べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日吉東照宮」(滋賀県大津市)〜滋賀巡り(再)

12/2。

日吉大社」の続きですが、「日吉東照宮へ。

 

○こちら===>>>

日吉東照宮 | 日吉大社

 

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とりあえずそちらに向かっていくと、森深い階段が。
どうやら「延暦寺」への登り口のようです……いや、行かない行かない

 

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ケーブルカーの坂本駅の方へ行き、左手に曲がって橋を渡ります。
多分、その橋からの景色。

 

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ちょっと坂道を登ります。
崩れた石灯籠……切ない。

 

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紅葉がまだまだ見ごろでございました。

 

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で、階段を登ったあたりに出ちゃいました……これ、本当は下から登ってくるんですよね……。
とりあえずご参拝。
金土日祝日は、殿内の拝観ができる、ということで、御朱印をお願いしてまずは中に入らせていただきました。

 

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正面ではなく、側面からの写真です。
言葉はいらない感じですよね……。

 

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もうちょっと奥、本殿の辺り。

 

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……覆った方がいいんじゃなかろうか……いずれまた色褪せていくのでしょうけれど、こうして陽光の下で拝見できるのはとてもありがたい。

 

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拝殿の妻部分。
唐破風部分というべきか、向拝というべきか。
葵の御紋もしっかりあります。

 

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紅葉美し。

 

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あ、これが全景です。
この中に入れるんですよ、是非ともご照覧あれ。
……ちょっと恐れ多くて、写真はこれだけです、はい。

 

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さて……琵琶湖も望める高台から、降りますか……。

 

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これが先ほど通ってきたところです。

 

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とりあえず振り返ってみましたが、社殿はまったく見えませぬ……。

 

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その先は緩やかな石段でした……また振り返ってみますが、やっぱり社殿は見えず。


……あれ、もっと写真があると思ったのに……殿内の写真はさすがに撮影できず。
権現造がわかるような写真があったような気がしたんですけれども……うーん……いろいろ抜けているなぁ……再訪します。

いただいた由緒書によれば、

 

「御祭神は三柱で、中央に徳川家康公・向かって右側に日吉大神・向かって左側に摩多羅神が祀られている。明治の御世に到るまで延暦寺の管轄下にあったが神仏分離令が出されるとともに日吉大社の管轄となり、明治九年(一八七六)に末社に制定された。

東照宮造営の経過としては、元和二年(一六一六)徳川家康公の没後、その遺命により静岡久能山に祀られ、一年後には日光に祀られている。現在見られる様な本殿と拝殿を石の間で繋ぐ、いわゆる「権現造り」の発祥はここ日吉東照宮といわれている。
徳川三代将軍家光公上洛の途次に比叡山天台宗の大僧正天海上人に命じて考えさせた権現造りは、石の間が数段低く設計され、祭典奉仕者が将軍に背を向けて奉仕をしても非礼にならないように配慮されている。日光東照宮の様に本殿・石の間・拝殿・向拝が一体ではなく、拝殿から本殿に伸びる梁が本殿まで達しておらず軒下で止まっている等、本殿と拝殿をいかに繋ぐかを苦心した跡が伺える。
日吉東照宮は元和九年に造営され、その後僅かの歳月にもかかわらず、寛永年間に再建着工(現社殿)し、同十一年(一六三四)七月には勅使を迎えて盛大に正遷座が斎行されている事を鑑みても、当宮が日光の雛形といわれる理由である。
大正六年(一九一七)に東照宮社殿が国の特別保護建造物となり、昭和四年(一九二九)に国宝、同二十五年に重要文化財に指定、同三十一年には唐門と透塀が追加指定された。東照宮橋(権現橋)は昭和十年に水害のため流失した。」

 

ということで、「日光東照宮」の雛型となった、と伝えられています。

そういえば「日光」も行ってないなぁ……前に行ったときは修繕中だったし、今は陽明門が修繕中だし……もうちょっと年取ってから、また行きたいですね。

それより、

 

「向かって左側に摩多羅神が祀られている。」

 

↑これが気になるんですが……ひとまず心のうちに収めます。

 

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御朱印はこちら。

 

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というわけで、大鳥居(山王鳥居ではないのです)まで戻ってきました〜。

