べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「稲荷鬼王神社」

(↑神社仏閣のことを書いているせいか、広告に「霊視」だの「前世」だのといったものが表示されます……なんか嫌)

 

8/3。

品川神社」の参拝を終えた後、新大久保駅まで移動し、そこから徒歩で向かった先は、「稲荷鬼王神社」。

 

◯こちら参照===>>>稲荷神社(稲荷鬼王神社)

 

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新宿は歌舞伎町の奥の方にあり、交通量の多い道路に面しているので、遠景が撮影できませんでした。

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というわけで、これを足していただければ。

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ベースが「稲荷」様ですので、本来は神使である狐がいてもいいのですが、この像は明らかにそうではないですね。

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拝殿。

右手に、「水琴窟」があります。

なかなか聴けるものではないので、参拝のおりは是非お試しを。

配布しておられる由緒書によると、

 

「稲荷鬼王神社御祭神

お稲荷様

◯宇賀能御魂命(新宿の厄除け稲荷) 生成発展 商売繁昌 子孫繁栄 福招き の神様

鬼王様(きおうさま)(全国一社福授け)

◯月夜見命 人の運勢を司りツキを与えてくれる神様

大物主神(別名「大黒天」とも呼ばれています) 商売繁昌 心願成就 病気平癒 身体健全 縁結び の神様

天手力男命 開運 武運長久の神様

 

「鬼」というと私達はとかく悪いイメージをもちがちですが、古来、「鬼」は神であり「力」の象徴でもありました。又、「鬼は悪魔を祓う」といわれ、すべての災禍を祓う力があります。その為、鬼を祀ったり、鬼の名のつく社寺は全国に幾つもあります。しかし、その「鬼」の王様という意になる「鬼王」という名のある社寺は全国で当社のみです。(中略)

古来より大久保村の聖地とされたこの地に承応二年(1653年)、当所の氏神として稲荷神社が建てられました。宝暦二年(1752年)紀州熊野より鬼王権現(月夜見命・大物主命・天手力男命)を当地の百姓・田中清右衛門が旅先での病気平癒への感謝から勧請し、天保二年(1831年)稲荷神社と合祀し、稲荷鬼王神社となりました。それ故、当社の社紋は稲荷紋と巴紋の二つがあるのです。紀州熊野に於いて鬼王権現は現存せず、当社はそれ故、全国一社福授けの御名があります。この鬼王権現は、湿疹・腫物を初め初病一切に豆腐を献納し、治るまで本人或いは代理の者が豆腐を断ち、当社で授与される「撫で守り」で患部を祈りつつ撫でれば必ず平癒するといわれ、明治15年頃まで社前の豆腐商数件がこの豆腐のみにて日々の家計を営んでいたといわれたほどでした。(後略)」

 

ということで、珍しい「鬼の王様」を祀った(社伝によれば全国唯一)神社です。

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「鬼」は中国から入ってきた漢字です(当たり前)。

中国語で意味するところは、基本的には「死者(の霊)」です。

「オニ」という日本語は、「オン(オヌ)」という言葉に元々「隠れる」というような意味があり、「容易に姿を見ることのできない存在」を指していたようです。

また、そういった、現代的に言えば「超自然的な存在」を、「モノ」と言うこともありました。

「オニ」は「モノ」であり、「鬼」は「物」でもあったわけです。

ただ、古代からどうも、「鬼」には悪いイメージがあったようです。

この「鬼」は、神社の由緒にもある通り、「超自然的な存在」を指しているはずなのですが、いつ頃からか、我々の想像する「鬼」に変わっていきました。

これは、もっぱら仏教輸入の影響が大きいと思います。

仏教にある、「夜叉」「羅刹」といった仏でも神でもない存在のイメージ。

元々あった「超自然的」なイメージ、それに「鬼」の字から「死者(の霊)」のイメージ、加えて仏教的な「夜叉」「羅刹」等のイメージが重なり、いつしか童話に語られるような「鬼」が生まれていったと思われます。

酒呑童子」、「茨木童子」、「安達が原の鬼婆」等等……。

極めつけはもちろん、「地獄」のイメージの輸入ですね。

「地獄」の獄卒を「鬼」と呼んだことは、かなりの影響があったでしょう。

……違っても、知りません。

さて、熊野にあったという「鬼王権現」がこの地に勧請された、ということですが。

「熊野」というのは、「熊がいる野」のことではありません。

いや、いるかもしれないんですが。

「隈(クマ)」には、「薄暗い、鬱蒼とした」というような意味合いがあり、「木々が鬱蒼と茂る昼なお暗い土地」というような意味が、「熊野」だと考えられています。

実際、「熊野古道」などと言われ、紀伊半島全体に深い森が残っていることはご存知でしょう。

で、こういう土地がですね、「鬼」の住む土地だったんですね。

「隠(オヌ)」、「隠れる」のにちょうどいいでしょう?

