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さて、再訪でない神社も攻めてみよう、のコーナー。
守山区に移動しまして、「生玉稲荷神社」です。
◯こちら===>>>
↑公式HPです。
正面。
松の内、何かの催しの準備でしょうか。
社標。
おキツネさまたら、
おキツネさま。
「生玉稲荷神社 御祭神
倉稲魂神 大己貴神 保食神 大宮能姫神 大田神由緒・沿革
創建は明らかではありませんが、社伝によると西暦一二〇〇年頃の創建とされます。
その後天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代(信長の甥)は、この社を城内守護神として奉祀されました。
天正十二年(一五八四)四月、徳川家康が小幡城主織田源三郎方に一泊した折、家臣がこの稲荷の霊験著しきを言上し、稲荷山より竹を伐り旗竿を作り献上し、家康を喜ばせました。また軍用のぼりに文書を付し信仰の誠を記したとされます。
江戸末期には「小幡稲荷」とも呼ばれましたが、明治十二年に現在の社名となりました。
慶安三年(一六五〇)九月、大洪水により社殿を流失しましたが、再建しその後も幾度かの改修、造営を行っています。
大東亜戦争の大空襲によりほぼ全焼しましたが、総代会や崇敬者の皆様の御尽力により、昭和四十九年五月に現在の社殿を竣工しました。
今では、名古屋地区最大級の稲荷神社として、守山区はもとより、周辺市区町村から多くの参拝者が訪れています。」
とのことです。
御祭神は、「伏見稲荷」をなぞっている、ということでしょうかね(まあ、どこのちょっとした規模の稲荷さんでも、同じだと思いますが)。
拝殿。
並んでるな……これも大きな神社の証、でしょうか。
「結びきつね」。
ちくしょうかわいいな。
拝殿前のおキツネさまたら、
おキツネさま。
「福きつね」。
つるっつるですな。
親子、だそうです。
石灯籠にはもちろん如意珠。
本殿を横から。
本殿脇に、謎の小道が。
進んでいくと「弁天神社」がありました。
いや、これまた見事に池、島で。
おキツネさまたら、
おキツネさま。
ずいぶんのっぺりされています。
そう、お稲荷さんといったら「奥之院」なんですよねこれが……そういえば何でだっけ……「伏見稲荷」がそうだから、だったっけな。
「山神社」。
碑だけに……。
「奥之院」の裏へも回れます。
裏。
瓦がいい感じ。
ここが「奥之院」の入り口です。
多分……。
こちらは……あれ、何だったかな……。
遠景。
住宅街に突然出現、という感じです。
先ほどの道を、小幡駅のほうまで出てくると、こんな社標があります。
さて。
◯こちら===>>>
さくっと、いつもの頼りにしている人たち(『尾張名所図会』『尾張志』辺り)を読んでみても、どうにもそれらしき記事がなかったので、最近頼りっぱなしの『東春日井郡誌』から。
484コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「稲荷神社
(略)
祭神 大宮女神 御食津神 太田神
例祭日 十月十七日
由緒 社伝明かならず
境内 百四十坪」
……あれ、ごめんなさい、違うかも……。
うーん、でも、小幡近辺で稲荷ってこれしか見つからなかったんですよね。
見直して、間違っていたら修正します……。
うん、いい神社でした。
「奥之院」がしっかりある、っていうのがまたよかったですね。