12/2。
突如、「はっ、明日有給を取りたい!」と思い立った前日、職場で許可を取り、早朝から滋賀方面へ。
今年の干支は今年のうちに……ではないですが、申年のうちに行くべし、と思っていた「日吉大社」へ向かいました。
○こちら===>>>
日吉大社 | 平安京の表鬼門鎮座 方除・厄除の大社 神仏霊場 滋賀県17番
家を出たのが午前6時前、でしょうか。
「日吉大社」入り口に到着したのは8時過ぎ頃だったかと思います。
…。
……。
………。
…………。
さすがに早すぎて、係の人もいやしねぇ……。
というわけで、しばらく付近の風景を愛でていました。
ナビに案内された駐車場の近くには、二宮橋があります。
「日吉大社日吉三橋 二宮橋 一基
二宮橋は、東本宮(二宮)へ向かう参道の、大宮川にかかる花崗岩製の石造反橋ですが、木造橋の形式によって造られたものです。
川の中に十二本の円柱の橋脚をたて、その上に三列の桁をおき、桁上に継ぎ材をならべ橋板を渡し、両側に高欄をつけています。
(略)
天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。」
こんな感じで、橋より紅葉に目がいってますね……。
うん、ピンボケ。
参拝マップがありました。
東受付で駐車場代なぞを支払い、どうやら最初に「東本宮」を目指すことになりそうです。
その途中にある「氏神神社」。
いかん、油断していて全然解説が読めない大きさだった……。
こちらは「氏永社」。
うーん……解説が見つからない……。
また紅葉。
こちらは神社名が隠れていますが、「八柱の神」と見えますので、「八王子社」でしょうか(「日吉大社」の呼び名があった気がします)。
「東本宮」の楼門。
ゆるやかな坂道になっています。
石灯籠。
「巌滝社」。
御祭神は「市岐島姫神」と「滝津島姫神」。
……普通は「宗像三女神」か「市杵島比売命」単体でお祀りされることが多いのですが。
何か理由があってこうなっているのでしょうか。
楼門付近から、「二宮橋」の方を。
朝早く、天気もよかったので、なかなか神秘的な……ちょっと遠いな橋が。
「須賀社」。
御祭神は「素盞嗚神奇魂」となっていますね。
楼門。
楼門……なぜ暗い……。
「東本宮」本殿。
画角がとれなくて……全然写ってませんけれども。
「日吉大社東本宮本殿
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造といい、三間・二間の身舎の全面、両側面の三方に廂がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にのみ現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文禄四(一五九五)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和三六(一九六一)年四月に国宝に指定されました。」
国宝……にこんな簡単に近寄れる、ということがいいのか悪いのか。
昨今は物騒な輩がいますからね、注意していただきたいと思います。
「東本宮」本殿の狛犬さん。
たら狛犬さん。
木造ですね。
なんともやわらかな造形です。
おっと、全景がありました。
なるほど、三方向の廂が作り出す水平の広がりと、前方の廂と階段が作り出す前後方向の奥行きが……と書き始めましたが、そんなものを描写する能力は私にはないのでした。
ちょっとずつバランスを崩しているような感じがいいんでしょうか。
……全然解説が見えない……社名とかが書いた板があるんですけれどね、ここまで影になっているとは。
位置的には「樹下若宮」だと思うのですが……あ、「新物忌神社」かも。
そのお隣の井戸。
何か解説があったはずなんですが……超余裕で時間をとって訪れたのにこの体たらく……多分お腹が痛かったんだと思います(?)。
「東本宮」本殿を、向かって左側から。
垂木の連続性……。
狛犬さんを後ろから。
葵が植わっている……という場所だったと思います(おいおい)。
本殿裏手に、「大物忌神社」が鎮座まします。
「御祭神 大年神
(略)
東本宮の御祭神である、大山咋神の父神様をお祀りしています。
お猿さんの顔をされた神様で、そのお姿は、山王曼荼羅にも描かれています。」
「お猿さんの顔をされた神様」
……え、そうだったの?
そんな話は聞いたことないので、「日吉大社」の伝承なのでしょう。
地域の習俗として「年神様」というのがありますが、似たような神性だと考えられていますね。
季節の移り変わりとサイクルを「一年」と捉える、というのは古代以前からあったと思われますので、「年を更新する」という意味でお祀りされたのでしょう。
時間の概念理解はともかく、繰り返される似たような季節の事象を説明するための「年」で、それがつつがなく繰り返されるのは「年神」のおかげだ、という感じでしょうか(後付けの解釈です)。
穀物と関連づけられるのは、年を更新するもっとも重要な理由が収穫だったから、ということでしょう。
「年神様」と「大年神」、どちらが起源なのかはもうよくわかりませんけれど。
なお、「早尾神社」は社殿修復中なので、御祭神にはこちらにお遷りいただいているそうです(2016/12/2現在)。
御祭神は「須佐之男命」です。
どうやら「日吉大社と延暦寺の門番の神」だそうで……自分の子孫(「大山咋神」)が「日吉大社」の御祭神だから、なのでしょうか。
○こちら===>>>
↑「大物忌神社」といったら、こちらがすぐに思い浮かびますよね。
いつか行ってみたいなぁ……。
横から。
「稲荷社」。
なんかいきなり小さくなっちゃいましたが……「倉稲魂神」は、「大年神」の父神とされています。
「東本宮」には「須佐之男命」の神統に属する神がたくさんいらっしゃる、ということですね。
本殿を後方から。
確かに三間が一段高くなっています。
安土桃山以前から、この状態だったのでしょうか……。
もうちょっと寄ってみました。
左右に伸びた廂の分、後ろから見ると屋根の描く曲線が面白い感じですね。
本殿向かって右側にある「梛」。
こちらは「雌梛」だったかと。
本殿ぐるりと一周しまして、狛犬さんを後ろから。
初回はこの辺りまでで〜。