そこからやってきた「鬼王様」が、「月夜見命」、「大物主命」、「天手力男命」、というのがどうも解せません。

いえ、現存しない「鬼王権現」では、実際にこの三柱がお祀りされていたのかもしれません。

それにしても、取り合わせが妙です。

「月夜見命」は、「三貴子」の一柱で、月の象徴、夜の支配者、ついでに時間の支配者でもあります(「暦」は「日読み(かよみ)」、ですから「月読み」も同じように大切だったはずです。昔は太陰暦ですしね)。

重要そうな役割の神様なんですが、いかんともしがたく地味。

「大物主命」は、三輪山の神で、「大国主命」と同じ、と言われています。

蛇体の神でもあります。

その祟りは相当なもので、日本中に威力を及ぼしたこともあります。

そして、「天手力男命」は、「天の岩戸」を開いた強力の神。

天津神の中ではかなり古い神です。

この三柱を「鬼王権現」として祀った、というのが、何とも意味不明です。

ただ、三柱ということで、ひょっとすると、熊野三社と何か関係があるのかもしれません。

全く関係なくて、何かの理由があって合祀しただけ、という可能性もあります。

さっぱりわかりません。

誰か、謎を解いてくれているかもしれないので、検索してみてくださいね。

境内社として、

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恵比寿神社」、「三島神社」とも言われているようです。

祭神は「事代主命」、「恵比寿様」の起源と言われる神様の一柱ですね。

写真の右側に写っている石を「かえる石」と予備、水をかけて、お参りしたあと、「かえる石」をさすると、金運・良縁がかえる、と言われているそうです。

こちらにも水琴窟があります。

神職によれば、「関西の「恵比寿様」には「耳が遠い」という伝説があり、そのために大声で呼ぶ」のだそうで、関西からお参りに来られた方は「是非とも鈴をつけてほしい」とおっしゃったそうです。

鈴をつけることは難しいので、代わりに音の出るもの、ということで水琴窟を備えた、と。

なかなか風情があります。

十月十九日、二十日には「新宿えびす祭」として、境内で「べったら店」が出るそうです。

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それほど広くない境内ですが、見所が他にもあります。

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「力様」と呼ばれる鬼の形の像は、穢れを祓う力士の「四股を踏む」姿だそうです。

 

「この水鉢は文政の頃より加賀美某の邸内にあったが、毎夜井戸で水を浴びるような音がするので、ある夜刀で切りつけた。その後家人に病災が頻繁に起こったので、天保四年(1833)当社に寄進された。

台石の鬼の肩辺にはその時の刀の痕跡が残っている。……」

 

全国で見られる、「化け灯籠」なんかのお話です。

実際のところは定かではありませんが、誰かがこの石を斬ったことは間違いないでしょう。

由緒書には、この鬼を切った刀を「鬼切丸」と呼んだそうです(刀は盗まれてしまったそうで)。

 

……楠桂

 

 

この「力様」の刀傷に水を注ぐと、熱病や子どもの夜泣きに効果があるそうです。

現代では、不安定になった「力様」に信者方を近づけるわけにはいかないので、神職が毎朝水をかけていらっしゃるそうです。

力士というのは、一種の「鬼」=「普通でない人」です。

そうした人が「踏む」ことから、「四股(醜)を踏む」と邪気を祓う効果がある、とされたんです。

この世界は、とかく「普通でない人」を差別する一方、その「普通でない人」に頼らなければ更新できないものがあったんですね。

今でも、その本質は変わっていないように思います。

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他に、狛犬ですが。

向かって左の「吽形」の方は、子どもを抱えています。

その子どもがまた、玉を抱えています。

なかなかない造形だと思います。

そして、こちらにも「富士塚」があります。

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参道裏手に抜けていくと、左右にあります。

 

「古より当地にあった浅間神社は、明治27年、稲荷鬼王神社に合祀され、昭和5年西大久保の厄除け富士として復興されることになり……(中略)……しかし戦中、帝都空襲の為、石の基盤石がゆるまり、縮小・移動を繰り返した結果、現在の形に落ち着きました。一合目から四合目、五合目から頂上までと参道を挟んで二つにわかれた形になる事によって参道そのものが、富士の胎内に通ずる道となっております。」

 

つまり、一つの富士塚に再建せず、あえて二つのままにしておき、その間を通ることで富士胎内を通り(参道は産道ということですな)、頂上をお参りすれば富士山に籠るのと同じご利益がある、ということのようです。

場所が場所(歌舞伎町)だけに、「参道を抜ける」ということにいろいろな意味を含ませようとする人がいたようですが、神社としてはそういう意図は無い、と神職がおっしゃっておりました。

その他、地名についてのお話も気さくにしていただき、虫除けスプレーまでお借りしてしまい、有り難いことでした。

ところで、「狐」の代わりに置かれていたのは、「山犬」だということです。

「稲荷」が、「荼枳尼天」と習合した、ということは、『豊川稲荷』の記事で書きましたが、その際「荼枳尼天」は「狐」に乗っている、この「狐」は一説に「ジャッカル」ではないかと言われている、と書きました。

「山犬」は、「狐」より「ジャッカル」に近い、と思います。

この神社に「山犬」を置こう、とお考えになった人は、「荼枳尼天」の本来の姿について、よくご存知だったのでしょう。

より原型に近い「山犬」を神使とされ、実は「狐」は一匹もいません。

こういった「お稲荷様」も珍しいですが、比較的新しい創建にも関わらず、このような発想に至ったのは何故なんでしょうね?

そもそも、どうして

 

この土地が昔から大久保村の聖地だった

 

んでしょうか?

謎は尽きませんな。

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日本の神様読み解き事典

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