べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「石作神社神明宮」(江南市)

11/3。

すでに神社仏閣巡りより、BABYMETALさんたちに重心移動しています。

毎週のようにあちこち行こう、と思っていた頃が嘘のようです……が、尾張再発掘、のためにも江南市に行ってみました。

事前情報なしでうろうろしてしまい、コインパーキングもそれほどなく、どうしたものか……結局江南駅前に駐車して、ぶらっと「石作神社神明宮」へ。

 

……公式ページはない、と。

江南市による紹介もない、と。

 

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参道正面。

 

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鳥居から参道。

 

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蕃塀さん発見。

謎の玉……と思ったら百度石でした。

 

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狛犬さん。

天気いいなぁ……。

 

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楽殿。かな。

 

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狛犬さん。

 

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狛犬さん。

狛犬さんたくさんです……あちこちから集まってきたのかな。

 

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拝殿。

 

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回り込んでの本殿。

社殿の配置は尾張造っぽいです。

 

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灯篭はお稲荷さん。

 

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こちらは秋葉山

 

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境内摂社。

 

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遠景。

 

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さらに遠景。

 

おお……摂社が何神社なのか、至近距離で撮影していない……なんてこったい。

 

……というわけで、文献などを検索してみましたがうまく引っかからず……尾張国式内社に「石作神社」は4箇所ありまして(確か)、山田郡のは長久手のものでほぼ確定のようです。

 

◯こちら===>>>

「石作神社」(長久手市) - べにーのGinger Booker Club

「石作神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

「石作神社」(再)(長久手市)〜高速初詣その2〜 - べにーのGinger Booker Club

 


で、『尾張国神社考』(原題「尾張神名帳集説本之訂考」、津田正生、ブックショップ「マイタウン」発行)で、丹羽郡の「石作神社」の項を見てみますと、

 

従三位石作神社天神 この神社不詳 [府志云]石作の二字は疑らしい石枕の誤歟と [正生考]郡内に石枕、石佛の村名あり。神名帳の誤字なるべし。」(p63)

 

とありまして……あ、『張州府志』か、確認してなかった……ていうか、丹羽郡のところを全然探してないのかな……。

まあ、ともかく、尾張国に、4つ「石作神社」があったらしい、のですが、なんで尾張国に4つも固まっていたんでしょうね……といういつもの疑問に逆戻りです。

あ、実際「石作神社神明宮」の付近の地名は「石枕」です……「延喜式」が本当に「石枕」の書き間違いだとして、だったら神社名は「石枕神社」のままじゃないかなぁ……と思うのですよね、地元では。

まあ、「延喜式」を訂正してください、ということにはなかなかならないでしょうけれども(だいたい、どのくらいの人間が「延喜式」を知っていたのか、という話で)、だったら一層、地元では「石枕神社」のままで通っていたような気がします。

それを、近世になって神社名を「石作神社」にしたのか、やっぱり元々「石作神社」だったのか……。


あとは郷土史家のかたにおまかせしましょうか……。

「針綱神社」「三光稲荷神社」「猿田彦神社」(再)

10/7。

やっと10月……ふと、犬山城へ(聖地巡礼的に)出かけたものですから、

 

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◯こちら===>>>

近況〜聖地巡礼的な? - べにーのDoc Hack

 

「針綱神社」へ。

 

◯こちら===>>>

「針綱神社」 - べにーのGinger Booker Club

「三光稲荷神社」 - べにーのGinger Booker Club

「犬山神社」 - べにーのGinger Booker Club


↑以前の記事です。

 

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鳥居。

 

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犬山成田山」。

 

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拝殿。

 

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神馬。

 

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天神様と小さい狛犬さん。

 

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狛犬さん。

 

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秋葉神社」。

 

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狛犬さん。

拘束されているわけではナッシン。

 

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神橋。

 

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狛犬さん。

 

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三光稲荷神社」。

 

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拝殿とおキツネさま。

 

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蟇股部分にも「三光」。

 

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おキツネさま。

紅白。

 

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猿田彦神社」。

 

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おキツネさま。

紅白。

 

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再びの、私に全く関係のない映えスポット。

 

