9/12。
「五社宮」の参拝を終えて、まだ時間があったので、天白区内の「秋葉山慈眼寺」へ。
○こちら===>>>
公式HPが見当たらなかったので、こちらで。
地下鉄の平針駅から徒歩10分くらいでしょうか。
この辺りは農業センターがあるからではないでしょうが、ちょっと鄙びた雰囲気のするところです。
ここ、入っていいのか迷いましたが……いえ、なんとなく、敷居が高く感じて。
「秋葉山慈眼寺
曹洞宗。当寺縁起によれば、大同四年(809)京都御所炎上の折鎮火祈願のため京へ上った遠州秋葉山の三尺坊尊が、帰路当地に立寄り創建したとある。
永禄三年(1560)織田信長が桶狭間の戦いのとき、この寺に祈願して勝利を得たので、三尺坊尊の尊像を寄進したといわれる。
幕末から明治にかけて修験霊場として信仰を集め、今も毎年十二月十六日には、火渡り神事が行われている。」
○こちら===>>>
http://www.rits-dmuch.jp/jp/results/disaster/dl_files/6go/6_2_1_800.pdf#search='大同四年+京都+大火'
↑の資料によれば、大同四年に火災が起こった、という記録があるようです(出典は『類聚国史』か……手元にないなぁ……)。
少し色づいていましたねそういえば……。
ええ、このあともう少し坂道を登りまして、本当にこの道であっているんだろうか、と思っていたら、階段出現(撮影し忘れる)。
よかったよかった。
上ってみると、こんな景色。
手水舎にこんな案内が。
「愛知郡御嶽社大先達一同」「平針心願講社一同」「秋葉山信徒総代一同」が中心になって営まれる、ということでしょうか。
「講」が生きているんですね……。
本殿……本堂?
扁額には「舊跡三尺坊」の文字。
「三尺坊」にもご真言がありましたか。
大太鼓というものがあり、「大たいこを三回打って、黒豆を自分の年の数だけ祈念して三宝にうつ」すと、「まめでくろじ」になるそうです。
「毘沙門天」もいらっしゃるようです。
別アングルより。
さらに別アングルより。
明らかに本堂、という感じですね。
燭台。
「三尺坊」なので、天狗の羽団扇かと思ったら、違ってました。
本堂向かって右隣は、多分観音堂。
「聖観世音菩薩」と「十一面観世音菩薩」がいらっしゃるようです。
開運の四角の太鼓があります。
先ほどの大太鼓と行うことは同じです。
さらに右隣には「八大竜王」のお堂。
ぼろぼろですな……修繕は不可能なのでしょうか。
陶製の灯篭。
「八大竜王」のお堂の近くにあります。
そして、何と「奥之院」には「大日大聖不動明王」のお堂が!
なんと、ワンダーランド……。
灯篭の後ろが気になりますけども。
「奥之院」の最初にあるお堂。
中の提灯には「小天狗」「大天狗」の文字が。
天狗堂、ということでしょうか。
さらに道を進んで……いや、道っぽくないですが。
この時期は、スズメバチを警戒しないといけないので、実は恐る恐る……。
思ったより……でも、これはこれで「奥之院」っぽいですか。
さて、戻りまして、先ほどの灯篭の後ろにあったのが何かといいますと、
木漏れ日ではっきり見えませんが、石像石碑が立ち並んでいます。
「不動明王」「八幡大菩薩」の他に、貴族っぽい方もいらっしゃって、さてどなたなのか……。
最初に上がってきた正面に見えていたのがこの空間でした。
石碑をみる限り、「御嶽講」に関係した場所のようです。
「御嶽講」については、勉強しないとなぁ……と思いながらも、本が高かったりして躊躇しております……。
さらに離れたところから。
ほぼ真ん中あたりにあるのが、本堂への階段。
右手の柵の内側に、一つ前の写真の石碑群があります。