いや、紅葉も含めて堪能したのですが、どうにも写真に不備があり……お腹の調子が悪かったので、ということにしていただきたい……。

次は是非、宿をどこかにとってたっぷり「延暦寺」を回ってみたいものです。

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その5)〜滋賀巡り(再)

さて。

 

○こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その2)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その3)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その4)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回までの記事です。
ここから、境内を出ていくわけです。

 

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というわけで、本家本場の山王鳥居。

うーん、美しい……。

紅葉の時期、やや曇りですが天気にも恵まれました。

有難や有難や。

 

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参道向かって右側の石灯籠。

結構な大きさ。

 

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やや離れて山王鳥居。

 

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こちら、参道向かって左側の石灯籠。

 

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「猿塚」。
「神猿」さんが神去られると、葬られるそうです。

 

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さらに離れて山王鳥居。

 

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もっと離れて山王鳥居(しつこい)。

 

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走井橋のそばにある、「走井祓殿社」。

御祭神は「祓戸大神」四柱です。

 

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……うん……これが大宮橋、のはずです(記憶力が)。

 

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こちらが走井橋、だったはずです。
橋よりも松が気になって……松なのか?

 

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大宮橋、別アングル。

 

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「大宮橋は、西本宮(大宮)へ向かう参道の大宮川にかかる花崗岩製の石造反橋ですが、木造橋の形式をそのまま用いています。
(略)
両側に格座間を彫り抜いた高欄をつけるなど、日吉三橋のうちでも最も手が込んでおり、豪壮雄大な構造の、代表的な石造桁橋です。
天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。」

 

なるほど、最初に見た二宮橋と造りは似ているが、より豪華、ということですか。
ちゃんと写真に撮っておけば……。

 

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大宮橋から、山王鳥居。
ちょっと太陽が雲に隠れてしまいましたが、素敵なカーブ。

 

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そこからしばらく行きまして、「求法寺走井堂」というお寺があります。
案内板が二つあります。

 

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「求法寺走井元三大師堂(略)
求法寺は、延暦寺登山口の本坂脇に位置する。由緒には、第十八世天台座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が、初登山の時ここで入山修行の決意を固めたことから求法寺と称されたとある。
この建物は、元気二年(一五七一)に消失の後、正徳四年(一七一四)に上棟されたものである。平面は、元三大師を祀る正堂(内陣)前面に、参詣の場である礼堂(外陣)が接続し凸型になっている。正堂は間口三間、奥行き三間、屋根は入母屋造である。礼堂は間口五間、奥行き三間で、中央部の三間×一間を内陣に取り込み、屋根は入母屋造、正面に軒唐破風を付け、全体を杮葺とする。
走井元三大師堂は、建築年次が明確な江戸時代中期の建築である。礼堂は、内部を広くするため柱を省略し、虹梁、太瓶束にするなど、豪快な架構は近世の社寺建築のなかでも技術的に優れている。これは近くの西教寺本堂(重要文化財:一七三九年建立)にも共通する流派的特色で、棟梁中島次郎左衛門の技量のほどが良くうかがわれる。」

 

もう一つの案内は、

 

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「厄除け大師 おみくじ大師 求法寺走井堂

本尊 元三大師(慈恵大師良源大僧正)重要文化財
脇仏 如意輪観音、三十三所観音、不動明王ほか
由緒
当堂はもと第四世天台座主安恵和尚(八〇一〜八六四)の里坊として創建された。のち比叡山中興の祖である第十八世慈恵大師良源大僧正(九一二〜九八五)が、若き十二才のころ、比叡山への入山修行の決意を固められた浄域であるところから「求法寺」と名づけられた。また古来より波止土濃(橋殿)又は走井の地名に因んで本堂を「走井堂」と称している。本尊はご自作と伝える元三大師尊像(秘仏)であり、観音菩薩の化身としてその霊験は誠にあらたかである。

祈りなば 願ひも三つの橋殿や
寺の渡りぞ 弘誓なるらん」

 

となっています(下のほうは、「延暦寺」が建てたものっぽいです)。

 

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お寺の常として、簡単に内部を撮影するわけには参りませんので、特徴的な石灯籠を。