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御朱印

 

 

 

……おっと、写真だけかい、と思われたかもしれませんが、たまにはね。

「大縣神社」「田縣神社」(再)

9/30。
天気はそれほどよくはなかったのですが、そういえばご挨拶にいっていないな、と思い、大縣神社」「田縣神社へ。

 

◯こちら===>>>

「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club

「田縣神社」 - べにーのGinger Booker Club



↑以前の記事です。

 

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大縣神社」から。

 

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「大国恵比須神社」。

 

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狛犬さん。

 

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「姫之宮」の本殿。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

 

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社務所前より。

……肝心の本社拝殿の写真がない、と。

どうしてだっけな……。

 

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続いて「田縣神社」。

 

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拝殿。

修繕が終わり、屋根はすっかり赤銅色ではなくなっておりますね……。

 

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鈴まで……。

 

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狛犬さん。

 

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「珍宝窟」。

 

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社務所より。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑「大縣神社」のほうは引用していなかったので、『尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

349ページです。

 

大縣神社
二ノ宮村にあり。俗に二之宮大明神と稱す。[延喜神名式]に大縣神社 名神大。 と見え、[本国帳]に正一位大縣大明神としるせり。垂仁天皇二十七年の御鎮座にて、天武天皇朱鳥元年、勅して再建し給ひ、清和天皇貞観元年、御修理あり。其後星霜を経て、永正元年回禄にかかり烏有となりしを、同十五年織田弾正左衛門平久長再建し、やや旧貫に復しぬ。然ありしより神威昭々として、諸人の崇敬他に異なるの官社たり。
続日本後紀]に曰く、承和十四年十一月癸亥朔癸酉。奉授尾張国無位大縣天神従五位下。[文徳実録]に曰く、仁寿元年十一月辛巳。詔以尾張国大縣神列於官社。同三年五月辛亥。尾張国無位 一本従五位下。 大縣神授従四位下。[三代実録]に曰く、貞観元年二月十七日癸卯。授尾張国従四位下大縣神従四位上。同月十九日乙巳。遣正五位下守右中辨兼行式部少輔大枝朝臣音人。向尾張国大縣神社。奉神位記財宝。同十五年八月十三日乙巳。授尾張国従四位上大縣神正四位下
本社 祭神 国狭槌尊・活目入彦五十狭天皇国常立尊豊斟渟尊を合せまつれり。
瑞牆 廻廊 祭文殿 拝殿 舞殿 御供所 御井 祭庫 鳥居。
別宮三名神社 本社の東山上にあり。祭神豊斟渟尊。[本国帳]に正一位名神と見えたり。[同書]に従三位田宮天神とあるも、当社の摂社たりしが、中世廃して旧址のみ存せり。
末社神明社 本社の西にあり。 祭神天照皇大神宮
戸坂若宮社 同所にあり。祭神景行天皇
多賀社 同所にあり。祭神伊弉冊尊
中宮社 同所にあり。祭神天御中主尊
弁財天四社 同所西のかたにあり。
毘沙門社 本社の東にあり。
大黒社 同所にあり。
白山社 同所にあり。祭神菊理姫命。
瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命
神宮寺社 同所にあり。
妙見社 同所にあり。祭神建稲種命
伽藍祭社 同所にあり。
例祭 八月朔日。児山一輌・人形山二輌を出す。九月九日。流鏑馬并笹踊等あり。当社は古より大社にして、年中の祭事多かる中に、田打祭・清祓烏喰神事・祈年祭新嘗祭・大和舞・鎮座祭・奏楽・傘廻等ことに大祭なりしが、今悉く廃絶して、近村に供祭田等の旧号あまた字のみ残れり。
(略)
神主 むかしは大荒田命の裔孫爾波縣君司りしが、其末はいかがなりけん。中昔より尾張氏にて重松と称する家代々奉祀す、これ歴仁元年十二月の尾張国諸社神領廳宣に、左衛門尉尾張俊村仮名重松分。一乗寺保三十七町六段云々とある重松氏なり。其外祠官成時氏・元方氏・稲吉氏・常吉氏等数十家、神官・中臈・神楽座・神子数人あり。
(略)
[鹽尻]に、我尾州二の宮は、古盛なりしとき、四至も広く、祭祀もめでたくおこなはれしと見ゆ。大縣宮地打越明神の傍、字針とよぶ地に勅使宿館の跡あり。いにしへ神主の宅地も爰なりとかや。御休といふ地、二の宮と楽田の間、道の北にあり。是祭祀の日、神輿御幸の地なりしよし。夫より西跡に二の鳥居の跡あり。宮地よりここまで五町ばかりなり。これ近四至と見えたり。一の鳥居の跡は青塚にあり。 (略) 是は遠四至にや。此邊に舞台と称ふる田あり。是むかし舞台ありし所といふ。楽田村の名もこれにかなへり。凡楽田のうち、田の字に御供田・直会田・注連切田・燈明田・経田等の名あり。又傘廻田と呼ぶ地あり。古神事に、傘さして付きてまはりし事あり。其米を出しし所といふ。また東方の山岳に西福寺・浄福寺・真蔵寺・不動寺・小西寺など呼ぶ所、いにしへ供僧の役所といふ。小西寺の旧跡塔の壇の名、今のこれり云々。」

