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神社仏閣ラブ(弛め)

「津賀田神社」(名古屋市瑞穂区)〜高速初詣その3〜

※「東大寺」に落書きが発見されたとか。
仏様のお慈悲は広大無辺ですけれども、凡俗の身としては「ふざけんな」という感想です。
何語で書かれていたとか、正直どうでもよいです、何人だろうがやめてください。※

 

1/6。
普段あまり来ない瑞穂区方面に向かってみました。
行き先は「津賀田神社」です。

 

◯こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

瑞穂区の史跡散策路のHP。

 

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正面。

ややこんもり。

 

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「津賀田神社
尾張志」に「本國帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也・・」とあり、天照大神仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡とも井戸田八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ・・」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。」

 

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だいぶ日も傾いております。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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拝殿。
平入り、神明造、何か珍しく思えますが……ああそうか、「八幡」とか書いてあるわりにそれっぽく感じないからでしょうか。
どちらかというと、「天照大神」をメインに据えている感じ(「八幡」といっても、「若宮」なので「八幡」ではないのですが)。

 

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お隣は「津賀田稲荷」。

 

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参道途中の祠(仏教)。
弘法大師」かな……違うかもです。

 

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うーん、梵字が刻んでありますが……字の並びから「天照皇大神云々」でしょうか……ということは「大日如来」かな。

 

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「津賀田竜王神社」。

 

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手水舎越しの拝殿……なんか、ちょっと気持ち悪い配置ですよね、これ。
拝殿に向かうためには、手水舎を避けなければいけない……ということは、怨霊封じでしょうか。

 

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灯篭。
立派。

 

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遠景。
拝殿、結構大きいですね。

 

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諸々の碑。

 

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先ほどの鳥居から西側の駐車場に降りられます。
その途中から。

 

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正面参道、さらに遠景。

 

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灯篭。
ちょっとふくよか。

 

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戻ってきました。

 

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もうちょっと引きますと、こんな感じです。

 

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遠景。

御朱印はいただいておりません。
ネチマタの噂ではいただけるそうなのですが、この夕方にお呼び立てするのもいかがかと思いましたし、神職さんのところにお客さんも来ていたようなので。
いつかいただけたらいいな。


さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑お久しぶりの『尾張名所図会』。

306コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「津賀田社
同村にあり。仁徳天皇を祭る、俗に若宮八幡と稱す。[本国帳]にのせし従三位津賀田天神是なり。右大将頼朝公誕生の地にして、其産土神なる故、治承四年此社を鎌倉にうつしまつり、今鶴岡下宮なるよしいひ伝へたれど、定かならず。治承五年五月十三日鶴岡造営の事は、[東鑑]にしるしたれど、ここより勧請せしよしは見えず。又其誕生の地といへるは、熱田の誓願寺境内なるよし、すでに其所にしるせしごとくなれば、今何れか本所なるにや、是非定めがたし。
摂社 八劔祠・源太夫祠・富士祠・白山祠・神明祠・諏訪祠ともに境内にあり。 神主 亀井氏は源義経に従ひし六郎重清ここの人にて、其裔孫なるよしいひ伝へたれど、其亀井は紀伊国熊野の人なれば、恐らくは別人なるべしと先輩いへり。されども亀井六郎が宅址といふもここにのこりたれば、しひても捨てがたかるべし。」

 

なるほど、出ましたか「源頼朝」。
ご存知かと思われますが、「源頼朝」の母が、「熱田神宮」の神官の家に生まれており(あれ、ちょっと違う気がする……)、「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」の三英傑以前、それも武家政権の始祖にして棟梁の鎌倉殿まで愛知県出身……とは言えないかな……ゆかりのあることを、愛知県はもっとアッピールすればいいのに、とよく思います。
とはいえ、鎌倉の「鶴岡八幡宮」の本所、という主張はちょっと……いえ、可能性がないではないですが、だったらどうして「熱田神宮」を勧請しなかったのかな、とかいろいろ浮かんできますので。
ただ、そうした伝説が残っているところに、何かが潜んでいるのかもしれません。

 

 

……適当に書いていますが、そうです、平安〜鎌倉〜戦国〜江戸に至るまでの私の日本史の知識は、多分中学生以下ですので、何一つ信用できません。
ああ……勉強しないと……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

じゃ、次は『尾張志』の「愛知郡」より。
5コマです。

 

