この記事、一つ書くのにだいたい二時間かかります。
一日の1/12。
他に使うべき時間ではなかろうか……と思ったりします。
8/3。
「稲荷鬼王神社」の参拝を終えて、副都心線で「雑司が谷」まで移動。
そう、行き先は「鬼子母神」です。
◯こちら参照===>>>鬼子母神 由来と歴史
昔、巣鴨に住んでいたときは、近くだったのに一度も行きませんでした。
いや、一度だけでしょうか、友人が出産する前に行きました。
昨年にも、知り合いが出産するので、安産祈願に出かけました(そのために出かけたわけではありませんが)。
というわけで、何となく馴染みのある「鬼子母神」様です。
西参道から中に入ります。
「妙見堂」。
「妙見菩薩」がご本尊です。
「北辰妙見大菩薩」と書かれております。
「北辰妙見大菩薩」の縁起が書かれているのですが……さすがにさっぱり読めません。
失敗したなぁ。
隙間より。
妙見信仰というのは、簡単には書けませんが、「北極星」と北斗七星に対する信仰です。
この話だけで、多分本が何冊も書けるほどのものなので、この位で勘弁してください。
「北極星」(天の北極にある、不動の星)は、いずれの国でも信仰の対象でした。
特に、航海において、夜間方角を知るには不可欠なものです。
強い信仰を集めたことは想像できます。
中国では「皇帝の星」ですね。
それ以上のことは……勉強しないと書けません。
どうかご勘弁を……。
逆光……「鬼子母神」像です。
表の参道より。
相当に立派な建物です。
この桶が、何だか好きです。
「『新編武蔵風土記稿』によると建立は天正六年(1578)五月三日であるが、そののち寛文四年(1664)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日妙大姉が寄進して、今の本殿を造営した。」
とのこと。
HPによれば、
「当山におまつりする鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4年(西暦1561年)1月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。
東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。」
ということですので、極めて強い力を持っていたことが伺えます。
……「清土鬼子母神」って何?
初めて知った……。
◯こちら参照===>>>清土鬼子母神堂|文京区目白台にある日蓮宗寺院
「三角井」を「星の井」と呼んでいたのですね。
そのこと自体にも興味が湧きます(井戸の水面に星が映ったのか、星が近くに落ちてできたのか、いずれにしろ面白そうです)。
が、ともかく、「清土鬼子母神堂」は、「雑司が谷鬼子母神堂」からはそれほど離れておらず、「護国寺」の近くの様子。
……行けばよかった……。
気を取り直して、境内を歩きます。
「法不動堂(のりふどうどう)」。
金剛不動様をお祀りしてあるようです。
中は覗けましたが、写真を撮るのは遠慮しました。
「武芳稲荷」。
元々この辺りは、お稲荷様の神域だったのではないか、と思われます。
「鬼子母神」だからなのか、神使の狐の足下には子狐が。
東京都指定天然記念物の「イチョウ」です。
立派な枝振りで、さぞかしたくさんの銀杏を落とすのでしょう。
秋に来ると、また印象が違うのかもしれませんね。
なかなか珍しい、野ざらし石造「金剛力士」像。
HPによれば、
「この二像は丈と幅が同寸といわれる珍しいお姿で、もと、盛南山という寺の観音堂にあったものが寄進されたと伝えられています。」
だそうです。
「盛南山」ってどこだろう、と思って検索してみると、
◯こちら===>>>§3 雑司ヶ谷七福神 彷徨 | 新訂 旅と歴史
こんなページが見つかりまして、「和田戸山盛南山」のことを指しているらしい、とわかりました。
「和田戸山」ってどこだろう、と思って再び検索、
◯こちら===>>>東京都新宿区の歴史 戸山
どうやら新宿区の地名のようです。
今は「盛南山」という寺院があるかどうかわかりませんが(多分、無い)、その辺りの寺院から寄進された、ということです。
検索エンジンって、超便利ですね。
百度石。
「百度参り」の起源、というのも、現代ではつまびらかではないのでしょうか。
小野小町の伝承に、「百夜通い」というのがありますよね(深草少将に対して小町が、「百夜通ったら会ってあげましょう」と言い、少将がそれを実行するのですが、九十九夜目で倒れてしまう、というお話。別の形もあります)。
あれは、「百度参り」の変形なのか、それとも案外原型を伝えているのか。
誰か、研究していただけると面白いかと思います。
パノラマ〜。
遠景。
わかりづらい……。
参道前にある、モダンな洋装店。
素敵。
他にも、「大黒堂」があったりですとか、名物「おせんだんご」ですとか、実は「雑司が谷七福神」というのがあるらしいとか、
◯こちら参照===>>>雑司が谷七福神巡り
神社仏閣好きにはたまらない空間です。
「雑司が谷七福神巡り」はやってみたかったですねぇ……え、できたのが2010年なんですか?
ということで、知り合いの子どもが無事生まれたお礼を述べにお参りした「鬼子母神」様。
「鬼子母神」は、インドでは「ハリーティ」、「訶梨帝母(かりてぃも)」と呼ばれる夜叉でした。
王舎城というところに住んでいて、500人(1000人との異説あり)の子どもがあったのですが、他人の子どもを食べてしまうのでした。
そこで釈尊、「訶梨帝母」の末子の畢哩孕迦(ひりょうか)を隠してしまったのです。
嘆き悲しみ探す「訶梨帝母」に対して釈尊、「500人の子のうち一人でさえいなくなれば悲しい。自らのたった一人の子を食われた父母の嘆きはいかばかりか」と説かれました。
「訶梨帝母」、子どもを返してくれたらもう人の子どもは食べないと誓い、そこから子どもの守護神となった、というわけです。
「雑司が谷鬼子母神」には、見目麗しい天女姿の像が納められているそうです。
また、この姿が、子どもの守護神になった後のものなので、こちらでは「鬼子母神」の「鬼」の字から、角(一画目)を取って書かれます。
多くの「鬼子母神」では、角を取って書かれているようですね。
◯こちら===>>>法華経寺TOPページ
◯こちら===>>>入谷鬼子母神 台東区ホームページ
「鬼子母神」といえば、「恐れ入谷の鬼子母神」の方が有名ですね。
また、「鬼子母神」といえば、「ザクロ」です。
これは、「ザクロ」が人肉に似ているとか、種が多いから多産の象徴だとか、いろいろな説があるようです。
個人的には、「人肉に似ている」、というのが、少々グロいですが、何とも業が深くていいのではないかと思います。
どうやら「鬼子母神」、かの日蓮上人と関係が深いようですが、そこに踏み込むには勉強不足なのでやめておきます(妙見信仰も含めて)。
で、私が何で「雑司が谷鬼子母神」によく来るのか(そんな頻繁でもない)、といいますと。
京極夏彦氏の『姑獲鳥の夏』という小説に出てくるんですね、その地名が。
…。
……。
………。
ええ、そんだけです。
………。
……。
…。
いや、初読のときに、雑司が谷という地名だけが頭に残ってしまいまして。
いつか行ってみようと思っていたのですが、なかなか行けず。
ようやく行ってみても、それらしき産婦人科はなく(当たり前だ)。
それでも、この辺りで関口君が懊悩していたのかと思うと……。

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