 

ふう、ちょっと長め……。

「瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命。」……「瘡」といったら普通「疱瘡神」なのですが、何故に「倉稲魂命」……。

「妙見社 同所にあり。祭神建稲種命。」……これは「内々神社」が妙見信仰と混ざり合っていたからでしょうね。

「伽藍祭社 同所にあり。」……もう謎でしかない。

祭事に関してはほとんど伝承も失われているという様子ですが、そうすると例の「豊年祭」はどうなってたんでしょうね……ますます謎……。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 7 羽栗郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑お久しぶりねの『尾張志』。

23ページです。

 

大縣神社
二宮村にます大縣はオホガタと訓へし 今は二宮大明神と申す (略) 大縣は此地の旧名なれとも二宮という称のおこれるよりうつりて社号にのみ地名を残せり 扨此處は旧事紀に邇波縣と見えたる地にてすなわち爾波縣君祖大荒田命を祭れるにもやあらむ 大荒田命は同紀五巻尾張氏の世系を書る條に十二世孫建稲種命此命は邇波縣君祖大荒田女子玉姫爲妻生二男四女とあるに明し 此事を本国帳集説にも引て本宮座山頂号真神山(略)本州二宮也 按旧事紀曰邇波縣君祖大荒田命云々姓氏録曰倭建尊三世孫大荒田命云々(略)といへり されと阿良多と阿賀多と語近乎といへるはあたらす アラタアガタは元来異なるものをや 又姓氏録なる大荒田命は同名異人なるものをここに並挙たるも縁なし 此大荒田命の荒田といふは当郡の地名なるを負ましし御名なるへし 其地は旧は丹羽郡なりしか今は春日井軍に隷る久保一色村に荒田といふ地あり 又今も当郡なる羽根村の支村にも荒田という郷あり 此両處ともにこの大縣よりいとも遠からぬが久保一色なるはことにまちかくて田縣神社の坐地也 きはめてこれに據れる神名なるへし (略) 今は此祭神を国狭槌尊とそいふなる是は二宮と称するより出たる後のことなり 社説に垂仁天皇二十七年勅建なるよしいひ伝へたるは古く尊し 其後あまた年を経て永正元年消失して旧記神宝も存らすなりぬるはをしむべくなけかしき事也(略)
例祭 正月二日田打祭伽藍祭といふ御酒神饌を備へ神主祝詞をよみ田作りのわざをなす(略)二月八日天王祭をいひ社前に松を植ゑ鳥魚神饌を備へ神膳を徹して後烏を呼て食はしむ俗に烏食祭といふ(略)
摂社 三名神社(略) 神田社(略) 天王社 天道社 山神社 多賀社 倉神社 神明社 戸坂社 弁天社(略) 本宮社 八幡社 熊野社 浅間社 雨宮社 風宮社 西宮社 舞殿王子社 一王子社 多度王子社 高社 美濃国木村高社の遥拝所 鷲岩穴社 なとあり又境外に 打越神社 仲哀天皇を祭るといへりむかし僧正遍照歌をよみて此處にみまかれりといふ説ありとうけかたし 大黒社 毘沙門堂 すべて摂社ともは天武天皇の朱鳥年中創建の由いへり 神楽所 御供所 廻廊 釣殿 天武天皇御陵 本社の西の方にありゆゑしられす(以下略)」

