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「西明寺」のすぐそばにあるのが。
「山王大宮神社」。
同じ名前の神社が検索するといくつか出てくるようです。
古色、という点ではなかなか趣があるのではないでしょうか。
「人皇54代仁明天皇の勅願による当村西明寺建立の時 延暦寺の守護神 日吉権現を勧請せられ地主の神と祀られたのに始まる後仁寿三酉年の春 現社地に移されて以来池寺村の氏神として崇め祀る祭神 日吉大神であらせられる」
境内社として「市杵嶋神社」と「龍神社」があるようです。
どう撮影しても、「山」の字が見えませんでした。
立派な押し出しと、一直線な参道が美しいですな。
山王鳥居じゃないんですね。
何か理由があるんでしょうか(山王一実神道系じゃないと、山王鳥居じゃないんでしたっけ)。
また苔が美しい。
西明寺に負けないくらいです(広さでは負けていますが)。
神社かくあれ、の見本のような配置に思えます。
本殿は流造。
小さいながらも美しいたたずまいです。
どっちかが「市杵嶋神社」で、どっちかが「龍神社」でしょう。
結構広い境内に、横に並べられた本殿と摂社(末社?)。
この配置に何か意味があるのでしょうか。
それとも、単なる便宜上のものでしょうか。
比叡山は近いですし、「西明寺」は天台宗ですから、「日吉権現」を勧請するのは自然な流れですね。
比叡山は、いつか行ってみたいですねぇ……。
そして、彦根インターに向かう途中で見つけた神社。
「大将軍社」。
読みは、「たいしょうぐん」です。
「社伝によれば当社の御祭神増長天王は古き昔に中国より渡来された武神・軍神として遠き戦国の世に当時の武士等が戦場守護の神として奉斎されたものである。
猶「神道名目類聚抄」に大将軍と称するは武勇の神を合わせ祭るとあり今も京都市内に大将軍社として尊崇されている」
国道沿い(なのかな)、真新しい鳥居があったものでふらっと寄ってみました。
見事に参道は直角に曲っていますが、これは近代の土地区画整理の問題で、怨霊とは関係ないのかなと思います。
こちらの神社では、「大将軍」を「増長天(王)」に比定していますが、「増長天」だけを単独で祭った神社というのは聞いたことがありません。
そもそも、「増長天」は四天王の内、寺院の本尊となるならわからないでもないですが、それにしたって単独でなら「毘沙門天」でしょう。
また、「大将軍」をそのままの存在だと考えると、方位神の中でも強力なお方、ということになります。
年ごとにあちこちの方位に移られるんですが、これら方位神がどこにいるのかを知るために発達したのが日本の「陰陽道」です(かなりの部分をはしょっていますが、まぁそんな理解で)。
平安時代には大流行りしましたが、近代にいたるにだんだん廃れて、暦に名前を残す程度、今でも信仰しているという人は少ないのではないかと思います。
全くないわけではないですけれど、方位といえば、今じゃ「風水」ですから。
それでも強力な神には違いないのですが。
こんなところにぽつんと「大将軍社」がある不思議。
それを探るだけの知識は、残念ながらありません。
そういえば、「増長天」ってどんな方だったのかもよく知らないときたもんだ。
ということで、もっと勉強しなければいけないなぁと思った次第。