この区切り方は、明らかになんらかの神事を行うのでしょうね。
それが火祭りなのか……うーん、見てみたいと思います(実時間では、来週辺りのことなのですが……おいそれと参加していいものとも思えません)。
ここから、本堂に背を向けて直進していくのが、どうやら本来の参道のようです。
途中に、
「徳叉迦龍王堂」があります。
「八大竜王」のお一方で、
↑によれば「怒って凝視すれば人畜は直ちに命を終えると。」とあります。
バジリスク系ですね。
ただ、うん……なんだろう、いろいろとこみ上げる残念感……本堂の近くにきちんと「八大竜王」のお堂はあるのに、どうして「徳叉迦龍王」だけ別でお祀りしているんでしょう。
もともとは、八つお堂があったのかな……。
うーむ。
というわけで、正面に出ました。
右側の石柱、「慈眼寺」の上の文字が消されているのが気になります……。
その右奥にお堂が見えますが、こちらはお墓だったと思います。
先の大戦の供養碑もあったと思います。
そう、こちらは未だ、
神仏混淆の名残りあることで有名な(?)お寺
なのです。
「一、正一位秋葉三尺坊偉徳大士
一、毘沙門天
一、八大龍王
一、大天宮小天宮七十五善神
一、奥之院大日大正聖不動明王
一、将軍地蔵菩薩
一、徳叉迦龍王
一、秋葉山火渡り神事 祭典日毎年十二月十六日
一、大般若・湯まつり神事 旧暦一月十六日
一、御嶽神社」
「大天宮小天宮七十五善神」……これは「大天狗」「小天狗」のもじりなんでしょうか。
「七十五善神」はわからないですね……修験道絡みかな(これも勉強不足で……)。
さて。
引用しよう……と思ったのですが、どうも国会図書館デジタルコレクションの文献では「慈眼寺」が引っかからないんですよね。
社伝の通りなら大同四年辺りの結構な古寺で、織田信長が桶狭間の戦いの前に参拝したなんていうエピソード付(今なら歴女に大人気)。
いろいろ逸話が残っていてもいいのですけれども……。
○こちら===>>>
「可睡斎」 - べにーのGinger Booker Club
ちなみに、
↑の「秋葉権現」の項目によれば、
「(略)縁起によると、三尺坊は信濃国(長野県)の人で、母が観音を念じて誕生したという。そして六、七歳のころ出家した。やがて阿闍梨になり、越後国(新潟県)古志郡蔵王堂(現在の長岡市蔵王町金峯神社。旧社格は県社)十二坊の一つの三尺坊の主となった。不動三昧の法を修し、七日満願の朝、焼香の火焔のなかに、鳥の如く両翼が生じ、左右の手に剣と索を持つ相を感得し、一法を編み出し、自ら本尊たらんことを思い、思惟すると煩悩生死の業が滅尽して、飛行神通自在となり、一匹の白狐にまたがり、飛行して南下、遠州秋葉山に止まった。ときに空中に声あり、「種々形をもって諸国土を遍歴、衆生済度する」という唱えごとが聞こえたという。
この鎮座のときは平城天皇大同四年(809)とも、永仁二年(1294)八月中旬ともいわれ、また大同・永仁の再度に出現したとも伝えられる。下って、再び永享年間(1429〜1441)に三尺坊は尾張国に姿を現し、円通寺(名古屋市熱田区新宮坂町)の大明和尚のもとで参禅、鎮防火燭の秘法を感得し、これにより火伏せの神としての進行が高まったと伝えられる。(略)」
「大同四年」「永享年間(1429〜1441)に三尺坊は尾張国に姿を現し」……この辺りが怪しいですねえ……これは「円通寺」にも行ってみないといけませんね。
というわけで、実にワンダーランドだった「慈眼寺」。
佇まいといい、今に修験の道を伝える、という神秘的なもの(同時にいかがわしさ)も感じられて、よかったです。
御朱印は……あるのかな。
とりあえず、参拝者はいらっしゃいましたが、寺務所などに人の気配はなかったです。