べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日本橋日枝神社」(東京都中央区)〜日本橋界隈短時間ぶらぶら〜

11/17。
前日は、さいたまのほうでギャラクシーな宴がありまして、早起きができず、ぐったり……年だ……ということで、東京駅周辺をぐるぐるしよう、ということにしまして、日本橋日枝神社へ。

 

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www.hiejinjanihombashisessha.tokyo

 

赤坂の「日枝神社」の摂社なんですね。

 

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いきなり拝殿です。
神紋が、当たり前ですが「日枝神社」です。

 

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天水桶って、惹かれるものがありますよね……これは、ちょっと新しそうですけれども。

 

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こちら、境内にある「明徳稲荷神社」の由来。
頑張れば読める……かな。

 

「当神社は遠く元禄の頃より南茅場町(現茅場町一丁目)の稲荷社として現六番地附近に鎮座し、明治十八年回禄の災後は社殿神楽殿再築せられ、町内睦組方々により日枝摂社、薬師堂と共に江戸の御縁日の情緒豊かに霊顕崇かなり、大正十二年関東大震災後小宇再建間もなく區劃整理にて十四番地十四坪六合の換地に社宇再建せられたるも昭和二十年三月戦火に依り烏有に帰せし(以下略)」

 

特に、火事に見舞われることが多かっただろうお社ですが、結構畳み掛けるように災難にあっていますね……往時の東京の、いや日本の神社仏閣は、みんな似たようなものだったでしょうか。

 

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おキツネ様
素朴。

 

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よいロケーションです。

 

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拝殿を向かって左側から。

 

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狛犬さん。
胸筋が素晴らしくストレッチが効いている感じですね。

 

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「摂社日枝神社(山王御旅所)
(略)
由緒 摂社日枝神社天正十八年(一五九〇)徳川家康公が江戸城に入場、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事に始まります。
完成十二年(一八〇〇)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年六月十五日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供養行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。
境内地には天満宮、稲荷社、浅間社のほか、山王の本地とされる薬師堂や閻魔堂も建立され、縁日や勧進相撲も行われていました。
明治元年神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治十年に山王宮は無格社日枝神社に、大正四年には本社の官幣大社昇格に伴い摂社日枝神社と改称されました。現在の社殿は大正十二年九月の関東大震災後、昭和三年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和二十年三月の東京大空襲により罹災しましたが、直ちに補修を行い、昭和四十一年に御屋根葺替と大修理を加えました。平成二十二年には再び、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。なお正面の石鳥居は、万治年間に本社石階段下に設けられておりましたが、昭和三十六年に現在地に移設されました。(以下略)」

 

 

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この鳥居さんが、本社赤坂の「山王日枝神社」のものだったと……いうか、鳥居の正面に社標って、今気づいた……区画整理のせいでしょうね……こんな感じに、ビルの合間にあるので、ちょっと気づきにくいかもしれませんが、狛犬さんがよいので是非ご参拝を。

 

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御朱印

 

さて。
神社の案内板にも書かれていたのですが、

 

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大日本名所図会. 第2輯第3編 江戸名所図会 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』の第二巻です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
89コマより。

 

「永田馬場山王御旅所 茅場町にあり。遥拝の社二宇並び建てり。寛永年間此地を山王の御旅所に定めるるといへり。一宇は神主樹下氏持なり。一宇別当観理院持なり。隔年六月十五日御祭礼にて、永田馬場の御本社より、神輿三基此所に神幸あり。仮に神殿を儲け、供御を献備し、別当は法楽を捧げ、神主は奉幣の式を行ひ、夜に入りて帰輿なり。其行装榊・大幣・菅蓋・錦蓋雲の如く、社司社僧は騎馬に跨り、或は輿に乗じ、前後に扈従す。諸侯よりは神馬・長柄槍等を出されて、途中の供奉厳重なり。又氏子の町々よりは、思ひ思ひに練物あるひは花屋台・車楽等に、錦襴緞子抔のまん幕を打ちはへ、各々其出立華やかに、羅綾の袂錦繍の裔をひるがへし、粧巍々堂々として、善美を盡せり。此日 官府の御沙汰として、神輿通行の御道筋は、横の小路小路は矢来を結ばしめて、往来を禁ぜらる。実に大江戸第一の大祀んしいて、一時の壮麗たり。

薬師堂 同じく御旅所の地にあり。本尊薬師如来は、恵心僧都の作なり。山王権現本地仏たる故に、慈眼大師勧請し給ふといへり。縁日は毎月八日・十二日(正五九月廿日には開帳あり)にして、門前二三町の間、植木の市立てり。別当は医王山智泉院と號す。元は鎧島山と號けしとなり。本尊縁起に曰く、恵心僧都は、其父母大和国高尾寺の薬師仏に祈りて設くる所の霊児なり。僧都仏門に入りて後、法恩を謝せんが為、自ら本尊を彫刻ありて、高尾寺に安置せられしに、遥の後相州大場村に遷し奉りたり。然に慈眼大師東叡山にうつし奉る。此地や大城の東に位し、しかも山王の本地仏たるにより、ここに安置なし奉らるるとなり。

天満宮 同境内にあり。社司諸井氏奉祀す。二月・八月共に、二十五日を祭日とせり。神像は画幅にして、寛永年間柳営に奉仕の春日局、大樹より拝受せられしを、山王の神主日吉右京進へ附与あり。其後諸井氏請ひ得て、ここに勧請なし奉るとなり。(略)」

 

なるほど……なお、「智泉院」は、神社のすぐ裏手に現在もあるようです……下調べしないもので……。

 

◯こちら===>>>

「日枝神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑赤坂の「日枝神社」は、何度か参拝しています(その都度御朱印をいただいてはいないので、結構前の記事です)。

 

◯こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「日吉大社」の記事はこちら(いくつか続いております)。

 

往時とは異なり、日本橋付近にひっそり、という感じですが、狛犬ハンター的には見逃せない神社ではないかと思います。
東京駅からぶらっと歩いていけますので、時間があまりないときにはおすすめです(?)。

 

というわけで、日本橋界隈短時間でぶらぶら御朱印ゲットの旅でございます〜。