べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「諏訪大社・上社本宮」(1)

9/24。

「足長神社」を後にして、ナビに案内されながら走っていくと、正面に見えてくるのが「諏訪大社・上社本宮」。

 

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諏訪大社 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)

 

参道は観光客で賑わっておりました。

鳥居手前で右に折れて、駐車場に車を入れます。

 

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いきなりの御柱の御出迎え。

 

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この階段を上りますと社殿ですが、順路としては左手に折れます。

 

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野趣に富んだ手水鉢(?)。

 

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雷電為右衛門の像。

大関です(当時、横綱というのは番付になかったのです)。

 

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案内図。

 

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信濃国一之宮 諏訪大社 上社本宮

(略)

一、御祭神 

建御名方神(たけみなかたのかみ)

八坂刀売神(やさかとめのかみ)

一、御由緒

我国最古の神社の一つである、信濃国の国造りをなされたのち、日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃国一之宮として皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万余の諏訪神社総本社である。(旧官幣大社

一、祭事

上社例大祭(酉の祭)四月十五日

下社例大祭(お舟祭)八月一日

御射山社祭(上・下社)八月二十七日

式年造営御柱大祭 寅年及び申年

右の他年間二百余の祭事あり

一、御神紋

梶の葉(かじのは)」

 

ざっくりと。

 

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「上社筒粥殿跡」。

「下社春宮」で現在行われている「筒粥神事」という占いが、「上社」でも行われていた、と。

 

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「神楽殿

文政十年(1827)の建立で祈願者の神楽奉納の御殿である。

四方吹通し入母屋造りで諏訪市の指定文化財の建造物である。

大太鼓は神楽殿建立と童子に奉納され胴は樽と同様に合わせ木作りで神龍が画かれている。

皮は一枚皮が使われ一枚皮では(牛と伝う)日本一と云われる。

この大太鼓は元旦の朝にのみ打たれる。

 

このちょっと覗いている格子天井とか、いいですよね。

構造物として。

額に猿っぽい絵が描かれているのですが、文章まで読めなかったので……まぁ比較的最近の建造物ですから。

太鼓もすごいですね。

「この大太鼓は元旦の朝にのみ打たれる。」……一年間は風に曝されるってことなんですかね。

もったいない(そして、それがありがたい、という意味です)。

それより、「元旦」って、

 

本来は「元日の朝」

 

という意味なんですが。

神社なんだから、日本語はしっかり、と少し思いました。

 

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「天流水舎

俗にお天水と称される どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると云われ諏訪の七不思議の一つに数えられている 旱天の折りにはこのお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭をすると必ず雨が降ると云い伝えられる」

 

「このお水を青竹に頂いて持ち帰り雨乞いの祭をすると必ず雨が降る」って、勝手に雨乞いの祭りなんかして怒られないんでしょうか。

私が神社関係者なら怒ります(神社が祈祷するべきなんですが……そうでもないのかな)。

 

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「五間廊

現在の建物は安永二年(1773)の建造であり廊下様式切妻造りである 古記録には神長官・祢宜太夫・権祝・擬祝・副祝の五官着座のことが見えている」

 

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「勅使殿

現在の勅使殿は元禄三年(1690)の創建であり安政年間に大修理を加えてある切妻流れ正面大唐破風造りである 中央の記録では神門戸屋・帝屋とも書かれており建武二年(1335)大祝即位の記録には御門戸屋にて神事があり社殿に布を敷いて其の上に五穀を供えそこに大祝が着座したことが見えている また勅使参向の折には幣帛の授受が行われた所である

元旦の蛙狩神事や御頭受神事も行われた所である

当時の勅使殿は今の神楽殿の前あたりにあり拝殿の性格をもっていた」

 

「勅使」って、基本的には朝廷から派遣された天皇の代理みたいなものなんですが。

ということは、「勅使殿」で、「大祝(おおほうり)」(諏訪大社神職の一つで最高位)の即位式って、やってもいいんでしょうか?

つまり、「大祝」という存在がどんなものだったのか、がわかります。

 

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「大欅」。

樹齢約千年だそうです。

案内板に、「古くは贄・獲物を掛けて祈願したことから「贄掛けの欅」と呼ばれ」と書かれています。

ええと……樹齢から考えると、まさか千年前からではなさそうですので、うーん、八百年くらい前からでしょうか。

問題は、

 

いつまでやってたの?

 

ってことです。

「贄」、「獲物」ですから。

 

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これはなんだっけ……↑の案内板を見ると「駒形屋」だそうです。

 

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この鳥居のところでUターン。

 

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「出早社(いづはやしゃ)(摂社

祭神 出早雄命

例祭日 十月十五日

祭神は諏訪大神の御子神であり地元の人々からはお諏訪様の門番神として崇められている。又古くからイボ石神として敬われ小石を捧げてイボの全快を祈る風習が残されている」

 

門番神はいいとして(狛犬ではないのですね)、イボ石神」って何か引っかかります。

この名称だと、明らかに「イボがある石の神様」です。

そこにまた「小石」を「イボ」に見立てて捧げるということは、

 

「イボ」を肩代わりさせ続けている

 

ということです。

 