 

あ、「瘡神社」は、「倉神社」の間違いなのかな。

御祭神は「大荒田命」……なのかどうか……周辺には尾張氏関係の大小の神社がありますので、どこかの時点でそのように変わったのかと思います……がまあここまで整っていると、本来の信仰を伺うのも難しいものです。

アガタとアラタは違う、という話はどうなんでしょうね……いろいろ混同があったということは否定できず、しかし『延喜式』の頃から「大縣」であって、なぜ「アガタ」ではなく「オオアガタ/オオガタ」と「大」がついているのか……国名(地名)がつくのであればそれこそ「丹羽縣」でもいいわけで……しかし「大縣神社」という名称から「大荒田命」が作り出されたのかもしれず、でも荒田って結構ありそうな地名だしなぁ……開拓者であればふさわしい感じもするし……という具合に、知識がないもので行ったり来たりです。

そうだなぁ……「大碓尊」が絡んでくるとちょっと面白いのになぁ、とは思ったりします(単に「大」つながりですが……「大」であれば、「大国主命」と「少彦名尊」の対比、「大碓尊」と「小碓尊」の対比から、「小荒田」もあってもいいのになぁ……とか……「田縣神社」がその対比なのかなぁ……)。

迷路迷路。

 

同じく、

 

田縣神社
今春日井軍久保一色村に坐す當郷往古は丹羽郡に属るなるへし 今も丹羽郡の境にいと遠からす 俗人此處を縣の森といふ 延喜神名式に丹羽郡田縣神社本国帳に丹羽郡従三位田方天神とある是なり 扨此神は田地の豊穣を守ります女神なるよし郷人申伝へ来て毎年の初に此神事を行ふに男莖形あらはせる人形を造り儲て村民いどみ笑ひ祭祀終て神符を此村の田毎にさし建て五穀豊饒をいのるならはしありといへり(略)」

 

やはり「田縣神社」の「男莖形」については江戸末期には知られており、一方で「大縣神社」の豊年祭の「女陰」については言及がない、ということは比較的新しい祭りなのかなぁ……「田縣神社」の祭りからヒントを得て作られたという感じがします。

ちゃんと調べれば、結論が出ている話かもしれませんけれども、そこまでの余裕はないもので……いずれもうちょっと……。

 

「王子稲荷神社」(補)

さて。


◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑今回も『江戸名所図会』さんです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

269コマです。

 

「王子稲荷社 同北の方にあり。往古は岸稲荷と號けしにや、今当社より出すところの牛黄宝印にしか記せり。
本殿 倉稲魂命、聖観世音・薬師如来・吒枳尼天。
本宮 十一面観世音。
王子権現縁起に曰く、いづれの世にかありけん、此社の傍に、稲荷明神をうつしいはひければ、毎年臘晦の夜、諸方の命婦此社に集り来る。其ともせる火の連りるづける事、そくばくの松明を並ぶるが如く、数斛の蛍を放ち飛ばしむるに似たり。其道野山を通ひ、河邉をかよへる不同を見て、明年の豊凶を知ると聞ゆ。命婦の色の白きと九の尾あるは、奇瑞のものなりと、古き書にありとなむ。下略
因に云ふ、今の世三狐神の名に附会して、伊奈利を白狐とするものは、大なる誤なり。又狐を伊奈利の使者とし、又ここに命婦といへるは、或書に云く、後小松帝の明徳年中一人の老命婦あり、深く稲荷を信じ、毎日詣でけるに、命婦が飼ひける野狐あり、必ず参詣の時は先へ社壇に来り待ちし故に、社人も狐の来るを見て、命婦のやがて詣づるを知り、命婦も年老い世を退りて後は、狐を養ふ者もなく、終に伊奈利山へ至り住みけり。社参の人命婦狐と名け、呼び出して果物などあたへけるが、年経て死しけるを、人憐みて本社のかたはらに埋め、社を建てて祀りしより記せり。是狐を伊奈利の使者とせしよりどころなるべし。
当社は遥に都下をはなるるといへども、常に詣人絶えず。月毎の午の日には、殊更詣人群参す。二月の初午には、其賑言ふもさらなり、飛鳥山のあたりより、旗亭(さかや)・貨食舗(れうりや)、或は水に臨んで軒端をつらねたり。実に此地の繁花は都下にゆづらず。」