「墓田(つかた)天神社
井戸田村に坐て今は若宮八幡と稱す 本国帳に愛智郡従三位津賀田天神(元亀本に墓田とす貞治本に墓を暮にあやまる)とある是也 此社地を俗に長森といふは松樹つつきて長けれは也 むかし頼朝将軍此村のうち片垂(かただり)といふ地にて誕生し給ひ此村なる亀井を産湯としこの社を本居神とし給へるよし社説にいへり されとも彼卿の母は熱田大宮司藤原季範女にて久安三年四月八日熱田はたや村にうまれ給へりし 故に頼朝の童名を幡屋の武者王といひけるよしある書に見えて熱田誓願尼寺即誕生の旧地なるよしいへる伝へあるもさるべくおほゆれはいつれとも決めかたし 墓田といふはこの本井戸田井戸田二郷のうち殊に古塚多かるより出たる地名なるへし 当社の今の社説に祭神を仁徳天皇なりといふは若宮八幡と呼るより出たる説にてよりかたし 其故にこの社旧は若宮とのといひなれて八幡の号はなかりしを若宮の号のあるにつきて八幡の号を副たる事明らけし 若宮八幡と申は八幡にて其若宮をさしていふ唱えなるが世に普く広くなれる也 すへて若宮と申す名は其本社の御子神をさせる例なれは称はひとしくても其社毎に祭る神は異なるならひなるとや さて此社を若宮といふ事は何れの神の若宮に坐にか知かたし(按に今熱田大宮の内に坐す孫若御子神社の本所は今名古屋なる若宮八幡社ならむかと考たる説をかの條に辨へ置つれどもしくは此處の若宮それならむも知かたし上古に明らかならむ人よくよく考へたたしてよ) 又此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃んいをさめて伝来す 是は後光嚴天皇の大御代応安元年戌申十一月晦日事はかりはじめて同二年巳酉正月十一日に筆をとりはじめ同七年甲寅十一月六日供養したるなり 総計六百巻のうち奥書したる巻百十七巻ありて元弘観応応安永徳至徳明応寛正等の年号を書り ただし元弘観応の二巻は此応安年中より以前の写巻にて五百年以上の古物古雅なるもの也 又この奥書にある員数のうち元暦文治建久正治なとの年号ある分十七巻あり 是は皆後人の加筆にて墨色ことなり心して見るへし 又此奥書ある巻の内に井戸田郷若宮とかける二十二巻あれとも八幡と書たるひとつもなきを以て八幡の社号なき證とすへし 摂社に八劔社 源太夫社 富士社 白山社 神明社 諏訪社 田神社 稲荷社 (田の神いなり二神相殿なり) 熊野神 山神(この二神は社廃れて石をもて御霊とす) あり 社人を亀井忠太夫と云」

 

あら、「源頼朝」がこの辺りで生まれた説については、ばっさり行きそうで、「やっぱり決め手がね」という論調ですね。
一方で、「八幡」であることに対しては、ばっさり切ってます。
「若宮」というのは、本社の御子神に対して使われる普通名詞で、それが「八幡」の場合は、「応神天皇」の子である「仁徳天皇」になる、というだけなのに、この神社では「若宮」と呼ばれていたがために、「源頼朝」伝説のせいなのか、「八幡」がくっついてしまって、「若宮八幡」になってしまった、と。
そのため、誰の御子神だったかは忘れられてしまいました……なるほど、さもありなん。
これなら、「鶴岡八幡宮」の本所なはずはなく、むしろ「鶴岡八幡宮」から「八幡」を引っ張ってきたんじゃないのか、と思えますね。
いや、それでも実際のところは決めがたいのですが……「若宮」に対する「本宮」「本社」の神がなんだったのかを突き止めるのは無理でしょうね……。
↑↑瑞穂区の史跡散策路のHPでは、

 

「津賀田神社
古木がうっそうと繁り荘厳な雰囲気のこの社は、仁徳天皇を祭神に天照大神を配祀する。若宮八幡あるいは井戸田八幡とも称され、神社は古墳の上に建てたと伝えられる。この辺りは松原が長く続き長森とも呼ばれ「本国神名帳」には従三位津賀田天神と呼称されたとある。龍泉寺から発見された社宝の古写大般若経六百巻は、戦災で十巻余を残し焼失した。奥書によれば500から800年昔のものである。境内には浜神明社のものと対をなす斗帳寄進碑がある。」

 

とありまして、地名としての「墓田」というのはいかにも、な雰囲気です……でも「塚」じゃいけなかったのか。
古代史好きとはいっても、古墳時代までなかなかカバーできず、そのため名古屋市内に結構な古墳が残っていることに今更ながら驚いてしまいますね。
境内のこんもり具合は、古墳の上に建てられた神社だったから、ですか……

 

 

 

 

 

 

……うん、ろくに妄想が浮かんできません(残念)。

古墳について、もうすこし鍛えたいです……さ、もう少しで終了です。

 

 

※実は「国会図書館デジタルコレクション」に収蔵されている書物を、タブレットで見ながら引用しているのですが、最近、必要なページをPDFで出力できることを知りました……これでオフラインでも引用できる……もっと早く教えてほしかった……いや、ときどき見れなかったんですよね「デジタルコレクション」。※