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「入口御門

文政十二年(1829)建立 上社宮大工棟梁である原五左衛門親貞とその弟子藤森廣八が構築し巧緻な彫刻が施されている」

 

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ここは「絵馬堂(額堂)」です。

ざっくりとした写真しか撮っていないのは、観光客が多かったからです。

 

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摂末社遥拝所

文政十一年(1828)の建造である

昔は十三所遥拝所とも称し前宮を始め上の十三所・中の十三所・下の十三所計三十九ヶ所の摂社末社を遥拝する所であった

現在当大社の摂末社は約百社あり朝夕この社を通して遥拝している」

 

というわけで、ここからは「遥拝所」ゾーン。

観光客のみなさまは華麗に素通りされていきますが。

むしろがっつり参拝です(参拝してから、扁額のお写真を撮影しています)。

 

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「所政大明神

前宮大明神

磯並大明神」

 

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「大歳大明神

荒玉大明神

千野河大明神」

 

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「若御子大明神

柏手大明神

■井大明神」

……どうしても左が読めません。

 

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「溝上大明神

瀬大明神

玉尾大明神」

 

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「穂謨大明神

藤嶋大明神

内御玉殿」

 

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「鶏冠大明神

酢蔵大明神

習焼大明神」

 

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「御座石

御飯殿

相本」

 

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「■■

大四御庵

山御庵」

……なんで右側だけ行書とかになっているのか。

 

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「御佐久田

■■庵

八劔大明神」

……わざと読みづらくしてないか?

 

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「小■■

■■■■■

荻宮明神」

……ぜったいわざとだね、これ。

 

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「達屋明神

酒室明神

■■■■」

 

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「御室明神

御賀摩明神

■並■神」

 

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「■居會■酒

神殿中部屋

長廊大明神」

 

ふうふう……がんばった。

 

前回紹介した、

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 諏訪史料叢書. 巻26

 

↑から、「上中下十三所」を抜き出しておきます(適宜省略有り/引用にあたって旧字をあらためた箇所有り/判読不能文字は■で置き換える)。

32コマ辺り、

 

「5.上中下十三所造営

上十三所

所政所 阿弥陀 外縣介

前宮 如意輪 女神 外縣宮付

磯並 千手 内縣介

大歳 空蔵 内縣宮付

荒玉 愛染 大縣介

千野河 文殊 大縣宮付

出早 此宮今ノ所アラズ

柏手 虚空蔵

久須井 薬師 大水後此薬師栗林ヘ移ル

溝上 正観音 女神 哀女人 正月水神也

玉尾 愛染

穂俣 釈迦

瀬大明神 弥勒

 

中十三所

藤嶋 不動

内御玉殿 大同 定光仏 女神 天照太神 御寶殿ナリ

鶏冠大明神 薬師 守矢大臣是也 木神 楓宮トモ云

酒蔵 大日 女神

習焼 不動

御座石 大日如来

御飯殿 毘沙門

相本 如意輪 女神 虚空蔵 稲荷同体之神也

若宮 阿弥陀

大四御庵 十一面

山御庵 虚空蔵 大倭三輪同体之神也

御佐久田 宝性仏

闕庵 辯才天

 

下十三所

八劔 辯才天

小坂鎮守 観音 続丹太神

鷺宮 大威徳 手長大明神

荻宮 文殊 足長大明神

達屋 不動 香鼻大明神

酒室 弥勒

下馬 馬頭観音

御室 荒神 己亥宇賀神

御賀摩 辯才天

磯並之山神 日月神

武居 蛭子 會美酒

神殿中部屋 辯才天

長廊大明神 馬頭 多宝仏 加茂同体神也」

 

これを対応させていただければ、■の部分は大体わかるかと(今日はパス)。

中にはよくわからないものも混じっているのですが、大体においてはそれぞれの地域で祀られている神、だと思います(「会美酒」なんて当て字もいいところです……「金爆」の人じゃないんだから……「樽美酒」が読める人なら「会美酒」も読めます……そう、「エビス」です)。

そのことに非常に違和感がありまして。

何が、って、これらは境外の摂社末社なわけです。

摂社末社って、社格からいったら当然「下」です。

その神社を、

 

遥拝所まで作ってお祀りする理由ってなんですか?

 

普通、遥拝所って、遠くていけないような場所だったり(里宮から見た本宮)、関係が深くて社格が同じか上だったり(各地にある「伊勢神宮」遥拝所とか)、そういう社を拝むためにあるものなんじゃないでしょうか?

信濃国はそりゃ広いですけれど、普通逆ですよね。

境外の「摂社末社」に、「諏訪大社」の遥拝所があるならわかりやすいです。

摂社末社」なんだから、本社に吸収しちゃえばいいのに、あえて、

 

遥拝所

 

と言っている。

これで、そういった「摂社末社」が廃絶していったので、遥拝するようになったならまだわかりますが、↑の案内板では昔は十三所遥拝所とも称し」って書いてあります。

この「昔」が、建てられた当時のことだったのか、それより昔だったのかがわかりませんが、少なくとも二百年近く前には既に「遥拝所」だった、と。

うーん……何となくしっくりこない。

何だか気持ち悪い……。

 

 

 

 

 

 

気持ち悪いので、次回へ続く〜。