べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「荒子観音」(再)(中川区)

11/23。

「名古屋成田山萬福院」の参拝を終え、まだ時間がありましたので、そうだ「尾張四観音」再訪中だった、と思い出し、荒子観音」へ。

 

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「荒子観音」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回参拝時の記事です。

 

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仁王門。
雄壮です。

 

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ばっちり「尾張四観音」。

 

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境内全景。

 

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お隣の「神明社」の狛犬さん。

 

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たら狛犬さん。

 

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神明社」本殿……というか覆屋かな。

 

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本堂。

 

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多宝塔。

 

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多宝塔別角度。

 

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境内裏手の紅葉。

 

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御朱印は判子です。

 

さて。

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑『尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
272コマです。

 

「浄海山観音寺円龍院
荒子村にあり。天台宗、野田村密蔵院末。天平元年越の大徳泰澄和尚の開基、同十三年開山、僧自性建立、永禄八年法印全運の中興にして、尾張四観音の一寺なり。元禄年中僧円空当寺に来寓せし時、数千の仏像を彫刻せり。抑円空師は仏像十二万体を刻まんとの誓願ありし由。故に其作仏今も大小千餘体ありて、壇上はもとより、小仏に至りては俵に入れ、客殿の棟梁に懸けおけるもあり。有信の人此仏像を乞ひ求めて、崇敬やや懈る時は、かへつて現罰を蒙りしとて、多くは又当寺に返し納めしとぞ。脇壇に護法神あり、亦同作にして、其背中に一首の和歌を自筆にて『いくたびも絶えてもたつる三會寺五十六億末の世までも 円空■』又同壇に千面仏の箱あり、師の直封にして敢て開くものなし。箱の裏に又一首をとどむ。『これや此くされる浮木とりあげて子守の神と我なしにけり』さて此円空師の伝は、[近世畸人伝]に詳なれば爰に略す。
本尊 聖観音。泰澄和尚の作。今の堂は、前田又左衛門利家天正四年に再建のよし、[尾陽雑記]に見えたり。
多宝塔 多宝・愛染・釈迦の三尊を安置す。中尊愛染明王は即円空の作なり。貞享年中に僧円盛修造せり。寛政年中に僧全覚再重修を加ふ。
二王門 円空作の両金剛の像を安置す。此像もと知多郡木山の観音にありしを、故ありてここにうつせしとぞ。
霊宝 阿弥陀仏 聖徳太子の御作  聖観音 弘法大師の作  十六羅漢 李龍眠の筆  前田家具足 一領  同位牌 臺に永禄八年乙未十二月八日願主正清とあり。  福島正則書翰、その外数多あり。
紫藤一架 境内にあり。一根繁茂し、池辺を巡る事数十間、春夏の際遊人の来賞甚多し。」

 

尾張名所図会』は江戸時代後期の成立ですが、その時代にはすでに「尾張四観音」の信仰があったのでした。

円空」作の仏像も有名だったようですが、今回もスルー。

開山は「泰澄」和尚、ということで、

 

○こちら===>>>

kotobank.jp

 

↑「コトバンク」中の『日本人名大辞典プラス』によれば、

 

「682-767 奈良時代の修験者。
天武天皇11年6月11日生まれ。加賀(石川県)白山の開創者とされる。養老元年弟子の浄定(きよさだ)らと白山にのぼり,妙理大菩薩(だいぼさつ)を感得したという。6年元正天皇の病を祈祷でなおし,天平(てんぴょう)9年疱瘡(ほうそう)流行をしずめた。天平神護3年3月18日死去。86歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。俗姓は三神。通称は越(こし)の大徳。号は神融禅師。」

 

白山信仰の創始者ですね。

荒子観音」が本当に「泰澄」和尚の開山かどうかは確かめようがありませんが、その伝説を差し引いてもけっこうな古刹であったと思われます。

図会にはきちんと「神明社」も描かれておりますので、ご覧ください。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』の「愛知郡」も見ておきましょう。
24コマです。

 

