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名古屋駅に出かけたので、ちょっとルーツ探索に出かけました。
日之宮(日之宮神社)。
中村区には日ノ宮町という町名がありまして(昔の、日吉村)、そこに鎮座する神社です。名前に「宮」がついてるのに、さらに「神社」をつけるのもどうなんだ、と思いますが、「日之宮神社」とも呼ばれます。
○名古屋市中村区史跡散策コース===>>>
http://www.city.nagoya.jp/nakamura/page/0000001258.html
もと日吉権現といわれ、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社で、秀吉は天文五(1536)年元日、日出づるころ、力強く産声を発したといわれる。
幼名日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところから名付けられたと伝えられる。
ということです。
この辺りで育った人間には、まぁ常識のような話ですな。
神社自体は非常に小さなものですが、何しろ秀吉公縁の神社なので、地元の崇敬も厚いものと思われます。
教育委員会設置の石碑もありました。
日ノ宮神社には公園も設置されておりまして、幼少期にはよく遊んだものです。
ただ、最近の公園って、やけに見通しがいいですよね。
子供が狙われる事件が相次ぎましたから、警戒されてのことなのはわかるんですが。
昔はもっと、「鬱蒼」という言葉が似合うような場所で、小さな日ノ宮神社も何となく暗く、そこはかとない怖さがあった、ような気がします。
神社仏閣はそういった場所でないといかんのではないか、と思います。
公園自体も、もうちょっと危ない遊具があったんではないか、と。
さて、秀吉公は、主君の織田信長公に「猿」とあだ名されたわけですが、その容姿ではなく、「日吉丸」という幼名が原因だったのではないか、という説を誰かが唱えているかもしれません。
私も、先日思いつきました。
「日吉丸」の「日吉」は、「日吉権現」の「日吉」です。
「日吉権現」は「日吉大社」をお招きしたものでしょう(山王鳥居ではないですが)。
そして、神使は、「猿」です。
○「日吉大社」===>>>http://hiyoshitaisha.jp
というわけで、何らかの皮肉を込めてなのか、あるいは都の鬼門封じである「日吉大社」になぞらえてなのか、信長公はそう呼んだのではないでしょうか。
ま、その「比叡山」、焼き討ちしましたけども。