実は、お賽銭箱の向こう側に、書置きの御朱印があったのですが、お金を入れて勝手に持ち出していいものかわからなかったもので、次の機会にしよう、と思いました。

 

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こちらは「六角地蔵堂」。
日吉大社」の境内の外、になりますが。
……石柱の文字が今ひとつ読めません。

八角のお堂はよく見ますが、六角形は……あれ、結構あるのかな。

 

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「子育て地蔵 早尾地蔵尊(六角地蔵堂)
本尊は比叡山の開祖田兄弟誌最澄上人ご自作の石地蔵尊と伝え、坂本六地蔵淵源の地であります。
この地蔵尊は変じて真盛上人(西教寺開山)として現れ、入寂の後に再び地蔵尊に復されたという霊験あらたかな尊像であり、伝教大師が童子養育に心を注がれながら彫まれたので「子育て地蔵」とも呼ばれています。

伝教の彫みおかれし石地蔵 
姿を変えて出ずる真盛」

 

延暦寺」関係のお堂……うーん、まだ「比叡山延暦寺」には行っていないのですよね……「園城寺三井寺)」、「日吉大社」と行きましたので、2017年は「延暦寺」に行こうと思っていますが……いろいろと事情が許すのか……。

 

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こちらの階段を登りますと、

 

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「早尾神社」です。
修復中。
残念。

 

と、いうわけで「日吉大社」ぐるっと一周してみました。

文献引用等はまたの機会にしまして、次回は「日吉大社」から徒歩で10分ほどの「日吉東照宮」に向かいたいと思います〜。

 

 

あ、そうだ、御朱印帳の柄をご紹介。

 

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紅葉の季節が似合うのでしょうか。

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その4)〜滋賀巡り(再)

さて。

 

○こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その2)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その3)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

「西本宮」近くまでやってきました。
近くに磐境らしきものがありまして、

 

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こちらは「祇園石」。
祇園の神様が降り立つ霊石」だそうです。
「社伝では、岩の窪みに溜まる水は目に良く効く」そうです。

 

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こちらは、「春日岡 九座の霊石」とあります。

 

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こちら、「大威徳石」。
読みづらいですが、「仏法守護の五大尊明王である大威徳明王がほにゃららと「伝えられて」いるそうです。
普通に考えれば、ご降臨されたのでしょうが……何と言いますか、霊石ひとつとっても、神仏習合色が強いです。

 

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こちら、「西本宮」楼門。

 

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一気に拝殿。

 

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「この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、檜皮葺、妻入りの建物です。
柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正十四(一五八六)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和三九(一九六四)年五月に重要文化財に指定されました。」

 

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拝殿から「宇佐宮」方向を。
木が高いですね……。

 

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本殿。

 

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「この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名聖帝造ともいい、全国では、日吉大社にだけみられる特殊な構造です。つまり、三間・二間の身舎の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、縁高欄がまわりをめぐっています。
天正十四(一五八六)年に復興されたものですが、慶長二(一五九七)年に改造されています。
昭和三六(一九六一)年に国宝に指定されました。」

 

またしても国宝……こんな身近で……いや、本当にありがたいのですが、気をつけていただきたいものです。

 

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本殿の狛犬さん……反対側は、工事の為近づけず。
「西本宮」境内も、立ち入り禁止の場所がいくつかありまして……写真は少なめとなっております。
うん、残念。

 

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高い木だ……。

 

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「西本宮」前の道を奥へと進むと、「日吉山荘」というのがあるそうです。
昭和レトロな雰囲気が漂っております……が、夏場だけなのか、それとも修繕中なのか。
この看板は、是非とも残していただきたい。

 

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この左のやつは、橋なのでしょうか……誰か落としましたか。

 

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楼門を別の角度から。

 

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楼門付近から、参道を。
工事の方の……なのかな……テントがちょっと残念。

 

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楼門の案内板もあり。
後ろには巨大な猿の絵馬が(多分「御年神」なのでしょう)。

 

