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現実時間に完全に追いつかれつつあります……がともかく、昨年3月です。
ちょっと遠いところを目指そう、と思って家を出たのですが、時間的に寄れるかな、と思い「敢國神社」へ。
◯こちら===>>>
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「敢国神社」 - べにーのGinger Booker Club
↑以前の記事です。
……なんか、自販機が主役の写真にしか見えませんが、社標を撮りました。
表参道途中の「市杵島神社」。
案内図。
鳥居から。
扁額……読めない……。
手水鉢。
拝殿前から、鳥居方向を。
絵になる神社だったことを思い出しました。
拝殿。
拝殿の扁額。
そうか、社紋は菊なんですね。
前も撮影しましたが、星と月の灯篭。
桃太郎岩。
釣瓶。
何だか懐かしかったので(いや、使ったことないです……井戸は、ポンプなら使ったかな……)。
狛犬さんたら、
狛犬さん。
マッチョ系ですね。
拝殿への階段。
連続性の美しさ。
角ばった、シンプルな石灯籠は案外珍しいかな、と。
裏参道から拝殿方向。
「大石社」。
「御祭神 須佐男命 金山比古命 大山祇命 大日孁命 大物主命
一宮敢國神社の末社として鎮座創立年代は未詳である 一之宮より中瀬字寺田に至る道路の左傍に大池あり 池の東方山麓に岩石ありてこれを黒岩といふ 大石の社名はこの岩石よりつけられしものであらう 大石社独立時代の祭神は文献なく知る由もない 明治四十三年三重県の指令により村内にある津島神社と琴平社を大石社に合祀した 社殿は明治四十四年の暴風雨により倒潰したが大正二年に再建された
津島神社は元村社で当時来迎寺の南五十米のところ(現在民有地の畑)に鎮座され境内も広く大鳥居御社殿参集殿など建立されていた 尚愛知県津島市に鎮座する本宮津島神社を崇敬する人々が徳川時代中期より津島講を結成しその講員は来迎寺の檀家衆及び敢國神社の氏子によつてその年長者より十一名と定められその活動を現在も存続している
琴平社は妙慶寺東百五十米東山の上平池に鎮座され、津島神社と同じやうに鳥居御社殿参集殿なども建立されていたが両社ともその思影は殆ど見当たらない 香川県のこんぴらさんを崇敬する妙慶寺住職を始め九人の講員が現在講を持続している(略)」
なるほど、謎だと思っていましたが、廃仏毀釈とそのあとの神社整理の結果、こちらにいらっしゃることになりましたか。
「黒岩」と呼ばれていた岩だったのに、社名は「大石」かぁ……何かありそうな気もしますが、たどれますまい。
「津島神社」は、もちろん「牛頭天王」だったので目をつけられたのでしょう。
謎のしゃちほこ、健在でした。
句碑……読めない……。
御朱印。
一宮だというのに、あまり参拝者がおらず、いいところだな……と前回も思いました。
境内の構成が不思議な感じになっていますが、これがいつからなのか……まあ昔からだと思いますが、引用などあれば次回に〜。