1/26。
名古屋駅まで出かけたので、ルーツ探索その2。
下中八幡宮。
中村区下中村町、にあるわけではなく、実は押木田町にあります。
○名古屋市中村区史跡散策コース===>>>
http://www.city.nagoya.jp/nakamura/page/0000001258.html
下中八幡宮の由緒記によれば、
御例祭 二月十一日 龍神楠大神祭 八月八日 夏大祭 十月九、十両日 秋大祭
當、下中八幡宮は後白河天皇の保元元年(西暦1156)鎮西八郎為朝の創祀に係る此の地方の古社である。元来此の地は往時東海東山両道の要衝に當り、為朝が平清盛の専横を憤り且つ崇徳上皇を讃岐に遷し奉たことを慨き配所伊豆大島を脱出して尾張の國尾頭に来り、東海東山の諸源氏を糾合し平氏追討の機を窺た頃の創建で太閤豊臣秀吉の氏神様でもあったと伝えられ……(以下略)」
(旧字体混じってます)
この地域では、かなり大きい神社です。
参道もしっかりと残っています。
参道には、平成5年に、拝殿の屋根で見つかったキササゲという木の二代目が植えられていました。
都会、とは言いがたい中村区ですが、それでも町中には違いありません。
そんな神社の屋根の上で、木が自生するというのは、やはり何か象徴的だ、と思っても当たり前ですねぇ。
拝殿。
なかなか立派な押し出しです。
権現造になるのでしょうか、銅葺屋根の緑青が美しいですね。
立木の奥に……あんまり見えないのが失敗。
写真の腕がないので、いい感じで見せられません。
境内は広く、社務所があり、地元の崇敬を未だ集めていることが感じられます(私、幼少期、毎週日曜日お参りに来ておりました)。
車通りも少ない土地柄で、一歩足を踏み入れればさらに静かな空間です。
厳かな気分になります。
子供の頃はあんまり気づかなかったなぁ……。
請雨をしたことがあるんでしょうかね。
それから、
「鹽竃社(しおがましゃ)」です。
陸奥国一宮に「鹽竃神社」がありますが、そちらの主祭神は、「塩土老翁(しおつちのおじ)神」です。
この神、海幸山幸の神話で出てきて、山幸彦を助けたり(山幸彦が助けた鳥がこの神になったりもします)、神武天皇に大和の地を示したりします。
亀に乗ったりもしますので、浦島説話の構成要素に似ています。
「しおつち」だったり「しおつつ」だったりしますので、海の神、航海の神、さらには嚮導神(導きの神)でもあるのでしょう(「ツツ」は上代、星のことを指していたのではないかとも考えられています)。
で、その神が、なぜ八幡宮にあわせて祀られているのでしょうか。
さして理由がないかも知れません(周囲の神社を合わせて祀っただけ、という可能性もあります)。
でも、それでは面白くないので、関裕二氏の本によく登場する説をご紹介しましょう。
……やっぱ長くなるからやめます。
ちょっとだけ。
……簡単に言いますと、関氏は、「塩土老翁」という神を、「武内宿禰」と同一視しているのです。
もっぱら神功皇后の三韓征伐への参加や、応神天皇誕生の地に反乱を起こした大和の皇子達を討伐したことで知られます。
特に、三韓征伐に際しては、神功皇后の審神者(さにわ)として、降りた神を判別しました。
そのとき降りたのが、「住吉三神」という、中国・九州地方でも最大の航海の守護神。
「塩土老翁」もまた、航海の神です。
このことと、他にもいろいろな要素が相まって、「塩土老翁」は「武内宿禰」ではないか、という仮説を立てられました。
八幡宮(基本的に八幡社/宮は、応神天皇と神功皇后をお祀りしています)に「塩土老翁」を祀る神社があるのは、不思議ではなくむしろ必然、なのかも知れません。
詳しくは、関氏の著作をお読みください。
その、「鹽竃社」の脇にこんな碑がありました。
「八紘一宇」。
軍国主義にいいように使われてしまいましたが、意味としては「世界は一つ屋根の下」みたいなものです(「八紘」は八方向、「宇」は屋根のことです)。
で、てっきり古い四文字熟語かと思ったら、実は造語なんだそうで(『淮南子』や『列子』から引用した『日本書紀』にある言葉から、田中智學が作ったそうです)。
言葉の力は、多層的な解釈を許容するだけに、なかなか難しいです。
「下中八幡宮」、隣接して押木田公園があります。
冬だからなのか、こちらもなんだか、見通しがいいですねぇ……。
昔、理由はよくわからないのですが、この公園の真ん中に山がありまして。
その頂上からケッタで滑り降りるみたいな遊びをしていたことを思い出します。
結構危なかったです(だからなくなったんじゃないのか?)。
夏の例大祭には屋台が出て、盆踊りや相撲大会も行われる、この学区では一番の大きさの公園です。
近所に駄菓子屋がありまして(「きらくや」といいます……建物はまだありました)、そこでよくたむろっていたものです。
でも、先日の日ノ宮公園もそうですが、暗い部分がなくなってしまっているのが、子供の想像力も奪っているんではないか、と思ってしまいますね……。
ノスタルジーに浸った一日でございました。