「楼門とは、二階建で階上に縁があり、屋根は上の一つしかない形式の門のことです。
西本宮楼門は、東本宮楼門と同様、三間一戸(戸とは出入口のこと)、入母屋造、桧皮葺の建物です。東本宮楼門と比べると、規模は大きく、壮麗です。木部は丹塗を主としたもので、上下の釣り合いがよく、樹の縁によく映えます。四隅には猿の彫刻、前後に極彩色の蟇股があります。
確実な資料はまだ発見されていませんが、天正十四(一五八六)年に造営されたものではないかと推定されています。
大正六年四月五日に国の指定文化財となりました。」

 

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四隅のお猿さんは……残念ながらはっきり写らず(諦めました)。

 

こちら、「西本宮」楼門内にある授与所で、御朱印をいただきました。

朱印帳も購入したのですが、最初、何も考えずに書いていただいて、張り紙に気づき、「七社全部のもいただけるのですか?」と訊ねると、一瞬神職さんの手がとまり、

 

「最初から押されている御朱印帳もあるのですが……」

 

と。

それもいただこうか、と思ったのですが、「ちょっと時間かかりますけど」と、全て書いていただいてしまいました……下調べ、重要ですからみなさん

 

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紅葉。

 

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「西本宮」を振り返り。

 

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諦めきれない、「宇佐宮」の参道と紅葉。

 

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あらためて、「白山宮」の参道。

 

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そこから参道を戻っていきますと、「神猿」さんがおられました。
見えませんね……はい、すみません。

 

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「神馬舎」も。
こちらは像ですけれども。

 

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……本当に、今回はどうしたのだか……神社名がさっぱり読めない反射具合……本当申し訳ないというか、改めて行かないと……。

 

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その隣に、「子安子立社」がありました。

 

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社務所辺りを振り返ってみました。

 

御朱印は次の通りです。

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それでは、今回はここまでで〜。

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その3)〜滋賀巡り(再)

さて。

 

○こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その2)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回の続きより。

神輿収蔵庫を過ぎまして、「西本宮」に向かいます。

 

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まず見えてくるのがこちら。

 

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……相変わらずよく見えませんが、額からすると、「恵毘須社」のようです。
はて、そんなお社あったかな……。

 

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階段の先には、

 

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こちら「白山宮」。

 

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狛犬さん、

 

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たら狛犬さん。

 

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脇には井戸か、磐境か。

 

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日吉大社摂社白山姫神社本殿(略)
この本殿は、三間社流造、檜皮葺の建物で、三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室となっています。
この本殿と樹下神社本殿とは、ほぼ同形式となっていますが、装飾金具が少なく簡素な造りで地味な落ち着いた中にも、各部の意匠に意を配った建物です。また、向拝は一間で浜床付き、前室の正面は蔀戸となっています。
慶長三(一五九八)年に建てられました。
明治三九(一九〇六)年四月に国の重要文化財に指定されました。」

 

なるほど、前回見た「樹下宮」と同じような造りになっているわけですね。

 

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うーん、確かにちょっと簡素ですが、懸魚っていうんでしょうか、緑青な感じがアクセントになっていて、とても好ましいかと。

 

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脇の社から。

 

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向かって右から「天神社」。

 

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「八坂社」。

 

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「小白山社」。

 

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ちょっと立派なこちらは……何故、何故読めんアングルばかりなんだ……申し訳ない。

 

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正面からはこんな感じ。
背の順。

 

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「白山宮」には拝殿もあります。

 

「この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間)、一重入母屋造、妻入り、檜皮葺の建物です。
四方の柱間は、四方とも開け放し(吹放し)で、回り縁には高欄が付き、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連格子(狐格子)となっています。
慶長三(一五九八)年に本殿と共に建てられたものです。
昭和三九(一九六四)年五月に国の重要文化財に指定されました。」

 

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こちら正面。
「東本宮」の拝殿と同じような造りですが、高さがありませんかね。

 

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そこから、光の射す方へ……右手は石垣です……。

 

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行きついて振り返ると、拝殿が正面に。
こちらが正面参道のようです。

 

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石垣の上には、校倉造っぽい建物が。

 

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こちらは「西本宮」方向。
朱塗り灯篭の連続性、木々の連続性……美し。

 

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「白山宮」の隣には「宇佐宮」があるのですが……工事中。

 

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正面から。
残念。

ちょっと短めにここまで〜。

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その2)〜滋賀巡り(再)

さて。

 

○こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回の続きです。

 

