこういった解釈が出てくるのもやむなしか。
賽銭箱も家形埴輪っぽく。
新しい発想、というべきでしょうか。
狛犬さんたち。
末社の「秋葉宮」。
遠景。
澄み始めた9月の空の眩しいこと。
それにしても、日神、月神、星神、とそろった神社は珍しいのではないでしょうか。
どうしてこうなったのか……は実のところよくわかりません。
最初の由緒にも書かれていましたが、本来は丹羽郡の「天道宮」(現「稲木神社」)だったものがこちらに遷座され、おそらく明治の神仏分離で「天道宮」は元の場所へ戻り、後に残った摂社末社で「五社宮」が形成されたのかな、と思われます。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑から引用してみます(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
278コマ。
「天道社
同村にあり。天道山高照寺と号し、尼僧これを守る。臨済宗、京都妙心寺末。もと丹羽郡寄木村にありて、[延喜神名式]に丹羽郡稲木神社、[本國神名帳]に従三位稲木天神とある古社なりしを、享保年中山号寺号を命じ、寛保元年五月二十八日ここにうつし、猶旧名によりて寄木の天道と称す。例祭十月十四日・十五日。」
実は、「五社宮」のすぐ近くに、「天道山高照寺」は存在します。
が、なんだか工事中で入れないっぽかったので、諦めました(ひょっとすると、まだ尼寺という可能性もありますが……ないかな)。
○こちら===>>>
↑でも簡単な由来がわかります。
ちょっと勘違いしていたのですが、丹羽郡にあった「稲木神社」が「天道山高照寺」になり、それが八事に遷ってきて、明治になって「稲木神社」は単独で分離してもとの丹羽郡(江南市)へ、「高照寺」はそのまま現在地に残り、で残っていたお社を集めて「五社宮:にした、という流れのようです。
「稲木神社」から「天道山高照寺」になる過程で、「天道」というくらいですから、星に関係する信仰が生まれたのではないかと思うのですが、さてどうでしょう……いずれ「高照寺」や「稲木神社」にも参拝してみたいですね。
神域然とした佇まいは大きさを感じさせませんでした。
いい神社だと思います。