 

なんか、途中で「狐=稲荷の神使説」の話になってましたけど……その前段では、明らかに九尾の狐っぽいのが出てきましたね。

『王子権現縁起』、「王子神社」の記事によれば寛永十八年に上梓されたっぽいので(同じ縁起かどうかは不明ですが)、結構いろいろな伝説がくっついて出来上がっているのかな、とも思います。

地元に伝わっていた伝説なのか、箔づけをしたかったのか……何とも言えませんが。

 

◯こちら===>>>

一立斎広重一世一代江戸百景 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑大正時代の出版ですが、もう少し詳しい感じで。

59コマです。

 

「王子の狐火
王子稲荷は王子権現の北にあつて往古は岸稲荷と號けた。関八洲の稲荷の棟梁と伝へられてゐる。此稲荷について江戸時代には一つのいひ伝へがある。王子稲荷の傍に装束畠といふ田甫があつたがm、其所の衣裳榎といふ榎の大樹の下へ、毎年十二月の大晦日の夜にあると諸方の狐が夥しく集り来る。其ともす狐火のつらなるさまは若干の松明を並べたやうに見える。或は数斛の蛍を放つたやうにも見えた。其狐火の行列が野山に通ひ、河邉にかよへる抔其時々によつて不同がある。不同の様子を見て、明年が豊年であらうか凶作であらうかを判断するため、近在の百姓は見物に来たさうである。此事は宵の内にある事もあり、又暁に見る事もあつて時刻の程は定つてゐなかつたさうである。兎に角王子装束榎の大晦日の狐火といふものは、江戸時代の一名物であつて、其狐火の高く飛ぶのや低く飛ぶので狐の官定めになるのだといひ伝へてゐた。」

 

冒頭からほぼ『江戸名所図会』と同じなのは、『王子権現縁起』から引用しているからだと思いますが、榎の話は出ていませんでしたね。

↑には安藤広重「江戸百景」からとった「王子の狐火」の絵も掲載されています。

河辺であることからして、実際に蛍火だった、というのが一番妥当な線。

湿地帯で燐が発光する、という人魂にそれっぽい解釈をほどこしたやや怪しい説もありかな、と思います。

周辺の農民が見にきていた、ということを鑑みて、実際に何かしらの光を飛ばすような習俗だった可能性。

狐がいっぱい住んでいたかも(その割に、そんな記述はないですけれども)。

まあ、いろいろ妄想できますけれども……何かしら、発光現象があった、というのは事実だったのではないかと思います。

 

なお、「王子の狐」という落語は、

 

◯こちら===>>>

円遊落語会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑なぞをご参考に。

「今時分、人間が狐を化かすようになった……」というお噺です。

「王子稲荷神社」(東京都北区)

9/27。

王子神社」の参拝を終えて、

 

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そのまま、王子稲荷の坂を下っていくと、「王子稲荷神社」です。

 

◯こちら===>>>

王子稲荷神社 - 東京都神社庁

 

東京神社庁もがんばっている……(あれ、愛知県神社庁も……?)。

 

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で、坂沿いの鳥居から入ると、なんか造りが妙……どうも、正面はこちらではないようです。

 

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拝殿。

 

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立派だ……獅子の木鼻、黄金なものにはなかなか出会えません(新しく塗られたのでしょうか)。

 

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稲荷の紋に「王」。

 

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狛犬さんがいかつくて素晴らしかった……横浜の「橘樹神社」に通じるものがあります。

この狛犬さんズの間の階段を降りた先が正面っぽいのですが、降りられなかったような……記憶が……。

 

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拝殿遠景。

 

