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黄金週間、自由に動ける日がこの日しかなかったので、「石山寺」へ行ってみました。
◯こちら===>>>
滋賀県も行きたいところは多いんですよね……。
名古屋から車で、高速を使えば2時間かからないくらい、でしたか。
貝塚があったようですね。
……広っ。
黄金週間ということもあって、参拝者は多かったように思います。
「日本遺産」……琵琶湖とその水辺景観ですか……近淡海ですからね……それにしても、遠淡海が諏訪湖じゃなくて浜名湖だったのはなんでなんでしょうね……諏訪湖、そんなに大きくなかったのかな(そういう理由ではないと思います)。
東大門。
一応、建久元年(1190)建造らしいですが、「慶長年間(1596〜1615)に新築に等しい大規模な修理改造」がなされたようです。
それにしたって、400年ですから……。
仁王門でした。
かつては、門には「多聞天」が安置されていたようなので、仁王門ではなく、二天門だったようです。
垂木と格子の連続性……構造の美……しかし、千社札は、今となっては残念な風習ですね……嫌いではないんですがね……。
仁王様アップ。
案内板……が鏡面仕上げで読みづらい……。
東大門を入って、大黒天の御堂。
「弘法大師」作と伝わる「拳印大黒天(右手親指内にして握る)」が安置されています。
案内板によれば、万寿元年に湖水に出現したようなので、もともと「石山寺」に安置されていたのかどうかがよくわかりません。
「善光寺」や「浅草寺」の伝承を見るに、大事な仏像は川や海に浮かんでくるものですので(決めつけてはいけない)、それに倣ったのかな。
「比良明神影向石
東大寺の僧良弁僧正(689〜773)は、聖武天皇に東大寺の大仏建立に必要な黄金の調達を命じられ、金峯山に籠って金剛蔵王の夢告を受け、この石山の地を訪れました。すると岩の上で老人が釣りをしており、お告げの場所がまさにこの地であった事を良弁僧正に告げました。この老人こそが近江の地主である比良明神で、比良明神が座っていた石は「比良明神影向石」として今もなお大切に守られています。」
……黄金が出たのか……。
「龍蔵権現社」……だと思われます。
石段のぼる……。
「龍蔵権現社」だと思われます……あれ、さっきもあったな……ちょっと遠くから撮影してみました、だと思います。
多宝塔。
あそこまで行きます(多分)。
「神木」。
天平時代、創建の頃から在る杉の木、とのこと。
「西国三十三ヶ所霊場」。
まとまってます。
鬼瓦。
「毘沙門堂」。
ご本尊は「兜跋毘沙門天」です。
「蓮如堂」。
本堂の隣の建物です。
「三十八所権現」の拝殿として作られたようです。
……これはどこだったかな……。
岩山の下から多宝塔を拝する。
だから「石山寺」なんでしょうかね(まだわかっていない)。
本堂は国宝です。
内部はもちろん撮影できませんよ。
「源氏の間」というのがありまして、「紫式部」か参籠して、『源氏物語』の着想を得たという……え、そうだったんですか(無知)。
国文学科じゃなかったもので……なるほど、人気があるのもわかります。
本堂と青葉をいくつか。
本堂から多宝塔に向かっていく途中に、「三十八所権現」があります。
鳥居は潜れません(昔は潜れたのだと思いますが……)。
先ほどの蓮如堂が「三十八所権現社」の拝殿だった、というのは、位置関係(上下)からだと思われます。
今のように石段が整備されていたわけではないと思いますので、登るのも一苦労……だったのではないかと。
こちら「三十八所権現社」。
本堂を下に。
経蔵……の肝心の写真がない、という。
安産祈願の腰掛石。
「紫式部」の供養塔、だそうです。
うむ、今一つ地味……隣の芭蕉の句碑も、地味……。
登ってきました。
左下の建物は「毘沙門堂」です。
国宝の多宝塔。
めかくし石、なるものがありました。
うむ、わりと細身ですね……多宝塔って、もうちょっとどっしりというか、1階部分、円形のところがもっと大きいイメージでした。
ちょっと登って、やや上からの多宝塔。
一気に飛びましたが、「光堂」です(どのくらい飛んだかは、最初の方の案内板か、公式HPの境内案内を参照)。
平成20年に寄進されたそうなので、非常に新しいのですが、現代の技術で懸造を再現したというのは純粋にすごいと思います。
鎌倉時代には、実際にあったそうです「光堂」。
現在の本尊は「阿弥陀如来」で、他にも仏像が安置されており、近くで拝見できますし、解説の映像を見たり、お話を聞いたりもできる空間でした。
「紫式部」さんです。
青紅葉。
「八大龍王社」。
龍穴の上に建てられているようです。
池の中の島にあって、この様子だと、「弁天様」じゃないかと思うのですが……あ、いいのか龍神だから。
「西国観音霊場」。
まとめられていました。
補陀落浄土、ということですね(観音様なので)。
いやまあ、とにかく天気が良くて……。
「天智天皇の石切り場」。
こちらで採石された石が、奈良の「川原寺中金堂」の礎石に使われていることがわかったそうです。
なるほど、だから「石山寺」なのか(まだまだわかっていない)。
あ、これが切り出し途中と思われる石です。
「天狗杉」なるものもありました。
……あれ、位置的に、最初の方に出てきた「龍蔵権現」かな……。
水車。
「若宮」。
平成14年の建立。
「大友皇子」を崇る……急にどうした……と思ったら、元々はここに葬られていて、寺僧が密かに供養していたと……。
色々見ながら、ぐるっと回って東大門のほうに戻ってきました。
「大湯屋」は、お風呂場なのですが、今も残っているのは珍しいようです。
「大黒天」の庭に、「大黒」様がいらっしゃいました。
門前で、何か食べないと、と思って、揚げ団子を食べました。
美味しかった。
御朱印。
ほぼ若葉の写真でしたな……大きな寺院ですので、様々なところで紹介されていると思います。
引用などは次回に〜。