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「竃殿社」。

御祭神は「奥津彦神」「奥津姫神」となっています。
大山咋神」と同様、「御年神」の御子神ですね。

 

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こちら、拝殿です。
おそらく、朝一番に参拝したためか、神職のみなさんがお勤めされているところに遭遇しました(さすがに写真には撮れません)。

 

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「拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、桧皮葺、妻入の建物です。
四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。
「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。
昭和三十九年五月二十九日に国の指定文化財となりました。」

 

最初神楽殿かと思いました。
幣殿の役割も兼ねているのでしょうか。

 

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横から。

 

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左前方から。
天井の格子が見えます。

 

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こちら「樹下若宮」。
見事に御祭神が隠れていますね……また調べます。

 

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多羅葉、という木です。

 

○こちら===>>>

新近江名所圖会 第14回 タラヨウ-日吉大社東本宮- | 公益財団法人滋賀県文化財保護協会

 

↑素敵サイトで解説がされています。
案内板をきちんと撮影してこないから、思い出せなくなるわけですが……普段ならきちんと撮影してくるんですけれども。

 

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こちら「樹下宮」。

 

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御祭神は「鴨玉依姫神」で、「大山咋神」の妻とされています。
神話上「玉依姫」というかたはたくさんいらっしゃって、普通名詞に近いものだったと考えられます(「タマヨリ」は、「魂を寄せる」というような意味なので、シャーマン的存在だったのでしょうか)。
ですので、あえて「鴨」と冠して、「上賀茂神社」の御祭神「賀茂別雷神」の母神であることを示しています。
「床下には霊泉湧き出る井戸がある」そうです。

 

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「この本殿は、三間社流造、檜皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室となっています。
数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造と共通した方式であることや向拝階段前に吹寄格子の障壁をたてているのは、この本殿の特色となっています。
文禄四(一五九五)年に建てられたことが墨書銘によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子や破風、懸魚などに打った飾り金具は豪華なものです。
明治三十九(一九〇六)年四月に国の重要文化財に指定されました。」

 

そもそも本殿をこんな近くで拝見できるというのもありがたい話です。

 

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「樹下宮」の狛犬さん。

 

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たら狛犬さん。

 

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こちらは……また御祭神も社名も見えない、という……うーん……すみません。

 

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楼門を内側から。
ちょっと曇ってきました。

 

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「樹下宮」と紅葉。

 

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「樹下宮」と拝殿。
「樹下宮」の大きさがお分かりになるかと思います。
これが近くから拝見できるわけで、ありがたいありがたい。

 

楼門を出まして、右手に向かっていきますと、

 

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「牛尾宮」と「三宮宮」の遥拝所があります。
こちらの二社は、八王子山という山にありまして、距離にして1キロ、片道約30分という道のり……ええ、行こうと思いました、思いましたとも……ただ体が言うことを聞かず……。
「牛尾宮」は「大山咋神荒魂」、「三宮宮」は「鴨玉依姫荒魂」となっています。

 

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「牛尾宮」遥拝所あたりから、「東本宮」の楼門を振り返りますと、こんな感じ。

 

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「延元元年五月(皇紀一九九六年西暦一三三六年)後醍醐天皇足利尊氏の東上によりて再び延暦寺に遷幸
十月九日皇太子に恒良親王を冊立
同日深夜新田小太郎義貞は累代の重宝鬼切の太刀を當社に献し戦勝を祈請して表記の願文を奉呈す
翌十月十日巳刻 主上は七百餘騎を従へ京都へ還幸
皇太子は義貞父子を始め七千餘騎が奉護して戸津を北へ敦賀に行啓なる(以下略)」

 

どうやらかつての国宝である権現橋の一部のようです。
新田義貞」の願文が、この裏側に刻まれているのですが……写真を忘れております……いかんな、今回はひどい……これはまた、いずれ行かなければいけないということでしょうか。

 

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こちらは神輿収蔵庫。

「山王神輿七基
全国神輿のルーツが山王神輿である事は有名で平安の昔桓武天皇が日吉大神に寄進されたに始まる 又僧兵の強訴でも有名で平安から室町にわたる三百七十余年の間に四十数回の上洛強訴が行われた 重量五百貫(二トン)の神輿を海抜八五〇メートルの日枝山をかつぎ越えて入洛したエネルギーは想像を絶するものである
平安時代の神輿は元亀の乱で焼失した 現存のものは桃山時代の作で重要文化財に指定されている
日吉大社には神輿が十四基現存する」