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本宮。

そう、拝殿右手奥に進んで行くと、奥宮があるのです(お稲荷さんですから)。

とりあえず、一番奥まで行ってみます。

 

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おキツネさまには岩穴がつきもの……江戸ではそうなんでしょうね(実際、狐が住んでいたんでしょう)。

 

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守られちゃったおキツネさま。

 

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おもかる石もあります。

 

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守られちゃったおキツネさま(その2)。

 

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こんな感じで、高台にわざわざ鎮座ましましております。

 

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そのふもとの摂社もお稲荷さん。

 

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いい感じのオキツネさまです(永野護っぽい顔……?)。

 

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ここから奥宮に入っていきます。

 

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ちょっとしょぼーんなおキツネさまだったり、頭だけ作り直したおキツネさまだったり、人面っぽいおキツネさまだったり。

 

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奥宮(本宮)遠景。

 

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本社本殿。

 

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ポンプ。

 

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本宮入口の鳥居。

 

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拝殿横から遠景……何か地域の集まりがあったようですね……。

 

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……おキツネさまが多種多様なのは素敵です……けど、なんか、対にしては様子が違いすぎないだろうか……。

 

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社標。

 

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隠れおキツネさま。

 

ええと……そう、正面にまわるには、坂をもっと降りなければいけないんだろうなぁと思ったら、それ以上下れませんでした(結構お疲れで……巨大キツネ祭りだったもので……)。

御朱印をいただけるはずなのですが、神職さんがいらっしゃらなかったので。

「王子神社」(補)

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑お久しぶりねの『江戸名所図会』です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

264コマです。

 

「王子権現社
飛鳥山の北の方、音無河を隔ててあり。
本殿 祭神 伊弉冉尊 左速玉男命・右事解男命 三神鎮座。
社記に曰く、若一王子社は、紀伊国熊野権現を勧請す。後醍醐天皇の御宇元亨年中豊島何がしの主とかや、新に祠宇を建てて崇めけるが、風霜ふり、歳月深うして、朝の霧は香を焚くかとあやしみ、夜の月は燈を挑ぐるに似たり。霊神は人の敬ふによりて其威をまし、境致は霊神の徳によりて其名を顕す。つらつら此神の本を尋ぬれば、伊弉諾伊弉冉の尊と申す二柱のみこと、国土をうみ、萬の物をうめり、其広大の功徳既に成りて後、伊弉冉尊神退りましければ、紀州熊野の有馬村にをさめまつる。熊野大神是なり。此神を祭るには、春は花をもて祭り、鼓うち、笛吹き、旗立てて、諷ひ舞うて祭る。白河院の御製に、『咲き匂ふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空にしらるる』とよみ給へるは、花しづめの事なるべし。此神の御子を熊野早玉男とまをす。其第二を泉津事解男と申す。延喜の帝の御時、諸国の神社を記されしに、紀伊国牟婁郡、熊野早玉男神社とあるは是なり。此故に伊弉冉尊・早玉男・事解男、是を熊野三所権現といひならはせる事になりぬ云々。
按ずるに、当社縁起に、元亨年中豊島氏、新に祠宇を建てて崇めけるよし記せり。当社別当金輪寺に収る所の大般若経の奥に、文保二年とあれば、勧請は文保より以前にして、元亨に初て社を営みしならん。小田原北條家分限帳に、王子領、江戸上平川・下平川・牛込の内にて、以上二十八貫八百六十文の地を附すとあり。」

 

ええと、まあ、ほとんど熊野の本社の話ですね……。

 

「祭礼 例年七月十三日にして、十二番の拍板あり。此日王子村の童子、手毎に竹の鉾を持ちて警固す。祭終つて後、参詣の貴賎彼鉾を携へて帰り、火災盗難を除くの守護とす。是も古よりの習俗とぞ聞えし。其外一季七十餘度の祭祀、連綿として、国家安寧五穀豊饒の祷怠慢なし。
本地堂 本社の左にあり。弥陀・薬師・千手大悲を安置せり。
若一王子宮 本社の右にあり。新宮天照大日孁貴尊を鎮る。
飛鳥祠 同所に並ぶ。祭神は事代主の命なり。元亨年中豊島左衛門なるもの勧請す。始は飛鳥山にありしが、寛永の頃、台命に依て当社の境内に遷座す。
康家清光社 同本社の左にあり。是豊島太郎康家・同権頭清光父子の霊を鎮る。其餘末社多しといへどもここに略す。
(略)
当社はすべて紀州熊野山の地勢を写し、前に音無川の流をうけて、風色真妙なり。花の時は花をもて祀るといへる神慮に因るにや、社頭に多く桜樹を植ゑて、春の頃は境内殊に観賞あまりあり。亦冬月雪の眺望も、他に勝れたり。」

