べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「豊藤稲荷神社」(緑区)

7/2。

「富部神社」を堪能し、もうちょっとどこかへ……と思って検索していたら、緑区の方に「豊藤稲荷神社」というお社があるようなので、行ってみました。

 

○こちら===>>>

名古屋市:緑区史跡散策路・千鳥塚コースの紹介(緑区)

 

↑公式HPは引っかからなかったので、名古屋市のページより。

 

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北側から近づいていくと、どうやら高い場所にある様子。

 

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というわけで、正面に回ってみました。

 

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前庭(というのか、斎庭と呼んでいいのか)がかなりの広さです。

 

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……ん、何だろう……あ、そうか、お稲荷様なのに、狛犬さんがいるから、ちょっと違和感なのです。

拝殿正面の蟇股に、狐さんがいらっしゃいますが……ちょっと小さすぎますね、写真。

 

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社殿の右手に、おもかる石があるんですが……あれ、奥の院だったかな、こちら。

すいません、年齢のせいか、記憶力があいまいに……。

 

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社殿左側のこちら、「ふじ龍」だそうです(由来が書かれていたのですが、写真もメモもありません……突然龍が降ってきた、とかなんとかだったかと思います)。

ああ、で、この鳥居の奥が奥の院だったはず……です。

 

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全然光量が足りず、何の碑なんだかわかりませんが……光の当たっている石碑には「○○霊神」とあるので、御嶽講関係ではないかと思います。

 

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その隣に、神像(?)と、「豊藤大神」の碑。

ええと……すみません、情報がさっぱり……。

 

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大きな石碑の裏には、「子安明神」の碑がありました。

どんな意図での配置なのか……あんまり意図もないのか……。

 

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社殿向かって右手、社務所の手前に末社があります。

 

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向かって左が「水神社」で、御祭神は「日女(ひめ)龍神」「高龗神」。

向かって右が「天鈿女社(天宇受賣社)」で、芸能神と書かれています。

「水神社」の前の白蛇は、もともとはどこかの弁天様か「厳島神社」にあったのではないか、と思われます。

 

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その右手に「秋葉社」。

 

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小祠。

いや、何か石臼に入っていて面白かったので。

 

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鳥居の左手に、「高千穂神社」から拝受したという「おがたま」の木がありました。

ええと……どれが、と言われると困ります(木には滅法うといので)。

 

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遠景。

私は、下の写真の左手のほうから上がってきました。

 

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御朱印。

書置きのものが、社務所前に置かれていました。

……いただいていいのかわからなかったのですが、頒布しているようだったので。

 

さて。

ざっと検索してみても、引っかかる文献がなかったので、最初にあげた「緑区史跡散策路」のHPから。

 

「祭神は倉稲魂命猿田彦命大国主命事代主命の四柱。嘉永4年(1851)に京都の伏見稲荷の分身を迎えて、社殿を建てて祀ったのが始まりといわれ、社殿は戦後近代建築に改築された。」

 

1851年……って本当に江戸の末ですね。

こりゃ区史を探ってみるしかないか……そうすると図書館か……。

御朱印づいていない中、いただけたのは有難く。

いろいろと煮え切らない感じの記事ですが、たまにはこんなのも〜。