「観音寺
荒子村にありて静海山といふ 本寺上におなし 天平元年自性上人の開基にて上古は七堂伽藍塔頭十二坊の堂宇並びたち郡中無双の霊場なりしかとも衰廃せしと永禄の頃智音院法師全運是を再営中興すといへり 寺領も三十余町ありしが天正年中検地のとき悉没収せられたりとそ されとも尾張四観音と呼ならへる其一道場にて参詣の人他寺に異り本堂泰澄和尚作の観音を安置す 多宝塔護摩堂又二王門あり 是は僧円空が作なりといふ 当寺の往古のありかは高畑村の北の方八田村より一町はかり南の方にあり 其處に字を本堂といふ 荒子観音の本堂の址なりと高畑村々民いへり  又此本堂といふ處より半町余はかりも隔て大門といふ字あり 是もかの大門なりしよし伝へいへり さて寺に白木の古位牌一基ありて表に数人の法名を書り 其臺坐の裏書に、過去帳修補造之永禄八年乙丑 十二月八日観音寺願主正清法印全運智音院引■■書之とあり」

 

こちらでは、開山が「泰澄」和尚とまでは書かれていません。
一方で、かつての大寺院っぷりが説明されていますね。

 

さてさて、「円空」和尚です。

その仏像の様子はよく知っているのですが、どんなかたなのかは今ひとつ知らず。

『近世畸人伝』なんて本があるのか〜と思って検索して見たら、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 近世畸人伝

 

↑発見。
49コマから「円空」師の記事があります。
ちょこっと引用を。

 

「僧円空 附俊乗
円空は、美濃国竹が鼻といふ所の人なり。稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出で、富士山に籠り、又加賀白山に籠る。ある夜、白山権現の示現ありて、美濃の国池尻弥勒寺再建の事を仰せ給ふよりにて至りしが、いくほどなく成就しければそこにも止まらず、飛騨の袈裟山千光寺といへるに遊ぶ。其の袈裟にありける僧俊乗と云へるは、世に無我の人にて交はり善ければなり。円空持てる物は、鉈一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻むを所作とす。袈裟山にも立ちながらの枯木をもて作れる二王あり。今是れを見るに仏作のごとしとかや。又豫め人の来るを知る。又人を見、家を見ては、或ひは久しくたもつべし。或ひはいくほどなく衰ふべしと云へるに、一つも違うことなし。或時此の国高山の府、金森侯の居城をさして、此所に城気なしと云へるに、一両年の間に、侯出羽へ国替へありて、城は外郭ばかりとなりぬ。また大丹生といへる池は池の主、人をとるとて常に人一人は行はず、二人行けば故なしといへり。さるに或時円空見て、「此の水この比にあせて、あやしき事あり。国中大いに災に罹るべし」と云ひしかば、もとよりその不思議を知る故に、人々驚きいかにもして此の難を救ひ給はれと願ひしがば、やがて彼の鉈にて、千体の仏像を不日に作りて池に沈む。其の後何の故もなく、はた是よりは一人行く人もとらるる事止みけりとなん、此の国より東に遊び蝦夷の地に渡り、仏の道知らぬ所にて、法を説きて化度せられければ、その地の人は今に至りて、「今釈迦」と名づけて餘光をたふとむと聞ゆ。後美濃の池尻に帰りて終りをとれり。美濃、飛騨の間にては、窟上人と云ひならへるは、窟に住める故かも。(以下略)」

 

円空」師についての概略は、

 

○こちら===>>>

www.kankou-gifu.jp

 

↑こういったサイトで確認していただくとして、江戸時代の人ながら、すっかり伝説に尾ひれがついています。

加賀白山に籠もった、ということらしいですし、「円空」作と考えられる仏像が東海地方に(愛知県、岐阜県に特に)多いことから、「円空」師の移動になぞらえて、「泰澄」和尚を開山ということにしたのかもしれませんね。

 

「又豫め人の来るを知る。又人を見、家を見ては、或ひは久しくたもつべし。或ひはいくほどなく衰ふべしと云へるに、一つも違うことなし。」

 

この辺りの話、白山で尊崇を受けていたとしたら、地元の人々の中でもいわゆる「被差別民」の信頼を得て、その情報網の一端に触れていたのではないか、あるいは白山なので修験者のネットワークに加わっていたか……といった怪しげな「高田崇史」式発想が浮かんでしまうのが何とも業が深いといいますか……妄想妄想。
そろそろ「円空」仏を拝見に行きましょうか……名古屋にいるのに、見ない手もないですからね。

 

※毎月第二土曜日しか拝観できないそうなので、ご注意を〜。