 

241コマには図絵が掲載されていますが、現代の様子とはかなり違っていて驚きます。

ざっと見る限り、楼門から舞台(舞殿かな)、本社とありまして、境内には本地堂、鐘楼、荒神若一王子、白山・八幡・蔵王、氷川、冨士、山王、番神天満宮、康家・清光、聖宮、などあるんですが、本社の後ろが石垣になっていて、向かって右手に「大神宮」、左手に「東照大権現」とあります……この構造がなかなか謎で……まあ「東照大権現」はわかりますが、「大神宮」ってなんでしょ……本社に「熊野三神」がいて、「若一王子宮」は「天照大神」だと言っているのですから、それ以上の大神となると「伊弉諾尊」くらいしか思いつかないんですけれど……配置がね。

あ、単に「伊勢神宮」の遥拝所って可能性もありますけれど。

それにしても、明治になって、准勅祭社に選ばれる理由がわかる大きさです。

豊島氏以前のことはよくわからないんでしょうねきっと……現在は「槍祭」と呼ばれている祭礼も、何故「槍(鉾)」なんでしょうか……これは、熊野の本社と関係があるのか(淤能碁呂ごろごろ〜の「アメノヌボコ」でしょうか)。

徳川吉宗」が桜を植えた、というのも『江戸名所図会』では触れられていないわけですが……「鎮花祭」って「大神神社」だけのものではない、んでしたっけ、「白河天皇」の御製にあるようなものだとすると、熊野でも行われていて、それを再現するために八代将軍がんばりました、ってことなのか……「花の窟神社」と関係ありますか?

ううむ……江戸も熊野も、ちょっと勉強が足りませんが、中世の関東地方の知識なんてもうすっぽり抜けてますし、熊野は行きたい行きたいと思いながら、名古屋からは微妙な距離なんですよね……できれば一泊したい……時間がなかなかないもので……本もろくに読めやしない……。

おっと、そうだ、これでおそらく、「東京十社」を制覇(?)したような気がします。
どうしても、出かける頻度として東京が多いので、その周辺を巡っていますが、そろそろ北陸とか行きたいなぁ……ますます時間とお金がね……。

「王子神社」(東京都北区)

9/27。

飛んだなぁ……たまアリでのbig foxの翌日、巣鴨に住んでいた頃には行こうと思ってなかなか行けなかった、王子神社へご参拝。

 

◯こちら===>>>

ojijinja.tokyo.jp

 

飛鳥山には花見に来たことはあるんですけれども、その頃はまだ神社仏閣にそこまでの興味はなかったので……。

 

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社標。

711がやたら迫っていてちょっと驚きました。

 

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鳥居。

 

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いきなり拝殿。

 

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狛犬さん。

躍動感。

 

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拝殿遠景。

 

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「毛塚」。

 

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「関神社」、なのだそうです。

 

「「髪の祖神」関神社由緒略記
御祭神 
蝉丸公  神霊
逆髪姫  神霊
古屋美女 神霊

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の和歌で有名な「蝉丸公」は、延喜帝の第四皇子にして和歌が巧みなうえ、琵琶の名手であり又、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじ・かつら」を考案し髪を整える工夫をしたことから、「音曲諸芸道の神」並に「髪の祖神」と博く崇敬を集め「関蝉丸神社」として、ゆかりの地滋賀県大津の逢坂山に祀られており、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代、ここ「王子神社」境内に奉斎したのが、当「関神社」の創始なり。昭和二十年四月十三日の戦災により社殿消失せしが、人毛業界これを惜しみて全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の各界に呼び掛け浄財を募り昭和三十四年五月二十四日これを再建せり。」