 

中の様子を撮影することはできなかったのですが(禁止だったのか、恐れ多かったのかは思い出せません)、

 

○こちら===>>>

山王祭 | 日吉大社

 

↑公式HPの「山王祭」などのページをご参照ください。

 

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神輿収蔵庫近くの紅葉。

 

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神輿収蔵庫から、「東本宮」方面を振り返ってみました。

本日はここまで〜。

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再)

12/2。

突如、「はっ、明日有給を取りたい!」と思い立った前日、職場で許可を取り、早朝から滋賀方面へ。

今年の干支は今年のうちに……ではないですが、申年のうちに行くべし、と思っていた日吉大社へ向かいました。

 

○こちら===>>>

日吉大社 | 平安京の表鬼門鎮座 方除・厄除の大社 神仏霊場 滋賀県17番

 

家を出たのが午前6時前、でしょうか。
日吉大社」入り口に到着したのは8時過ぎ頃だったかと思います。
…。
……。
………。
…………。

 

さすがに早すぎて、係の人もいやしねぇ……。

 

というわけで、しばらく付近の風景を愛でていました。

ナビに案内された駐車場の近くには、二宮橋があります。

 

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日吉大社日吉三橋 二宮橋 一基

二宮橋は、東本宮(二宮)へ向かう参道の、大宮川にかかる花崗岩製の石造反橋ですが、木造橋の形式によって造られたものです。
川の中に十二本の円柱の橋脚をたて、その上に三列の桁をおき、桁上に継ぎ材をならべ橋板を渡し、両側に高欄をつけています。
(略)
天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。」

 

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こんな感じで、橋より紅葉に目がいってますね……。

 

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うん、ピンボケ。

 

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参拝マップがありました。

東受付で駐車場代なぞを支払い、どうやら最初に「東本宮」を目指すことになりそうです。

 

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その途中にある「氏神神社」。
いかん、油断していて全然解説が読めない大きさだった……。

 

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こちらは「氏永社」。
うーん……解説が見つからない……。

 

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また紅葉。

 

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こちらは神社名が隠れていますが、「八柱の神」と見えますので、「八王子社」でしょうか(「日吉大社」の呼び名があった気がします)。

 

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「東本宮」の楼門。
ゆるやかな坂道になっています。

 

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石灯籠。

 

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「巌滝社」。
御祭神は「市岐島姫神」と「滝津島姫神」。
……普通は「宗像三女神」か「市杵島比売命」単体でお祀りされることが多いのですが。
何か理由があってこうなっているのでしょうか。

 

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楼門付近から、「二宮橋」の方を。

朝早く、天気もよかったので、なかなか神秘的な……ちょっと遠いな橋が。

 

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「須賀社」。
御祭神は「素盞嗚神奇魂」となっていますね。

 

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楼門。

 

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楼門……なぜ暗い……。

 

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「東本宮」本殿。
画角がとれなくて……全然写ってませんけれども。

 

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日吉大社東本宮本殿
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造といい、三間・二間の身舎の全面、両側面の三方に廂がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にのみ現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文禄四(一五九五)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和三六(一九六一)年四月に国宝に指定されました。」

 

国宝……にこんな簡単に近寄れる、ということがいいのか悪いのか。
昨今は物騒な輩がいますからね、注意していただきたいと思います。

 

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「東本宮」本殿の狛犬さん。

 

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たら狛犬さん。
木造ですね。
なんともやわらかな造形です。

 

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おっと、全景がありました。
なるほど、三方向の廂が作り出す水平の広がりと、前方の廂と階段が作り出す前後方向の奥行きが……と書き始めましたが、そんなものを描写する能力は私にはないのでした。
ちょっとずつバランスを崩しているような感じがいいんでしょうか。

 

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……全然解説が見えない……社名とかが書いた板があるんですけれどね、ここまで影になっているとは。
位置的には「樹下若宮」だと思うのですが……あ、「新物忌神社」かも。

 

