べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「石山寺」(補)

さて。

 

 

現地で↑な本を購入しまして、かなり詳細に書かれているので、是非ともこちらを読んでいただければ、と思います。

また、滋賀県立近代美術館で開催された『石山寺縁起絵巻の全貌』の図録も現地では発売されていたので、それも買ってみたりしました。

 

(以下、赤字での引用は『石山寺の信仰と歴史』より)

 

伝承としての縁起は、奈良時代聖武天皇発願の東大寺大仏造営にさいし、鍍金のために膨大な量の黄金が必要」となったので、良弁僧正が金峯山に籠って黄金が見つかるよう祈願したそうです。

すると、「蔵王権現」が出現し、「「近江の国の瀬田に山がある。この山は霊地であるから、ここで祈願すれば、必ず黄金を得ることができる」」と告げたそうです。

で、良弁僧正が近江国に行ってみると、老翁にめぐりあい、これが比良明神の化身だった、そして「石山の地こそが霊地であることを知った良弁は、巨岩の上に天皇より賜った如意輪観音像を安置して草庵を結び、連日祈祷を行った」ところ、陸奥国から黄金が発見されたそうです。

この「如意輪観音」像を「聖武天皇」に返そうとしたのですが、「仏は石の上を離れず、そこでこの地の荊棘を切り払い、整地をして仏閣を建てることになったが、そのときに土中から五尺の宝鐸、すなわち銅鐸が出現した、と縁起にみえる」と。

前回の記事で紹介しましたが、「石山寺」の門前では貝塚が発見されていますので、昔から人が住み、また貝塚をある種の「供養の場」だと考える学説もあると聞きますので、聖地だったのかもしれません。

地図を見てもらえればわかるとおり、「石山寺」は瀬田川のほとりといってもよい位置関係です。

水際は生活の拠点になりやすく、人が集まれば聖地ができます。湖はそれほど水面の変化がないと思うので、その周囲に集落や聖地が集まるのも、当たり前といえば当たり前です。

石山寺」の名称の由来となっているのは、「標高二三九メートルの伽藍山」の露出した珪灰石です。

昔からランドマークになっていたりしたのではないか、と妄想が捗ります。

山号は「石光山」ですから、ひょっとして陽光を反射していたのか……妄想妄想。

瀬田、という土地は記紀にも登場する交通の要衝ですし、銅鐸が見つかったということは古墳時代も聖地だった可能性が高く……ただ、奈良時代くらいまでは忘れられていたのでしょうか。

それで、どうして「金峯山」で「蔵王権現」だったんでしょうね……山岳信仰の一大聖地ではあるわけですが……伝承が成立した頃の「金峯山」の影響力を考えなければいけないのでしょうが……それから「比良山系」って琵琶湖の西岸辺りのことですが、「石山寺」付近はギリギリって感じですよね……地主神といえばそうでしょうが……しかも、黄金が見つかったのは陸奥国ですから、「石山寺」全然関係ない……縁起に箔をつけたい、という意識が働くのは当然なので、大仰な物語もいいと思うのですが、何というのか、地に足がついていない……あるいは、当時としては当たり前でも現代の我々には読み取れない何かのメッセージがあるのでしょうか……。

まあ、山岳信仰の担い手は、鉱脈の在処を熟知していた、と言われたりしますので、金属の関係する伝承に登場したら、裏には鉱脈(鉄や丹=水銀)を巡る物語がある、と考えてしまうのは、高田崇史好きにとって当たり前です(?)。

ポイントは、仏教の仏や神ではなく、「蔵王権現」や「比良明神」という地主神が登場するところでしょうか。

本地垂迹の浸透がまだまだな時代、地元の秘密は地主神(に象徴される集団)が握っていたわけで、山岳信仰のネットワークがつながっていたとすると、陸奥国で黄金が出たのもそうした山の人々のおかげだった、と……妄想できますね。

奈良時代における石山寺の造営については、正倉院文書のなかに関係文書が遺って」おり、それによれば、天平末年、創建当時の石山寺は、長さ五丈、広さ二丈、高さ一丈一尺の檜皮葺きの仏堂一宇、板葺の板倉一宇、板屋九宇のみであった」のが、天平宝宇三(759)年に、石山寺の西北に淳仁天皇により保良宮の造営が開始されると、それまでは仏堂と板倉、板屋数棟のみであった石山寺は、保良宮を護持する寺として拡張改築されることになった」そうです。

この「護持」というのは、もちろん霊的な意味での「護持」なのだと思うので、地主神の力が仏教的なものに転換された(まあ、大抵は強引にですが)とすると、その辺りを縁起に盛り込んでおかないと、祟られますから……大きな仏教寺院が創建されるとき、伝承には地主神が出てくることが多いのですよね……比叡山とか高野山とか……ひょっとするとそんな理由ではないか、と妄想してみます。

(以上、赤字での引用は『石山寺の信仰と歴史』より)

 

◯こちら===>>>

寒川辰清 編 ほか『近江輿地志略 : 校定頭註』,西濃印刷出版部,1915. 国立国会図書館デジタルコレクション

近江輿地志略 : 校定頭註 - 国立国会図書館デジタルコレクション

(参照 2023-11-23)

 

滋賀県といったら、『近江輿地志略』です(?)。

266コマから、「石山寺」の記事が載っています(結構なボリュームです)ので、ご参考に。

そのp444に、「三十八所明神社」のことが、「所謂三十八所明神は般若十六善神、薬師十二神将、法華十羅刹女なりといふ。」と書かれていましたので、メモしておきます(?)。

 

紫式部」と『源氏物語』のこととか、中世以降の歴史とか、さっぱり触れていませんが、大寺院はボリュームが多すぎて……この辺りにしておきます(そもそも、古代史好きなのです)。

さて、近江から名古屋への帰り道にちょっと寄ったところがありますので、次はそちらの記事を〜。