 

「かつら」はいいとして、現代の人には「かもじ」は馴染みないですね……ええと、「エクステ」みたいなものです(乱暴)。

「蝉丸」公のことは知っていたつもりなのですが、「逆髪姫」のこともぼんやり覚えているのですが、ご姉弟だったとは……勉強不足。

なお、大津の「三尾神社」では、「蝉丸神社」の御朱印もいただけてしまいます。
この間、「三井寺」行ったときにご参拝しようと思ったんですが、時間が……。

 

「毛塚の由来
釈尊が多くの弟子を引き連れて、祇園精舎に入られたとき貧女が自らの髪の毛を切り、油に変えて献じた光が、大突風にも消えることなく煌煌と輝き世に貧女の真心の一灯として髪の毛の尊さと共に、毛髪最古の歴史なりと長く言い伝えられる由縁である。
毛髪を取り扱う我々業者は毛髪報恩と供養の為に、昭和三十六年五月二十四日「関神社」境内に毛塚の塔を建立し永く報恩の一助とする。」

 

……この前日に、毛髪のないベーシストの演奏を堪能したなぁ……とふと思ったりしました。

 

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逆光ですが、イチョウの案内板。

 

王子神社イチョウ
(略)
王子神社の創始については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨(げんこう)年間(一三二一〜二四)に豊島氏が勧請したことが始まりとされていますので、その頃にはこのイチョウが植えられたとすると、六〇〇年近い樹齢と考えられます。戦災によって王子神社の社殿や太田道灌が雨宿りしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。」

 

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境内から川の方に降りることができます。

 

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イチョウ

がんばってます。

 

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おっと、由来が最後になりました。

 

王子神社(由来)
御祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命

元亨二年(一三二二)、豊島郡を支配していた豊島氏が熊野の方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勘定し、若一王子宮として祀られるようになりました。これにより、村名が岸村から王子村に改められ、王子という地名の由来となりました。また、石神井川がこの地域では音無川と呼ばれているのも紀州の地名に擬したとの説があります。
王子神社は、豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏からも寄進をうけ、江戸時代には、徳川家康社領として二〇〇石を寄進しました。これは、王子村の村高の三分の二にあたります。別当寺は、王子神社に隣接していた禅夷山金輪寺で、将軍が日光社参や鷹狩の際に休息する御膳所となっていました。将軍家の祈願所として定められた王子神社は将軍家と関係が深く、三代勝軍家光は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて奉納しました。家光の乳母である春日局も祈願に訪れ、その後も、五代綱吉、十代家治、十一代家斉が社殿の造営修繕をし、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も十七社を数えました。
紀州徳川家の出であった八代吉宗は、紀州ゆかりの王子をたびたび訪れ、飛鳥山に桜を植樹して寄進しました。この後、花見の名所となった飛鳥山王子神社周辺は、江戸近郊の名所として多くの人が訪れるようになります。特に、七月十三日に行われた王子神社の祭礼は「槍祭」ともよばれ、小さな槍を買い求める人や田楽踊を見物する多くの人でにぎわったことが見物記などからうかがえます。
明治時代にはいると明治元年(一八六八)、准勅祭社となり、東京十社に選ばれ東京北方の守護とされました。
戦前の境内は「太田道灌雨宿りの椎」と呼ばれた神木をはじめ、多くの樹木が茂っていましたが、戦災で焼失したため、境内に現存する東京都指定天然記念物の大イチョウは、戦災を逃れた貴重な文化財です。戦後は、氏子一同により権現造の社殿が再建され、現在の景観に至っています。(以下略)」

 

なるほど、「熊野三社権現」……これまた、まだ参拝に伺っていないもので……なんとなくの知識はあるんですが……勉強不足。

神社名が地名になったパターンなのですね。

確かに、「岸村」よりは「王子村」がいいなぁ……。

写真が少ないですが……多分、雨を警戒していたのかな、となんとなく覚えています(おい)。

 

御朱印

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多分、何年か越しで、東京十社を巡ったと思います……(違ったらすいません)。

引用などは後日〜。