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そのお隣の井戸。
何か解説があったはずなんですが……超余裕で時間をとって訪れたのにこの体たらく……多分お腹が痛かったんだと思います(?)。

 

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「東本宮」本殿を、向かって左側から。
垂木の連続性……。

 

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狛犬さんを後ろから。

 

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葵が植わっている……という場所だったと思います(おいおい)。

 

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本殿裏手に、「大物忌神社」が鎮座まします。

 

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「御祭神 大年神
(略)
東本宮の御祭神である、大山咋神の父神様をお祀りしています。
お猿さんの顔をされた神様で、そのお姿は、山王曼荼羅にも描かれています。」

 

「お猿さんの顔をされた神様」

 

……え、そうだったの?

そんな話は聞いたことないので、「日吉大社」の伝承なのでしょう。
地域の習俗として「年神様」というのがありますが、似たような神性だと考えられていますね。
季節の移り変わりとサイクルを「一年」と捉える、というのは古代以前からあったと思われますので、「年を更新する」という意味でお祀りされたのでしょう。
時間の概念理解はともかく、繰り返される似たような季節の事象を説明するための「年」で、それがつつがなく繰り返されるのは「年神」のおかげだ、という感じでしょうか(後付けの解釈です)。
穀物と関連づけられるのは、年を更新するもっとも重要な理由が収穫だったから、ということでしょう。
「年神様」と「大年神」、どちらが起源なのかはもうよくわかりませんけれど。

 

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なお、「早尾神社」は社殿修復中なので、御祭神にはこちらにお遷りいただいているそうです(2016/12/2現在)。
御祭神は「須佐之男命」です。
どうやら「日吉大社延暦寺の門番の神」だそうで……自分の子孫(「大山咋神」)が「日吉大社」の御祭神だから、なのでしょうか。

 

○こちら===>>>

鳥海山大物忌神社 HomePage

 

↑「大物忌神社」といったら、こちらがすぐに思い浮かびますよね。
いつか行ってみたいなぁ……。

 

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横から。

 

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「稲荷社」。
なんかいきなり小さくなっちゃいましたが……「倉稲魂神」は、「大年神」の父神とされています。
「東本宮」には「須佐之男命」の神統に属する神がたくさんいらっしゃる、ということですね。

 

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本殿を後方から。
確かに三間が一段高くなっています。
安土桃山以前から、この状態だったのでしょうか……。

 

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もうちょっと寄ってみました。
左右に伸びた廂の分、後ろから見ると屋根の描く曲線が面白い感じですね。

 

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本殿向かって右側にある「梛」。
こちらは「雌梛」だったかと。

 

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本殿ぐるりと一周しまして、狛犬さんを後ろから。

初回はこの辺りまでで〜。

 

 

 

近況

2/25。

日吉大社」の記事を、といいながら近況を。
ひさびさに「南宮大社」に行ってきました。

 

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また記事は書くつもりです。
御朱印の写真はありませんが、どうやら現在「南宮大社」では、美濃国二宮、三宮、総鎮守の御朱印もいただけるようです。
授与所にサンプルが貼ってありました(が、一応ご確認ください)。
南宮大社」しか行けなかったので、他の御朱印はいただいておりませんが、興味のあるかたは是非(御朱印情報ということで、カテゴリー「御朱印」をつけてあります)。

 

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天気がよくて、瓦塚の写真ばかりとっていた気がします。

 

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本命は「御首神社」。
私、神社仏閣巡りは好きなのですが、特に祈願はしません(自分のこと)。
ご挨拶程度で。
今回は、周辺でいろいろありまして……『攻殻機動隊』風に言うと、「お脳がチクっとしますね〜(脳自体に痛覚はない)」という感じでしょうか(?)。
参拝して、お守りをいただいてきました。

 

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せっかく岐阜まで行ったので、「金神社」に。
母方の実家が岐阜なので、子供の頃はよく出かけた辺りにこんな神社があろうとは……。

 

胃腸風邪からこっち、お腹の調子が悪いです。
ま、実は年中悪いので、胃腸風邪の影響かどうかはわかりませんが。
花粉も飛び始めております、みなさまご自愛のほどを。

 

次こそ「日吉大社」の記事を書き始め……ます。